頃王 (周)
頃王(けいおう、? - 紀元前613年)は、中国の春秋時代の周の王。姓は姫、名は壬臣。
生涯
周の襄王の子として生まれた[1]。紀元前619年8月、襄王が死去する[2]と、頃王は後を嗣いで周王として即位した[1]。
紀元前618年春、頃王は毛伯衛(中国語版)を魯に派遣して、襄王の葬儀費用の負担を求めた[3]。
紀元前613年春、頃王は死去し[4]、子の姫班(匡王)が後を嗣いだ[1]。ときに周公閲と王孫蘇(中国語版)が周の政権を争っていたため、訃告がなかった[4]。
子女
脚注
- ^ a b c 『史記』周本紀
- ^ 『春秋』文公8年
- ^ 『春秋左氏伝』文公9年
- ^ a b 『春秋左氏伝』文公14年