FSAプロジェクト
FSAプロジェクト(えふえすえいプロジェクト)とは、アメリカ合衆国のFSA(Farm Security Administration; 農業安定局または農業保障局)が、1929年の世界恐慌勃発後のアメリカの(主として南部)農村の惨状およびその復興を記録するため(一方で、農民救済の必要性を訴え、一方で、ニューディール政策の効果をアピールするため)に行ったプロジェクト(1935年から1944年)である。
内容
手法としては、写真が用いられた。このプロジェクトにより生み出された10万枚以上の写真が、アメリカの国会図書館 (Library of Congress) にコレクションとして現在も保存されている。なお、本プロジェクトのディレクターは、経済学者のロイ・ストライカー(Roy E. Stryker; 1893年- 1975年)である。
参加した主要な写真家は、ジャック・デラーノ(Jack Delano; 1914年-1997年)、ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans; 1903年-1975年)、セオドア・ヤング(Theodore (Theo) Jung; 1906年生まれ)、ドロシア・ラング(Dorothea Lange; 1895年-1965年)、ラッセル・リー(Russell Lee; 1903年-1986年)、カール・マイダンス(Carl Mydans; 1907年-2004年)、ゴードン・パークス(Gordon Parks; 1912年-2006年)、アーサー・ロススタイン(Arthur Rothstein; 1915年-1986年)、ベン・シャーン(Ben Shahn; 1898年-1969年)、ジョン・ヴェイション(John Vachon; 1914年-1975年)、マリオン・ポスト・ウォルコット(Marion Post Wolcott; 1910年-1990年)、アルフレッド・T・パーマー(Alfred T. Palmer; 1906年-1993年)などである。
自身は写真家ではなかった[1]ストライカーは、撮影者とは異なった観点から、写真作品の取捨選択、トリミング、利用方法の決定(新聞、雑誌、書籍等の発表メディアの選択など)を行い、個々の写真家と対立することも多かった。没にした写真を穴あけパンチで損壊したことすらあり、ストライカーによって穴を空けられた写真が多数残っている[2][3]。
そのような問題をはらんではいたものの、このプロジェクトの写真作品は、ドキュメンタリー写真(報道写真の一部)の、またストレートフォトグラフィの重要な実例として、それぞれにおける金字塔となっている。
なお、このプロジェクト期間中の1935年から1944年までの間に政府の組織改編がおこなわれたため、正確には、1935年から1937年までは、RA(Resettlement Administration; 再入植庁または再定住局)が、1937年から1942年まではFSAが、1942年から1944年まではOWI(Office of War Information; 戦時情報局)が、それぞれ所管していたが、通常は、このすべての期間について「FSAプロジェクト」と呼ばれることが多い。単に「FSA」と呼ばれること、例えば、「FSAの写真家」というような例、もある。また、1942年までに限定して、FSAプロジェクトと呼ぶ考え方もある。
脚注
- ^ Richard Doud. “Oral history interview with Roy Emerson Stryker, 1963-1965” (英語). スミソニアン博物館. 2020年4月7日閲覧。 ストライカー自身が "I am not a photographer." と述べている。
- ^ Alex Q. Arbuckle (2016年3月26日). “'Killed' photographs: The American Great Depression — excised” (英語). マッシャブル. 2020年4月8日閲覧。
- ^ “History of America in hole-punched photos” (英語). アルジャジーラ. (2017年11月15日) 2018年8月6日閲覧。
関連項目
- 連邦美術計画
- フローレンス・オーウェン・トンプソン - 著名な被写体の女性