801 ライヴ
『801 ライヴ』 | ||||
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801 の ライブ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
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ジャンル | エクスペリメンタル・ロック | |||
時間 | ||||
レーベル | アイランド・レコード | |||
プロデュース | 801 | |||
チャート最高順位 | ||||
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801 アルバム 年表 | ||||
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『801 ライヴ』 (801 Live) は、イングランドのロック・バンドである801が、1976年に発表したライヴ・アルバムである[1]。
解説
経緯
1976年6月26日、ロキシー・ミュージックは解散を正式発表した[2]。メンバーのフィル・マンザネラ[注釈 1](ギター)は、1973年にロキシー・ミュージックを脱退したブライアン・イーノ[3][注釈 2](シンセサイザー、ヴォーカル、テープ)と短期のプロジェクトを企画した。
ブライアンはロキシーを去った後、自分のアルバムを作ったが、EGマネージメントからツアーに出るように要求された。彼は心底嫌がった[注釈 3][4]、、、そして従来のポップ・スターになろうという彼の野心は、ここで終わった。しかし彼はレコーディング活動を続け、私も彼と活動を続けて一緒にいる機会が多かった。ある日、一緒にコテージに行った際に、6週間のプロジェクトをやろうという考えが浮かんだ。内容は演奏技術を愛する人と嫌う人を集めて、その結果何が生まれるかを見てみようというものだった。
両者は、マンザネラがロキシー・ミュージックに加入する前に在籍していたクワイエット・サンのメンバーだったビル・マコーミック[注釈 4](ベース、ヴォーカル)を誘った。彼等はマコーミックの兄イアンを交えて別のコテージに移って選曲を始めた。ビートルズの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」を選んだのはマコーミックだった。彼によると、キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」はある日のリハーサルで誰からともなく演奏され始め、イーノの「マザー・ホエール・アイレス」と「ザ・トゥルー・ホイール」[注釈 5]も検討されたが、時間の都合上削除された。
ビル・ブルーフォード[注釈 6](ドラムス)とフランシス・モンクマン[注釈 7](キーボード)も加わったが、まもなくブルーフォードは離脱し[注釈 8]、アルバム制作に起用されたレット・デイヴィスの提案でサイモン・フィリップスが招聘された。
801はマンザネラ、イーノ、マコーミック、モンクマン、フィリップス、ロイド・ワトソン(スライド・ギター)の6人編成になり、同年8月上旬にハマースミスにあるアイランド・レコードのスタジオでリハーサルを開始した。そして同月26日にノーフォーク、28日にレディング・フェスティバル、9月3日にロンドンのクイーン・エリザベス・ホールでコンサートを開催した。
内容
本作は9月3日のクイーン・エリザベス・ホールでのコンサートを収録した。プロデュースはメンバーが担当した。
マンザネラ、イーノ、クワイエット・サンのアルバムの収録曲に加えて、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」と「ユー・リアリー・ガット・ミー」が演奏された。
本作は同年9月に発表され、全英アルバムチャートで最高位52位を記録した[5]。1988年には再発CDが発表された。
収録曲
- LP
- CD
# | タイトル | 作詞・作曲 | オリジナル | 時間 |
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1. | 「ラグリマ(Lagrima)」 | Phil Manzanera | フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年) | |
2. | 「TNK(トゥモロー・ネバー・ノウズ) (TNK (Tomorrow Never Knows))」 | John Lennon, Paul McCartney | ビートルズ、アルバム『リボルバー』(1966年) | |
3. | 「イースト・オヴ・アステロイド(East of Asteroid)」 | Manzanera, Bill MacCormick | クワイエット・サン、アルバム"Quiet Sun"(1975年)、’Mummy was an asteroid, Daddy was a small non-stick kitchen utensil’ | |
4. | 「ロングロング(Rongwrong)」 | Charles Hayward | クワイエット・サン、アルバム"Quiet Sun"(1975年) | |
5. | 「サンバーレプティル(Sombre Reptiles)」 | Brian Eno | ブライアン・イーノ、アルバム『アナザー・グリーン・ワールド』(1975年) | |
6. | 「ベイビーズ・オン・ファイヤー(Baby's on Fire)」 | Eno | ブライアン・イーノ、アルバム『ヒア・カム・ザ・ウォーム・ジェッツ』(1973年) | |
7. | 「ダイヤモンド・ヘッド(Diamond Head)」 | Manzanera | フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年) | |
8. | 「ミス・シャピロ(Miss Shapiro)」 | Manzanera, Eno | フィル・マンザネラ、アルバム"Diamond Head"(1975年) | |
9. | 「ユー・リアリー・ガット・ミー(You Really Got Me)」 | Ray Davies | キンクス、アルバム『キンクス』(1964年) | |
10. | 「サード・アンクル(Third Uncle)」 | Eno | ブライアン・イーノ、アルバム『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年) | |
合計時間: |
参加メンバー
※オリジナル・アルバムの裏ジャケットの記載に準拠。
- フィル・マンザネラ – ギター
- イーノ[注釈 2] – ヴォーカル、シンセサイザー、ギター、テープ
- ビル・マコーミック – ベース、ヴォーカル
- フランシス・モンクマン – フェンダー・ローズ、クラビネット
- サイモン・フィリップス – ドラムス、リズムボックス
- ロイド・ワトソン – スライド・ギター、ヴォーカル
- レット・デイヴィス – エンジニア
- Chris Michie – サウンド・エンジニア
- Richard Wallis – フォトグラフィ
コレクターズ・エディション
1999年、「サンバーレプティル」と「ベイビーズ・オン・ファイヤー」の間に「ゴールデン・アワーズ」と「ザ・ファット・レディ・オブ・リンバーグ」[注釈 9]を挿入した全12曲入りの改訂版CDが発表された[6]。
2009年、『コレクターズ・エディション』と題された2枚組CDが発表された。CD1は前述の改訂版CDで、CD2には1976年8月23日にシェパートン・スタジオで行なわれたリハーサルの12曲が収録された[7]。
脚注
注釈
- ^ 元クワイエット・サン、ロキシー・ミュージック。
- ^ a b 当時はイーノと名乗っていた。
- ^ イーノはザ・ウィンキーズ(The Winkies)をバックに1974年2月13日から国内ツアーを開始したが、予定されていた20の公演の半分足らずを消化した3月4日で残りの公演をキャンセルした。
- ^ 元クワイエット・サン、マッチング・モウル。
- ^ アルバム『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)の収録曲。「ザ・トゥルー・ホイール」はイーノとマンザネラの共作で、801というバンド名の由来になった曲である。
- ^ 元イエス、キング・クリムゾン。
- ^ 元カーヴド・エア。
- ^ マコーミックによると「ビルと私は(収録曲の)多くを初めに一緒に録音してみたが、どうもしっくりいかなかった」とのこと。
- ^ 両曲ともイーノ作で、前者は『アナザー・グリーン・ワールド』(1975年)、後者は『テイキング・タイガー・マウンテン』(1974年)の収録曲。
出典
- ^ Thompson (2022), pp. 113–116.
- ^ Buckley (2004), pp. 201–202.
- ^ Buckley (2004), p. 131.
- ^ Thompson (2022), pp. 62–65.
- ^ Thompson (2022), p. 113.
- ^ “Discogs”. 2025年1月25日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2025年1月25日閲覧。
引用文献
- Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9
- Thompson, Dave (2022). Roxy Music in the 1970s. London: Sonic Bond Publishing. ISBN 978-1-78952-180-1