長島城
長島城 (三重県) | |
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蓮生寺に移築された大手門 | |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 藤原道家 |
築城年 | 1245年(寛元3年) |
主な改修者 | 伊藤重晴、松平定政 |
主な城主 | 滝川一益、織田信雄、菅沼氏、久松松平氏、増山氏 |
廃城年 | 1872年(明治5年) |
遺構 | 石垣、堀、移築大手門、移築奥書院 |
指定文化財 | 桑名市指定文化財(移築大手門(蓮生寺)、大松) |
位置 | 北緯35度5分34.5秒 東経136度41分52.1秒 / 北緯35.092917度 東経136.697806度座標: 北緯35度5分34.5秒 東経136度41分52.1秒 / 北緯35.092917度 東経136.697806度 |
地図 |
長島城(ながしまじょう)は、伊勢国桑名郡長島(現在の三重県桑名市長島町)にあった日本の城。長島藩の藩庁が置かれた。
概要
長島城の起源は、寛元3年(1245年)、藤原道家が館を築いたことにさかのぼる。文明14年(1482年)、北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建された。元亀元年(1570年)、一向宗・願証寺の住職・証意(蓮淳の曽孫)によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となった。その後、織田信長によって攻略され、滝川一益の居城となった。賤ヶ岳の戦い後、織田信雄の居城となるが、1586年の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、清洲城に移った。
江戸時代に入ると、菅沼氏が2万石で当地に封じられ、長島城を改修し藩庁として用いた。元和7年(1621年)、菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となった。
慶安2年(1649年)、久松松平家の松平康尚が那須藩より1万石をもって入り、長島藩が再興された。元禄15年(1702年)には、4代将軍家綱の生母の弟増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より2万石で移され、以後8代続き明治維新に至った。この間に城郭は順次拡大されたが、天守は上げられなかった。
遺構
現在、城跡は長島中部小学校・長島中学校の敷地となり、遺構の大半は失われたが、東側に石垣および堀が残る。建造物としては、大手門が蓮生寺(長島町又木)に移築され現存する。奥書院が深行寺(長島町殿名)に移築されたが、平成5年に建て替えが行われ既に現存していない。また、長島中部小学校内に桑名市指定天然記念物の「大松」がある。この大松は本丸の西南隅にあったもので、樹齢三百数十年のクロマツである。