1970年のテレビ (日本)

1970年のテレビ(1970ねんのテレビ)では、1970年昭和45年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

地方の民放UHFテレビ局がこの年10局開局。(「#開局・放送開始」の項を参照)
  • 特に4月1日に開局した8局は全て、今まで民放テレビが1局しか視れなかった地方地域が、開局により2局の民放テレビが視れる様になった地域である。


テレビの全面カラー化への動き


番組関係のできごと

1月 - 3月
4 - 6月
7 - 9月
10 - 12月

その他テレビに関する話題

静岡放送新社屋稼働開始
(5月5日)

開局

*はこの開局により、今まで民放テレビが1局しか視れなかったのが2局になった地域。

周年

番組

開局・放送開始

記念回

視聴率

(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)

報道

  1. ニュース(NHK総合、4月3日 7:00-8:12)46.2%
  2. スタジオ102(NHK総合、4月1日)44.6%
  3. ニュース(NHK総合、7月6日 7:00-7:20)43.1%
  4. 特番・よど号の乗客帰る(NHK総合、4月3日 19:30-21:30)43.0%
  5. 7時のニュース(NHK総合、4月3日)40.9%
  6. カメラリポート(NHK総合、4月1日)40.8%
  7. 特番・帰ってきたよど号(NHK総合、4月5日)40.2%
  8. ニュース(NHK総合、4月3日 8:30-8:45)39.6%
  9. JNNフラッシュニュース(TBS、12月5日)39.6%
  10. 第25回原爆慰霊平和祈念式典(NHK総合、8月6日)37.9%

スポーツ

  1. プロボクシング世界フェザー級タイトルマッチ「西城正三×ゴトフリー・スチーブンス」(日本テレビ、2月8日)46.3%
  2. プロボクシング「小林弘×西城正三」(日本テレビ、12月3日)45.3%
  3. 世界フェザー級タイトルマッチ「ジョニー・ファメション×ファイティング原田」(フジテレビ、1月16日)41.6%
  4. サンデーワールドボクシング(日本テレビ、7月5日)38.6%

バラエティ・歌番組

  1. 第21回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)77.0%
  2. 8時だョ!全員集合(TBS、12月26日)45.7%

テレビドラマ

  1. 連続テレビ小説 信子とおばあちゃん(NHK総合、4月3日)46.8%
  2. 連続テレビ小説 (NHK総合、7月7日・12月18日)42.1%
  3. ザ・ガードマン(TBS、9月18日)39.9%
  4. サインはV(TBS、5月24日)39.3%
  5. 時間ですよ(TBS、8月19日)36.2%

テレビ番組

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

NET

東京12チャンネル


子供向けドラマ

NHK

TBS

フジテレビ

NET

東京12チャンネル


テレビアニメ

特撮番組

報道・情報番組

バラエティ番組

クイズ番組

音楽番組

スポーツ番組

旅・紀行番組

教養・ドキュメンタリー番組

特別番組

  • 21世紀への挑戦 ―ボールディング教授にきく―(NHK総合、東京・大阪は2か国語放送)[23]
  • 公開座談会「情報と日常生活」(NHK総合、東京・大阪は2か国語放送)[24]

映画番組

単発特別番組枠

既存番組のカラー化

ローカルニュースのカラー化

兼カラーフィルムによる報道取材開始
フィルム取材を除くスタジオの顔出しや写真・テロップ等のみカラー化。

全てNHKの地方局

参考文献

など

脚注

注釈

  1. ^ 日本テレビ系の『木曜スペシャル』とは無関係。なお厳密には、初期3回(1月15日まで)は正式タイトルが無かった。
  2. ^ 1972年12月までは参天製薬一社提供で、冠スポンサー名『サンテ』が着いていた。
  3. ^ ただし1978年は、フジテレビが結成した女子プロ野球チーム「ニューヤンキース」宣伝のため、ニューヤンキースの試合をメインにした単発枠『土曜グランドスペシャル』で放送された。
  4. ^ スタート当初の正式タイトルは、『六輔さすらいの旅・遠くへ行きたい』だった。また、当初は日本国有鉄道(国鉄、現・JRグループ)の一社提供番組だった。
  5. ^ 丹下健三による設計。
  6. ^ 1975年10月の東日本放送開局にともない日本テレビ系フルネット局となる。
  7. ^ 日付は局の公式発表による。この日は月曜日で、10月の改変編成の初日に当たる。ちなみに、9月末~10月初めの当時の朝日新聞朝刊テレビ欄番組表では、実際には、10月1日に全面カラー化している。(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  8. ^ 前2作の『おとぎマンガカレンダー』と『ものしり大学 あしたのカレンダー』は、横山隆一主催の「おとぎプロ」で製作された。
  9. ^ 朝日新聞 1970年10月4日 朝刊では、当時同時ネット局である東京12チャンネルはカラー(東京版 P.13 テレビ欄)であるのに対し、制作局である毎日放送はモノクロ(大阪版 P.13 テレビ欄)。1970年10月11日 朝刊では、毎日放送及び東京12チャンネル共にカラーである(東京版 P.13 大阪版 P.11 いずれもテレビ欄)(以上、朝日新聞クロスサーチにて閲覧)。他紙の大阪版では、朝日新聞と同様に毎日新聞も、10月4日付朝刊テレビ欄ではカラー印が付いていない一方、同日付サンケイ新聞と読売新聞ではカラーと表記されている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、5頁。 
  2. ^ 1970年1月3日 朝日新聞東京版及び大阪版 共に朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄 (朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ a b NHK放送史 番組「ママは太陽」(NHKアーカイブスのサイト)(2024年11月10日閲覧)
  4. ^ a b NHKクロニクル「ママは太陽」
  5. ^ 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'70』岩崎放送出版社、1970年、78頁。 
  6. ^ a b 朝日新聞 1970年3月23日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  7. ^ a b 朝日新聞名古屋版 1970年3月30日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  8. ^ a b キューピー3分クッキングの歴史(キューピーの番組公式サイト)(2024年4月16日閲覧)
  9. ^ a b 朝日新聞 1970年3月30日 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  10. ^ a b c d e 朝日新聞 1970年4月1日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  11. ^ a b 朝日新聞 1970年4月4日 東京版朝刊 P.9 テレビ欄 及び 同日大阪版朝刊 P.13 テレビ欄(共に朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  12. ^ 日本放送協会(編)『20世紀放送史 下』日本放送出版協会、2001年、66頁。 
  13. ^ 『NHK年鑑'71』, p. 157.
  14. ^ NHKクロニクル「NHKコンサートホール」1970年8月9日
  15. ^ a b 朝日新聞 1970年12月28日 朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  16. ^ a b 全国朝日放送株式会社総務局社史編纂部 編『テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年』全国朝日放送、1984年2月1日、406頁。NDLJP:12276014/488 
  17. ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 56ページ (渋沢社史データベース)(2024年5月4日閲覧)
  18. ^ 開局当日の特別番組「宮城テレビ誕生」のタイトル部分が、2012年3月31日のアナログ放送終了時の最終映像の中で放送された。
  19. ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、341頁。 
  20. ^ 日本テレビ放送網(株)『大衆とともに25年. 沿革史』(1978.08) 58ページ (渋沢社史データベース)(2024年5月4日閲覧)
  21. ^ NHK放送史 番組「弁護士ジャッド」(NHKアーカイブスのサイト)(2024年11月10日閲覧)
  22. ^ NHKクロニクル「弁護士ジャッド」
  23. ^ NHKクロニクル「21世紀への挑戦 ―ボールディング教授にきく―」
  24. ^ NHKクロニクル「公開座談会「情報と日常生活」 ~東京大手町・農協ビルで録画~」
  25. ^ 朝日新聞 1970年1月3日朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  26. ^ a b 朝日新聞 1970年4月2日 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  27. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、74, 157頁。 
  28. ^ 朝日新聞 1970年4月9日 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  29. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'70』日本放送出版協会、1970年、198頁。 
  30. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、74, 133頁。 
  31. ^ 朝日新聞 1970年4月10日 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  32. ^ 朝日新聞 1970年3月29日 朝刊P.11 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  33. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、74, 136頁。 
  34. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、74, 137頁。 
  35. ^ 朝日新聞 1970年4月8日 朝刊P.9 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  36. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、75頁。 
  37. ^ 朝日新聞 1970年4月5日 朝刊 P.11 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  38. ^ 朝日新聞 1970年4月5日 朝刊P.11 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  39. ^ a b c d e 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、74, 120頁。 
  40. ^ 『忘れじの国際プロレス』、P109
  41. ^ 朝日新聞 1970年9月30日 朝刊 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  42. ^ 朝日新聞 1970年8月3日 朝刊P.11 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  43. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、75, 97頁。 
  44. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'70』日本放送出版協会、1970年、415頁。 
  45. ^ 信越放送50年史編纂委員会『信越放送の50年』信越放送株式会社、2001年10月18日、76頁。 
  46. ^ 新潟放送『新潟放送40年のあゆみ』新潟放送、1992年10月15日、489頁。 
  47. ^ 新潟放送『長野放送二十年の歩み』長野放送、1989年5月25日、40頁。 
  48. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240, 347頁。 
  49. ^ NHK新潟放送局『みなさんとともに五十年JOQK』NHK新潟放送局、1982年3月22日、217頁。 
  50. ^ NHK長野放送局編『あなたとともに70年 -長野五輪・城山から稲葉へ-』柳田雅之、2001年3月8日、58頁。 
  51. ^ a b c d 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240, 358頁。 
  52. ^ 石川テレビ放送『石川テレビの50年 停波事故を乗り越えて』石川テレビ放送、2019年4月25日、82頁。 
  53. ^ a b c d e f 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240, 395頁。 
  54. ^ a b c d e 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240, 386頁。 
  55. ^ a b c d 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240, 371頁。 
  56. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240, 403頁。 
  57. ^ a b c d e f g 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240頁。 
  58. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年、240, 356頁。 
  59. ^ NHK nenkan - Google Books
  60. ^ Nihon hōsō nenkan - Google Books
  61. ^ Nihon hōsō nenkan - Google Books