魏王假
魏王假(ぎおう か、生没年不詳)は、中国戦国時代の魏の第8代(最後の)君主(在位:紀元前227年 - 紀元前225年)。王としては第6代。姓は姫、氏は魏、諱は假。景湣王の子。
生涯
景湣王15年(紀元前228年)、父の景湣王が死去し、太子の假が即位した[1]。
魏王假3年(紀元前225年)、秦は魏を攻め、秦の将軍王賁は魏の都大梁に黄河の水を引いて、3カ月後に陥落させた[2]。假は秦軍に投降し、ここに魏は滅亡した[3]。
脚注
- ^ 『史記』「魏世家」
- ^ 『史記』「魏世家」・「秦始皇本紀」
- ^ 『資治通鑑』では投降後に処刑されたというが、『史記』魏世家では何も記されていない。
参考文献
- 先代
- 景湣王
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- 魏の君主
- 紀元前227年 - 紀元前225年
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- 次代
- ―
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