鳥取藩台場跡
鳥取藩台場跡(とっとりはんだいばあと)は、鳥取藩が江戸時代の幕末期に領内8か所に築いた台場跡の総称。1988年7月27日うち5か所が国によって史跡に指定[1]、2016年3月1日赤崎台場跡が追加指定[1]されている。
概要
- 浦富台場跡(岩美町浦富) - 史跡[1]。
- 浜坂台場跡(鳥取市浜坂)
- 賀露台場跡(鳥取市賀露)
- 橋津台場跡(湯梨浜町橋津) - 史跡[1]。
- 由良台場跡(北栄町由良) - 史跡[1]。
- 赤碕台場跡(琴浦町赤碕) - 史跡[1]。
- 淀江台場跡(米子市淀江町今津) - 史跡[1]。
- 指定面積2,619m2。1863年(文久3年)に築かれたもので、国産の大砲3門が供えられ、後に8門が増設された。特徴は、土地提供者、設計者、守備する兵士などすべてが、松波徹翁をはじめとする地元の人であったこと。現在も長さ65メートル、高さ5メートルの土塁が残り、公園として整備されている。
- 境台場跡(境港市境) - 史跡[1]。
画像
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由良台場跡(2014年4月)
画像右が北(海方向)
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由良台場跡(2014年4月)
南から北を望む
脚注
外部リンク