麒麟麦酒

(新)麒麟麦酒株式会社
Kirin Brewery Company, Limited
麒麟麦酒株式会社本社
種類 株式会社
市場情報 非上場(注)
略称 キリン、麒麟
本社所在地 日本の旗 日本
164-0001
東京都中野区中野四丁目10番2号
中野セントラルパークサウス
設立 1998年平成10年)3月2日(注)
業種 食料品
法人番号 1010001098858
事業内容 ビール等酒類の製造
代表者 代表取締役社長 堀口英樹
資本金 300億円
売上高 6350億8100万円
(2022年12月31日時点)[1]
営業利益 195億5000万円
(2022年12月31日時点)[1]
経常利益 219億1500万円
(2022年12月31日時点)[1]
純利益 160億3400万円
(2022年12月31日時点)[1]
純資産 645億4800万円
(2022年12月31日時点)[1]
総資産 3982億4800万円
(2022年12月31日時点)[1]
従業員数 3,585名(2022年12月31日現在)
決算期 12月31日
主要株主 キリンホールディングス株式会社 100%
主要子会社 キリンビールマーケティング株式会社 100%
関係する人物 ウィリアム・コープランド
T・グラバー
米井源次郎(創設者)
伊丹二郎(元会長)
磯野長蔵(設立発起人)
三宅占二(元社長)
松沢幸一(元社長)
佐藤安弘(元社長)
外部リンク https://www.kirin.co.jp/
特記事項:注:現麒麟麦酒株式会社は2007年7月1日、持株会社「キリンホールディングス株式会社」へ移行した(旧)麒麟麦酒株式会社(1907年設立)より事業を承継(旧麒麟麦酒の持株会社移行の為の準備会社だった(旧)キリンホールディングス株式会社(1998年設立)が、商号を麒麟麦酒株式会社に変更)。
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麒麟麦酒株式会社(きりんビール、Kirin Brewery Company, Limited)は、日本酒造会社で、キリンホールディングスの連結子会社でもある。一般的な企業名表記として、片仮名キリンビール株式会社も用いられる[2]

現会社は、キリンホールディングス株式会社(旧麒麟麦酒の改組により設立)のビール発泡酒を製造する事業子会社である。企業グループ三菱グループに属する。

概要

麒麟のマーク

1870年明治3年)にノルウェーアメリカ人ウィリアム・コープランドが、日本で初めて大衆向けにビール醸造販売した企業スプリング・バレー・ブルワリー(SPRING VALLEY BREWERY、コープランドビール)」を起源とする、日本のビール事業の草分け的企業である。

幾多の変遷を経て、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足。第二次世界大戦後は徐々に生産量を増やし、1954年昭和29年)には、年間庫出量でトップシェアを獲得し、国内ビール企業の地位を確固たるものにする。アサヒビールの「アサヒスーパードライ」の台頭までは、継続的に首位を守った。2009年(平成21年)はアサヒビールがビール類(ビール発泡酒第三のビール)「販売数量」首位となっており、新商品の投入合戦で熾烈なシェア争奪戦を繰り広げているが、発泡酒と第三のビールでは、キリンがトップシェアを獲得していることもあって、2009年(平成21年)のビール類「出荷量」市場シェアは、キリンビールが37.7%とアサヒビールの37.5%をわずかながらも抑え9年ぶりに首位に返り咲いた[3]

ビールの商品構成は多品種で品揃えは業界一、2010年(平成22年)2月時点で定番ビール11銘柄(ライセンス品含む)を製造・発売している。

2007年(平成19年)7月1日、従来の事業持株会社の「麒麟麦酒(旧)」は「キリンホールディングス」と商号変更し、純粋持株会社となった。ビールなどのアルコール飲料の製造・販売事業については、1998年(平成10年)に設立されグループの共通業務を担当し、純粋持株会社制の準備に当たってきた「旧・キリンホールディングス」を改称した事業子会社「麒麟麦酒(新)」に移管された。2007年(平成19年)7月1日以降、この項目では事業会社の「麒麟麦酒(新)」について説明する。

2012年(平成24年)の到来とともに、さらなるグループ再編の一環として「製販分離」を実施。本社に残っていた営業部門を分割し、これにグループでマーチャンダイズ事業を行っていた会社を統合させ、新会社として切り離した[4]。これを一時統合検討相手とされたサントリーグループに当てはめると、この会社が製造を担う「サントリー酒類(初代)」に、分離された新会社が販売を担う「サントリービア&スピリッツ」に、それぞれ相当する[注釈 1][注釈 2]

2013年(平成25年)には、グループ会社のキリンビバレッジ株式会社・メルシャン株式会社とともに、国内綜合飲料事業会社として、キリングループオフィス株式会社から商号変更したキリン株式会社の傘下へ異動。

2019年令和元年)7月1日、親会社のキリン株式会社がキリンホールディングスに吸収合併され、同社の直接子会社となった[5]

沿革

初代・麒麟麦酒

  • 1870年 - スプリング・バレー・ブルワリー開設。
  • 1888年 - 「キリンビール」発売。
  • 1907年 - 麒麟麦酒株式会社設立。
  • 1918年 - 神崎工場完成(後の尼崎工場→1996年閉鎖)。
  • 1919年 - 「キリン黒ビール」発売。
  • 1923年 - 東洋醸造株式会社を合併し、仙台工場とする。
  • 1926年 - 横浜工場完成。
  • 1928年3月16日 - 炭酸飲料「キリンレモン」発売。
  • 1932年 - 「キリンスタウト」発売。
  • 1933年 - 販売協定を結ぶため「麦酒共同販売会社」を設立。
  • 1938年
    • 富田製壜工場完成。
    • 広島工場完成(1998年閉鎖)。
  • 1943年 - ビールメーカー各社の商標が廃止され、各社ともラベルは「麦酒(家庭用・業務用)」に統一される。
  • 1949年 - ビールの配給制度が廃止され、直接販売が復活。出荷制限も解除され、本格的自由販売が再開、「キリンビール」の商標が復活する。
  • 1954年 - 「キリンジュース」発売。
  • 1957年 - 東京工場完成(1998年閉鎖)。
  • 1960年 - 「キリン缶ビール」発売。
  • 1965年 - 本店を東京都中央区京橋に移転。
  • 1966年 - 福岡工場完成。
  • 1972年 - キリン・シーグラム株式会社(現:キリンディスティラリー)設立。
  • 1976年 - 「キリントマトジュース」発売。
  • 1977年 - 本店を東京都渋谷区神宮前に移転。
  • 1979年
    • 4月 - 栃木工場完成(2010年閉鎖)。
    • 8月 - 「キリンメッツ」発売。
  • 1985年 - 「キリン生ビール(瓶ビール)」(別名"青ラベル")発売。
  • 1986年
  • 1988年 - ドライビールブームの全盛期、「キリンドライ」が発売される。また、麦芽100パーセントの生ビール「キリンファインモルト」も発売。
  • 1989年 - 「キリンビール」が「キリンラガービール」に名称変更、「キリン生ビール」が大幅に改良されて「キリンファインドラフト」に改名。また、麦芽100%のオールモルトドライビール「キリンモルトドライ〈生〉」や味わいにこだわった生ビール「キリンファインピルスナー〈生〉」も発売される。
  • 1990年 - 一番搾り麦汁を使用した「キリン一番搾り生ビール」発売。また、「キリンファインドラフト」が「キリンドラフト」に改名。
  • 1991年 -
    • 松任谷由実の「DAWN PURPLE TOUR 1991-1992」に協賛。以降10年間に渡り、松任谷のコンサートツアーに協賛。
    • 清涼飲料水部門を分割し「キリンレモン株式会社」に統合。「キリンビバレッジ株式会社」発足。
    • キリンプレミアムビール」発売。一番搾り麦汁を使用した熱処理ビール。
    • 秋季限定発売の熱処理ビール「キリン秋味」発売開始。
  • 1993年
    • 北陸工場完成(2010年閉鎖)。
    • アンハイザー・ブッシュ社からライセンスを受け、バドワイザーの生産・販売開始(これ以前はサントリーがライセンス契約をしていた。なお、北米では逆方向のライセンスで、アンハイザー・ブッシュ社が、キリン一番搾りなどのビールを製造・販売している)。
  • 1995年 - 本社を東京都中央区新川に移転
  • 1996年
    • キリンラガービールが熱処理方式から熱処理しない「生ビール」に品質変更し、アルコール度数を4.5%から5%に引き上げた(ただし業務用の「キリンラガー樽詰」は1995年に一般向けに先行して生ビール化している)。味も従来より爽快感を高め、軽めに変更。しかし、ラガーは重さが特徴だったため、これまでのラガーユーザーは次々と離れてしまった。また、実質的な後継商品であるキリン一番搾り生ビールのヒット後も並行販売していた「キリンドラフト(旧キリン生ビール)」が販売終了となった。
  • 1998年
    • キリンラガービールが、生ビール化してからは初めての味の変更を行う。コクと苦味を高め、ラガーらしさを持ち直した。
    • キリン初の発泡酒「麒麟淡麗〈生〉」発売。この年の大ヒット商品となる。
    • キリングループ3社、サッカー日本代表のオフィシャルスポンサー単独契約。
  • 2000年
  • 2001年
    • キリンクラシックラガー」発売。ラガービール本来の熱処理方式であるオリジナルのキリンラガービールが5年ぶりに復活。当初は瓶ビールのみ。
    • 缶チューハイ「氷結果汁」(のちに「氷結」に改名)発売。
  • 2002年
    • 発泡酒「淡麗グリーンラベル」発売。サントリー・ダイエットとともに糖質オフ発泡酒の先駆け。
    • 発泡酒「キリン 極生」発売。翌年には黒い色をした発泡酒「キリン 生黒」を発売。
  • 2005年 - ビール風味のアルコール飲料「キリン のどごし〈生〉」発売。
  • 2006年
    • 5月12日 - 持株会社化の一環として、キリンビバレッジのTOB6月15日まで実施し、キリンビバレッジの発行済株式総数(55,002,370株)の97.07%(53,392,016株)を取得。
    • 7月12日 - 出荷統計量の発表でキリンがビール関連飲料で一位になった。二位のアサヒビールとの差は0.3ポイント。「のどごし」が好調だったのが良かったと報じている。アサヒビールの「ぐびなま。」も好調だったがあと一歩で一位を逃してしまった。
    • 10月1日 -
    • 11月16日 - メルシャンと資本業務提携を発表。その上でメルシャンの発行済み株式の50.12%を友好的TOBによって取得すると発表。TOB成立後は子会社化し、ワインと加工用酒類をメルシャンに、焼酎とチューハイ・カクテル類をキリンに集約する予定とされた。ウイスキー、ブランデーなどの処遇はこの時点では未発表。
    • 12月26日 - TOBの成功により、メルシャンを連結子会社化。
  • 2007年
    • 創業100周年。3月の「キリン・ザ・ゴールド」を皮切りにビール系新商品を大量投入。また、「クラシックラガー」以来となる熱処理ビールの新商品を2点投入。発売されたビール・発泡酒・新ジャンル(すべて限定品は除く)は次の通り。
      • グランドエール(チルドビール、無濾過)
      • キリン・ザ・ゴールド(麦芽100%、熱処理ビール)
      • ニッポンプレミアム(麦芽100%、熱処理ビール)
      • 一番搾りスタウト(麦芽100%、生ビール)
      • 円熟黒(発泡酒)
      • 良質素材(新ジャンル、リキュール類)
      • スパークリングホップ(新ジャンル、リキュール類)
    • 1月1日 - 「キリン ウェルフーズ」の健康・機能性食品事業を「キリン ヤクルト ネクストステージ」へ会社分割により移管。キリンウエルフーズは商品の製造とプロモーター作用を持つ成分が含有されていることが厚生労働省から指摘され、自主回収することとなったアガリクス商品などの回収業務、事後対応のみを対応することになった。
    • 2月 - ハイネケン社および、同社との合弁会社ハイネケンジャパン社からライセンスを受け、缶ビールに限り国内生産開始。
    • 4月3日 - 三菱グループ内の食肉関連事業の再編として、グループ会社・米久の全株式を5月1日より順次三菱商事へ譲渡することを発表。

2代目・麒麟麦酒

  • 2007年
    • 7月1日 - 純粋持株会社制に移行し、それまでの麒麟麦酒株式会社は「キリンホールディングス株式会社」に社名変更。国内酒類事業を統括する(新)「麒麟麦酒株式会社」(旧・キリンホールディングス株式会社)、医薬事業を手がける「キリンファーマ株式会社」の2つの事業会社と、グループ間の業務サポートを担う「キリンビジネスエキスパート株式会社」に会社分割。持ち株会社の準備会社として運営されていた旧・キリンホールディングスを事業子会社の麒麟麦酒株式会社(新社)に商号変更し、6月末までの麒麟麦酒株式会社(旧社)の国内酒類事業(ビール系飲料、RTD)を新社に移管し、さらに、子会社のメルシャンからは、RTD、焼酎、梅酒、洋酒(一部商品を除く)、合成清酒の販売が新社に移管され、逆に旧社のワイン販売事業をメルシャンへ移管した。
    (※以降、麒麟麦酒株式会社(新社)の歴史のみを記載。そのほかグループ全体の歴史や各事業子会社の歴史は、キリンホールディングスなどを参照。)
    • 8月29日 - キリンカクテル スパークル発売。缶カクテル市場へ参入。
    • 10月17日 - 新ジャンル・スパークリングホップ発売。同時に新ジャンルとしては業界初となる瓶容器を発売。
  • 2008年
    • 2月20日 - 健康志向の発泡酒「麒麟ZERO」発売。
    • 4月2日 - メルシャンブランドで販売されていたRTD全商品(「本搾り」「ギュギュっと搾った。」)をリニューアルと同時にキリンブランドに移管。
    • 4月9日 - メルシャンブランドで販売されていた一部焼酎(「白水」の一部、「火唐」・「火の麦」全商品)をリニューアルと同時にキリンブランドに移管。
    • 6月24日 - 環境省の「エコファースト制度」に認定。
  • 2009年
    • 3月 - 「キリン一番搾り生ビール」を、麦芽100%のオールモルト生ビールにリニューアル。
    • 4月8日 - 世界初のアルコール0.00%を実現したノンアルコール・ビールテイスト飲料「キリンフリー」を発売。
    • 6月1日 - ギネスの販売を開始。そのほかディアジオ・モエヘネシー社)との合弁会社「キリン・ディアジオ株式会社」を設立。
    • 8月31日 - 本社を東京都渋谷区神宮前の原宿本社ビルに再移転(登記上の本店の所在地は変更せず)。
    • 10月1日 - ディアジオ・モエヘネシー社が行ってきた海外生産の洋酒ジョニー・ウォーカーホワイトホースI.W.ハーパーなど13銘柄)の輸入販売を同社から譲受。
  • 2010年
    • 1月15日 - 2009年におけるビール類の出荷量(課税ベース)にて同社が2000年以来9年ぶりの首位と発表された[3][7]。ただし、販売数量ではアサヒビールが首位であり、統計によって順位が異なるという初の「珍現象」が発生[3][7]
    • 2月8日 - グループ会社のキリンビバレッジも原宿本社ビルへ本社機能を移転。
    • 2月中旬 - キリンラガービールが、生ビール化してからは2度目の味の変更を行う。よりホップを利かせ、苦味と飲み応えを高めた。
    • 12月 - メルシャン株式会社を完全子会社化。
  • 2011年3月11日 - この日発生した東日本大震災により、宮城県仙台市宮城野区にあるキリンビール仙台工場が被災。屋外に設置されているビールタンク15基の内4基が倒壊するも、醸造設備など全体的に壊滅的な被害は免れたと発表。また茨城県取手市にあるキリンビール取手工場でも震災の影響で建物の一部損壊が確認された。
  • 2012年
    • 1月1日 - 営業部門を分割し、キリンマーチャンダイジング株式会社と統合させ新会社「キリンビールマーケティング株式会社」発足[4]
    • 7月1日 - ワイン・梅酒・焼酎の販売元をメルシャンに再移管。従来キリンブランドで販売されていた商品もメルシャンブランドで販売される。
  • 2013年
    • 1月1日 - キリンホールディングス株式会社が保有していた当社の全株式をこの日発足した国内綜合飲料事業会社(中間持株会社)であるキリン株式会社に譲渡され、同社の傘下に移行する。
    • 4月 - キリングループ各社の本社機能を東京都中野区中野の再開発地域「中野四季の都市」に移転(5月までに登記上の本店も中野に移転)。
    • 11月14日 - キリン株式会社のコーポレートサイトおよびキリンビバレッジ株式会社・メルシャン株式会社のウェブサイトが当社ウェブサイトに統合され、キリン株式会社のウェブサイトに集約される。
  • 2014年
    • 源流のウイリアム・コープランドの業績と理念を引き継ぎ運営されている横浜工場内のパブブルワリー(醸造所併設レストラン)「スプリングバレー」を母体にクラフトビールブランド「SPRING VALLEY BREWERY」を立ち上げ、その運営子会社である「スプリングバレーブルワリー」を設立。
  • 2015年
    • 3月25日 - パブブルワリー「SPRING VALLEY BREWERY TOKYO」をLOG ROAD DAIKANYAMA内に開設。かねてからあった横浜(横浜工場)のパブブルワリーは改装再オープン[8]
  • 2016年
    • 10月12日 - ブルックリン・ブルワリーと資本提携を発表。ブルックリン・ブルワリーの 24.5%を所有する株主となり、協力して日本やブラジルでブルックリン・ブランドの商品の販売に当たることが発表された[9]
  • 2017年
    • 2月1日 - ブルックリン・ブルワリーとの合弁会社「ブルックリンブルワリー・ジャパン」を設立。
    • 9月7日 - スプリングバレーブルワリー3店目を京都に開店[10]
  • 2019年
    • 7月1日 - 親会社のキリン株式会社がキリンホールディングスに吸収合併され消滅したため、同社の直接子会社となる。
  • 2021年
    • 3月23日 - パブブルワリー「SPRING VALLEY BREWERY」で提供してきた、クラフトビール「SPRING VALLEY 豊潤<496>」の缶商品を横浜工場を始め全国のキリンビール工場で製造し、全国のスーパー・コンビニ等で発売[11]。「496」は完全数の1つである。1から31の自然数の総和が496になることから「1か月、毎日飲んだとしても、飽きることがないビール」の意を含ませてある[12]

ブランド名とラベルデザインの由来

ブランド名

「麒麟(キリン)」という名前の由来については諸説あるが、当時の記録によると、幹部の荘田平五郎の提案によるものであることが分かっている。

麒麟」は、空想の古代中国の聖獣(霊獣)で、縁起が良いとされており、命名当時、海外のビールで、動物名が多く用いられていたことにちなみ、かつ日本人に受け入れられやすい名称として導入したという説がある。

また、創業者コープランドの親しい友人の名前である「カリン」から来ているという説もある。

ラベルデザイン

瓶製品の麒麟(クラシックラガーの瓶とキリンの隠し文字の拡大)
缶製品の麒麟(キリンラガーの缶とキリンの隠し文字の拡大)
1998年以前の缶製品の麒麟(1988年のキリンドライの缶と一部の拡大)
1995~1997年のラガー缶の麒麟(1996年 - 1997年の缶とキリンの隠し文字の拡大)
  • 「麒麟ビール」発売時に導入された初代ラベルは、朝陽を浴びて、駆け出そうとしている麒麟であった。スプリング・バレー・ブルワリー社時代に製造したボックビール(果実のような芳香や麦芽の風味を重視した高濃度のビール)のシンボルマークの山羊をヒントに、中国の聖獣「麒麟」を組み合わせたという説がある。
  • その後採用されたデザインは、1889年(明治22年)にグラバーの提案(彼は太宰府天満宮にある麒麟像を気に入っていた)でデザインされたと言われているもので、現在のラガービールやクラシックラガーのラベルデザインの原型となった。戦中を除いて現在まで受け継がれている。
  • ビールや一部の清涼飲料のラベルに用いられている麒麟の絵の中には隠し文字、カタカナの「キ」、「リ」、「ン」の文字がデザインされている。同社によると隠し文字の発祥は「当時のデザイナーが遊び心でデザインしたという説」と「偽造防止説」があるが明確な理由は関東大震災で資料を紛失したため不明であり、導入された時期も不明瞭であるが大正時代の商品ラベルの一部には導入が確認されている[13][14]
    ※ 麒麟のひげは、創業に関わったグラバーのひげがモチーフだと言われている。
  • 現在使用されている麒麟にも、良く見ると少しずつ違いがある。ここでは、シルエットではなく、体に模様が描かれている麒麟の模様について触れる。
    • 瓶製品の麒麟には、毛の模様がしっかり描かれている。「キ」「リ」「ン」の隠し文字もはっきり書かれている。(ビヤ樽や、缶製品の一部にも、これが採用されている)
    • 缶製品の麒麟は、瓶製品と比べ、毛の模様が簡略化されているが、1998年(平成10年)以降のほとんどの缶製品の麒麟には、隠し文字もちゃんと書かれている。炭酸飲料のNUDAの麒麟は、これである。(瓶製品の場合でも、麒麟が小さい場合などに、これが採用される場合がある)
    • 1998年(平成10年)以前の缶製品は、模様がさらに簡略化されており、隠し文字が入っていない。現在も、麒麟がかなり小さい場合は、これが採用される場合がある(これも当時の瓶製品の一部でも採用されていた)。
    • それ以外には、1995年(1994年と同デザインであるが、側面の能書きを変更した際に、麒麟も変更した) - 1997年までの缶のキリンラガーには、毛の模様が、1998年以前の缶製品と同程度まで簡略化されているが、隠し文字の入っている麒麟が採用されていた。
  • 麒麟のデザインは、1889年(明治22年)に広島県出身の漆工芸家である六角紫水が制作[14]

キリン原宿旧本社ビル

キリン原宿旧本社ビル

キリン原宿旧本社ビルは、東京都渋谷区神宮前六丁目26番1号に所在した、麒麟麦酒株式会社(以下「キリンビール」)の本社社屋である。ビルは明治通り山手線に挟まれた高台の、かつては穏田と呼ばれた地区にあり、約1,800坪の敷地に対して建坪は500坪に過ぎず、残りは日本庭園となっている[15]

このビルが竣工してキリンビールの本社となったのは1976年昭和51年)で、当時創立70周年を迎えたキリンビールは、他社によって建築中だったこのビルを土地ごと購入、改装して本社社屋としたものである[15]。このビルはもともと高級マンション仕様として設計・建築されており、余裕のある建物配置や内部構造はこの事情に由来している[15]

1995年平成7年)には一旦本社機能が中央区新川に移され、このビルは麒麟麦酒の医薬事業の事務所として使用されることになった。

しかしながら2009年(平成21年)8月には麒麟麦酒株式会社の本社はここに再移転、翌2010年(平成22年)2月にはキリンビバレッジ社の本社もこのビルに移転された[16]。これは、キリングループ内における飲料グループ同士のシナジー効果を図るという経営戦略に基づいたもので、この2社本社機能隣接の際には、キリン原宿旧本社ビル内の設備・設計も大幅に改装された[16]

ただキリングループの国内主要子会社の本社を一箇所に集約することになり、同ビルはその目的にはやや手狭であることなどから、2013年(平成25年)に本社機能を中野区中野セントラルパークサウスに移転した[17]。これに伴い当ビルは新川のキリンホールディングス本社などと共に売却され[18]2015年3月に一般社団法人 巨樹の会 原宿リハビリテーション病院が開業した[19]

コーポレート・スローガン、キャッチフレーズ

  • 「衆議一決!ビールはキリン」(1949年) - 戦時中から中断していたビールの銘柄商標復活に伴い、社員募集によって選ばれたキャッチコピー。
  • 「品質本位のキリンビール」(1950年頃 - 1984年)
  • 「家中みんなキリン・キリン」(1960年代)
  • 「どういうわけかキリンです」(1971年頃)
  • 「生きてる限りキリンビール」(1970年代)
  • 「中位もいいさ(キリンビール中瓶)」(1970年代)
  • 「ビールの世界も、いろいろで」(1977年)
  • 「基本だな、キリンビール」(1980年代)
  • 「気分を洗う時間です、キリンビール」(1980年代)
  • 「21世紀へ乾杯 KIRIN」(1984年 - 1989年) - 昭和天皇崩御直後に各テレビ局へ出稿されたCMではキャッチフレーズの使用が自粛され、ブルーバックにKIRINロゴのみの表示へ差し替えられた。
  • 「一枚のラベルにロマンがある。キリンビール」(1985年)
  • 「BEER'S NEW 〜どこまでおいしくなれるだろう〜」(1989年)
  • 「ラガーには味がある。キリンラガービール」(1989年) - 「キリンビール」の商品名だったラガービールが「キリンラガービール」に名称変更した際のキャッチコピー。
  • 「うまいが一番。」(1990年) - 「キリン一番搾り」発売当初のキャッチコピー。
  • 「新鮮な明日へ KIRIN」(1993年 - 2002年) - サウンドロゴでは、1997年1月 - 2月及び12月の「キリン一番搾り」同年4月 - 7月までの企業CM[注釈 3]、7月 - 8月の「キリンラガービール」は、長野オリンピックのロゴマークとの併用バージョン。
  • 「キレ味、だいご味。キリンラガービール」(1994年)
  • 「ラガーは生へ。味のある生へ。キリンラガービール」(1996年) - キリンラガーが熱処理しない方式のラガービールに品質改良する際のキャッチコピー。
  • 「ビールにも21世紀はやってくる」(1997年)-「うまい!キリン」は1997年12月17日朝刊にも使われていた。
  • 「この国には、キリンラガービールがあります。」(1998年)
  • 「うまい!キリン」(1999年 - 2002年) - 2000年以降は、サウンドロゴを表示しなくなった。
  • 「うれしいを、つぎつぎと。KIRIN」(2003年 - 2006年) - サウンドロゴは、どの商品にも公表している。
  • 「時代は変わる、ラガーは変わるな、キリンラガービール」(2006年 - )
  • 「おいしさを笑顔に KIRIN」(2007年 - ) - スポンサークレジットは『KIRIN キリンビール』に変更。キリンビバレッジなどグループ各社もこのスローガンに統一。サウンドロゴは2008年まではCMの最後に表示されていたが、2009年からは「キリン![注釈 4]」のサウンドロゴへのリニューアルと同時にCM冒頭に表示されるようになった(新聞などの広告では、バドワイザー・ハイネケン・アルカリイオンの水・小岩井・トロピカーナ・ボルヴィックでは使用されていない)。
  • 「親。子。人は続く。キリンビール」(2008年 - )
  • 「NIPPON ICHIBAN ニッポンを楽しもう。」(2009年 - ) - 一番搾りのキャッチコピー。
  • 「ガツン!とくる。それがビール。キリンラガービール。」(2010年)
  • 「よろこびがつなぐ世界へ KIRIN」(2019年2月 - ) - 2019年2月14日に麒麟麦酒を含むキリングループ共通のコーポレートスローガンとして新たに制定。ちなみに、コーポレートロゴもマイナーチェンジされ、「KIRIN」ロゴの左隣に麒麟のイラストが追加された[20]
※ なお、コーポレート・スローガンやキャッチフレーズではないが、2006年10月から、全ての酒類系飲料のCMにおいて、『飲酒運転は法律で禁止されています。』という字幕がサウンドロゴに併記されるようになった。ただし、2007年から共通のサウンドロゴをキリンビバレッジ(アルカリイオンの水・小岩井・トロピカーナ・ボルヴィックの各ブランドを除く)でも使用する関係で字幕を外すことになり、代わってCM本編内に字幕を表示している[注釈 5]

各地域のキャッチコピー

キリンビールは全国各地に統括支社を設置し、その地域に合わせたキャンペーン活動を展開している。

商品

事業所

本部機能

本社
東京都中野区中野4-10-2 中野セントラルパークサウス(中野四季の都市JR東日本中央線(快速)中央・総武緩行線東京メトロ東西線中野駅」北口より徒歩約5分。

かつて存在した旧原宿本社は、もともと医薬品事業の統括を行っていた事務所であり、持株会社制移行で新麒麟麦酒(キリンビール)が酒類に専念することとなったため、キリンファーマ本社を経て、協和発酵キリンの事業部などグループ企業が入居していたが、2009年平成21年)8月、キリンビール本体の営業本部が原宿に再移転した(登記上の本店は中央区新川に残る)。2013年(平成25年)5月までに本社・登記上の本店を中野に移転した後、原宿本社ビルと新川ビルは売却され、旧原宿本社ビル跡には、佐賀県に本部を置き九州を中心に医療施設を展開する一般社団法人巨樹の会による医療施設「原宿リハビリテーション病院」が2015年(平成27年)3月に開業した。

工場

現行の工場一覧[21][22][23]
工場名 工場
番号
操業年 住所 飲食施設 備考
北海道千歳工場 31 1986年 北海道千歳市上長都949-1 ハウベ かつては清涼飲料専門工場であり、社内では「レモン工場」と呼ばれていた。
仙台工場 14 1923年 宮城県仙台市宮城野区港2-2-1 キリンビアポート仙台 1919年に仙台で創業した東洋醸造(フジビール)を買収し、1923年より同社工場を当社3番目の工場とした[24]。1983年に現在地に移転[24]仙台臨海鉄道仙台西港駅から専用鉄道が通じる。
取手工場 24 1970年 茨城県取手市大字桑原188-1
横浜工場 28 1926年 神奈川県横浜市鶴見区生麦1-17-1 SPRING VALLEY BREWERY YOKOHAMA(スプリングバレーブルワリー横浜)
キリンビアポート横浜
本社工場(山手工場、旧スプリング・バレー・ブルワリー)を関東大震災の被災のため移転[11]
名古屋工場 12 1962年 愛知県清須市寺野花笠100 BREWER'S HOUSE(ブルワーズハウス)
滋賀工場 17 1974年 滋賀県犬上郡多賀町大字敏満寺字犬掛1600
神戸工場 11 1997年 兵庫県神戸市北区赤松台2-1-1 丘の上のビアレストラン 尼崎工場(後述)の後継工場として操業。
岡山工場 15 1972年 岡山県岡山市東区瀬戸町万富678
福岡工場 61 1966年 福岡県朝倉市馬田字上原3601 キリンビアファーム

鉄道輸送

麦芽輸送のイメージ】  粒状の化学樹脂や、各種類の穀物を牽引トラクターに特別に装備されている装置で、積載されたコンテナをそのままダンプカーのように持ち上げて、効率よく排出する。(岡山/倉敷市内)

麒麟麦酒は鉄道貨物との繋がりが深く、1984年昭和59年)2月「59・2」ダイヤ改正まではほとんどの工場で専用線を所有していた。この専用線を使って、ワム80000形貨車(ビール輸送専用番台)による製品輸送や、私有貨車国鉄ホキ9800形貨車)によるビール原料である麦芽の鉄道貨物輸送を行っていた。

その後、輸送に関わっていた従来の鉄道貨車は全て廃棄されて、現在は唯一専用線が残っている仙台工場のみ、鉄道コンテナによる製品出荷を行なっている。なお、従来ホッパ貨車で大量に輸送されていた麦芽は、国内産品は契約運送会社のバルク車で納入し、大半を占める輸入品は全量をコンテナ内部に大きな袋を吊るした海上コンテナを使い、全国の工場で納入されている。

営業関係の拠点は分社実施により全て新会社「キリンビールマーケティング」に移され、現在麒麟麦酒本体に残るのは商品の開発・製造に関係する拠点のみである。なお、両社とも本部機能は中野四季の都市に置く。

かつて存在した工場

旧本社工場(現在の横浜工場)について

  • 現在の横浜工場は、関東大震災で崩壊した旧本社工場(旧スプリング・バレー・ブルワリー、横浜市山手天沼=現在の中区千代崎町)を移転する形で開設された[27]。そのため、キリンビール関係者は横浜工場を「現存するビール工場としては日本で一番伝統がある工場である」「日本で最初のビール工場を引き継いでいる」と説明している。
  • 旧本社工場跡は、今は「キリン園」という公園と横浜市立北方小学校になっており、キリン園には「麒麟麦酒開源記念碑」と「文化遺跡 日本最初麦酒工場(横浜市建立)」の記念碑が建っており、小学校の校庭にはビール井戸が二つ残っている。
  • コープランドが旧本社工場用地を天沼に決定した理由は、山腹からわき出る清水の味からだと言われている[27]。スプリング・バレーの語源もそこから来ている。
  • 旧スプリング・バレー・ブルワリーで造られたビールは、当時の広告からは、上面発酵の 3種(ペールエール、ポーター、ジンジャエール)と下面発酵の3種(ラガービール、ババリアンビール、ボックビール)の計6種類であったことが確認されている。商品名としては、「ババリアンビール」、「ラガービール」、「横浜ビール」などとつけられていたが、当時の日本人には外国語はなじまなかった。そのため、「麒麟」ブランドが誕生するまでは、工場の地名にちなみ「天沼ビアザケ」と呼ばれていた。また、工場の横の道路は「ビアザケ通り」と呼ばれていた。
  • 旧スプリング・バレー・ブルワリーには、冷凍機がなかった。そのため、発酵温度を低く保たなければならないラガービールは10月から3月までの寒い時期に仕込みが行われ、夏季は醸造所敷地内の横穴で貯蔵し、主に夏から秋にかけて出荷された。
  • 横浜工場には旧スプリング・バレー・ブルワリーを再現した建物があり、1991年にオープンした。明治時代当時の資料を参考に作られた地ビール醸造設備があった(後に工場内の醸造設備として、近代化・大規模化した)。また、そこにある設備で醸造したクラフトビールを提供するビアレストラン(パブブルワリー)「SPRING VALLEY BREWERY YOKOHAMA(スプリングバレーブルワリー横浜)」が併設されている。
  • 2005年(平成17年)秋に現在のキリンビール創立100周年記念として、コープランド醸造の「ラガービール」(天沼ビアザケ)が約135年ぶりに横浜工場で復元され、2006年(平成18年)に横浜工場見学者限定の試飲キャンペーンを実施。2007年(平成19年)春季に非売品ながら瓶詰めとしてキャンペーンの当選者にプレゼントされた。
  • 横浜工場・横浜支社では、創業者のコープランドの命日(2月11日)と6月[注釈 9] に彼の墓前(横浜の外国人墓地)で、最新のビールを供え、会社の発展を祈る墓前祭を行っている[27]。2006年(平成18年)からは、コープランドが醸造したものを復元したラガービールも供えられている。なお、1902年(明治35年)のコープランドの葬儀の一切は、スプリング・バレー・ブルワリー社の後身でキリンビールの前身であるジャパン・ブルワリー社が取り仕切った。

グループ会社

外縁・関係会社

広報活動

スポーツ

1995年よりサッカー日本代表公式スポンサーを務める。元々は前述のキリン原宿本社ビルが、山手線の線路を挟んで当時日本サッカー協会(JFA)が入居していた岸記念体育会館と向かい合わせだったという縁から、1978年にJFAが開催した「ジャパンカップ」に協賛したことがきっかけ。ジャパンカップは1985年に「キリンカップサッカー」と大会名を改め、現在に至るまで協賛を続けている。また2001年からはサッカー日本女子代表2007年からはフットサル・ビーチサッカー日本代表にもカテゴリーを拡大[28]、さらに2023年1月より日本代表のみならずJFAの全ての事業を支援するカテゴリー最高位の「JFAオフィシャルパートナー」契約を締結した[29]

日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーでもあったが、サッカーの国内プロ化以前から支援していたサッカーへのサポートに専念するため、2008年度(平成20年度)いっぱいで契約を打ち切った[30](その後、アサヒビールに変更)。また2007年(平成19年)まではバスケットボール男子日本代表のスポンサーでもあった。

芸術

キリンアートアワード開催やKPOキリンプラザ大阪での展示会など、現代アートへの寄与を行っていた。2007年(平成19年)11月1日以降の芸術文化支援はキリンホールディングス株式会社が主体となっている[31]

パフォーミングアートのイベント協賛として、静岡県静岡市で毎年秋に開催される「大道芸ワールドカップin静岡」に、静岡支社(旧静岡統括支社)が第二回目から協賛している。

歴代キャンペーンガール

1990年(平成2年)から2003年(平成15年)まで、自社のキャンペーンガールを選出していた。

CMキャラクター

テレビ提供番組

提供クレジットは2006年(平成18年)まで「KIRIN」だったが、2007年(平成19年)から「KIRIN キリンビール」と表示されるようになった。現在は、「(麒麟のイラスト)KIRIN」と表示されている。提供案内は「キリンビール・キリンビバレッジの提供でお送りします・しました」と言う。また、希にグループ会社のメルシャンの製品CMも流れることもある。

2013年(平成25年)10月から2015年3月までは、一社提供・大筆頭番組を除き常時提供する番組は報道番組のみになり、その他の番組には不定期スポンサーとして幅広く提供していた。

現在
筆頭提供(大筆頭)の番組では「よろこびがつなぐ世界へ KIRIN」とクレジットされる。
一社提供
提供枠が1分
提供枠が30秒
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
  • 報道ステーション ※月曜から木曜の後半のナショナルスポンサー。ただしPT扱い。かつては月曜のみで、30秒提供だが「キリンビール」のコールがあった。しかし、2017年4月改編で月曜は降板。火・水曜は提供継続。その後2019年4月改編で月曜は復帰したが、2022年9月をもって再び降板。水・木曜は提供継続もいずれも番組の前半か中間に移動[注釈 48][注釈 49]
    2007年3月26日付けで降板し、2007年4月以降は「日曜洋画劇場」へ移動、その後復帰し現在に至る。2012年10月 - 12月は一時的に降板していた。
  • サタデーステーション ※不定期で前半と後半の枠を入れ替え。ただしPT扱い。
  • ポツンと一軒家朝日放送テレビ制作) ※隔週で前後半入れ替え。
TBS系列
テレビ東京系列
フジテレビ系列
その他
過去

ほか多数

ラジオ提供番組

一方のラジオでの番組提供はほとんどプロ野球中継の曜日別スポンサーでの提供契約が多かったため10月-翌年3月はスポットでの広告展開になっていたが、いつかは不明だが、FMでも広告を出稿する様になってからは通年通しでラジオCMが流れるようになった。しかし、未成年の飲酒やドライバーの飲酒運転が社会問題へ発展し、テレビ同様ビール・酒造組合からビールCMの広告展開の見直しが現在要求されている。それを見越して、一部の放送局では提供番組をプロ野球中継から音楽番組へ切り替えている。また、かつて地ビールのラジオCMが地域ごとに流されていたこともあった。

現在
過去

ディズニー

出身著名人

トリビア

スポーツ新聞の1頁目題字の段に、遅くとも1980年代の初め頃まで、キリンビールのビンの王冠の写真をデザインし、その上に「品質本位」という広告が掲載されてあった。

ビール瓶アルミ缶・流通用段ボール箱等の形について、国内の同業他社(アサヒ・サッポロ・サントリー)が基本的に共通規格のものを用いているのに対し、キリンビールは独自規格品を使用している。理由としては軽量化やコスト削減の他、ビール瓶については「伝統の『なで肩』を守る」という目的もあるという[34]。なお、一般的な太さのアルミ缶は、1995年頃から上部の直径が狭い「204径缶」を日本で初めて採用[注釈 59] している他、飲み口の幅が広い広口缶(キリンでの名称は「飲み口ワイド缶」)も、他社では2000年代に入ってから採用されたのに対し、キリンでは1997年より「ビール工場」と「LA2.5」で日本で初めて採用し、1998年には135ml缶を除く全商品で採用している。このように独自規格のパッケージを開発するため、社内には「パッケージング技術開発センター」が設けられており、瓶・缶の軽量化やCO2排出量削減を継続的に行っている[35]

三菱系の関連会社内部での宴会や接待等でのビールはキリンに限られるという不文律があった(社内で使用する文房具には(本当はグループ会社ではないのだが)三菱鉛筆の製品が選ばれるというのと同様)。

脚注

注釈

  1. ^ サントリーは、2009年の持株会社制移行と同時にこの再編を実施。グループ内で完全独立させたワイン以外の酒類について「製販分離」に踏み切ったが、商品ではキリン同様引き続き製造元のサントリー酒類(初代)が発売元となっている。アサヒビールは本業こそ「製販一体」であるが、琉球・奄美外におけるオリオンビールを含めたグループの酒造メーカーについて「製販分離」を導入し、こちらはより踏み込んでアサヒビールが販売を行うことを商品に明示している。サッポロビールは持株会社制移行後も引き続き「製販一体」を維持。
  2. ^ なお、サントリーグループの場合は2014年(平成26年)10月に組織再編が行われ、製造部門のサントリー酒類(初代)のうち、ビール部門をサントリービールとして独立。販売部門のサントリービア&スピリッツはワイン部門のサントリーワインインターナショナルから営業権を譲り受けたことで、製造部門はビール・ワイン・それ以外の3社体制に、販売部門はサントリービア&スピリッツの一社体制となった。この事業内容の変更に伴い、2015年(平成27年)1月にワイン・ビール以外の製造部門であるサントリー酒類(初代)はサントリースピリッツに、販売部門のサントリービア&スピリッツはサントリー酒類(2代目)にそれぞれ社名変更している。
  3. ^ 花見編と野球編の2パターンで使用。
  4. ^ 30秒バージョンではコーポレートスローガンと同一で「おいしさを笑顔に キリン!」となる。なお、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で同年3月末まで一切の広告活動を自粛していたが、4月1日に再開してからは「キリン!」の部分を無音にしたバージョンに差し替えられた。
  5. ^ その後2014年1月1日深夜放送の「NNNニュース&スポーツ」(「NEWS ZERO」の年末年始休止による代替最終ニュース)のカウキャッチャーよりサウンドロゴが後ろに繰り下がってCM素材もそれに合わせてリニューアルされた。その後三が日明けより他局でも順次CMがリニューアルされている。なお、ラジオの提供番組では2014年1月よりサウンドロゴが消滅している。
  6. ^ 紀州弁で「一緒に飲もうキリン!」という意味。
  7. ^ 土佐弁で「(味や生き方など、いろいろと)薄いのは、駄目だ!」という意味。
  8. ^ 博多弁で「好きだ!福岡」という意味。
  9. ^ 6月のものはレストラン山手十番館のビアガーデンがオープンすることに合わせて、行われている。墓前祭の後にはコープランドビール祭りという懇親会が行われており、これは、キリンビールは後援者となっている。
  10. ^ かつて「キリンラガー」や「麒麟淡麗〈生〉」のCMにも出演していた。
  11. ^ ビバレッジ「生茶」のCMにも出演中。
  12. ^ 2016年は「淡麗グリーンラベル」のCMに出演。
  13. ^ 2017年は「ビターズ」のCMにも出演。ビバレッジ「FIRE」のCMにも出演していた。
  14. ^ 過去に「ビターズ」のCMに出演。
  15. ^ かつて「一番搾り」のCMにも出演していた。
  16. ^ かつて「のどごしオールライト」のCMにも出演していた。
  17. ^ ビバレッジ「FIRE」のCMにも出演中。
  18. ^ かつて「キリンラガー」「淡麗」やビバレッジ「FIRE」のCMにも出演していた。
  19. ^ かつてキリンフリーのCMに出演
  20. ^ 過去に「氷結」「旅する氷結」「本麒麟」「零ICHI」のCMに出演。ビバレッジ「生茶」のCMにも出演中。
  21. ^ かつて「淡麗プラチナダブル」のCMにも出演していた。
  22. ^ かつて「コクの時間」やビバレッジ「別格」(※父・松本幸四郎と共演)のCMにも出演していた。
  23. ^ 並行してダイドードリンコブレンドコーヒー」CMに出演していた時期があった。
  24. ^ 2011年キャンペーン「選ぼう ニッポンのうまい!2011」にも出演。大野智相葉雅紀はビバレッジ「メッツコーラ」のCMにも出演。またビバレッジ「午後の紅茶」のCMでは、2015年3月からCMソングに2007年のヒット曲「Love so sweet」が使用されている他、2016年2月より松本潤がCMに出演している。
  25. ^ ビバレッジ「午後の紅茶」のCMにも出演していた。
  26. ^ 並行してヤクルト本社企業CMにも出演中。かつてビバレッジ「FIRE」のCMにも出演していた。
  27. ^ 楽曲のみ。
  28. ^ かつてビバレッジ「アミノサプリ」のCMにも出演していた。
  29. ^ かつてビバレッジ「キリンの泡」のCMにも出演していた。
  30. ^ ビバレッジ「FIRE」のCMにも出演していた。
  31. ^ ビバレッジ「生茶」のCMにも出演していた。
  32. ^ かつて七代目市川染五郎時代にキリンビールブランドCMに九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)と親子共演していた。
  33. ^ ビバレッジ「午後の紅茶」のCMにも出演していた。
  34. ^ 加藤茶小林幸子上妻宏光、CM音楽を担当した東京スカパラダイスオーケストラがゲスト出演している。
  35. ^ 過去にビバレッジ「生茶」「iMUSE」のCMにも出演。
  36. ^ かつて「キリンラガー」「8月のキリン」「麦のごちそう」のCMにも出演していた。
  37. ^ かつて、カウキャッチャーで提供していた『ユアタイム』(フジテレビ)のメインパートナーだった。
  38. ^ かつてビバレッジ「午後の紅茶」のCMに出演していた。
  39. ^ 作品・放送内容等によっては提供クレジットを自粛する場合やヒッチハイク扱いになることがある。
  40. ^ かつては同業者のサントリーアサヒビールが提供していた。
  41. ^ なお、2022年7月8日の『Nスタnews23緊急特別番組』の通常時間帯では、PT扱いがCM自粛拒否のためACジャパンに差し替え。2023年5月12日は、当初60秒特別CMを放映予定だったが、CMが放送中止になりACジャパンに提クレ表示もCM自粛拒否で差し替え(ACジャパンが差し替えなのは、2回目であった。)
  42. ^ 年末年始の『NNN NEWS&SPORTS』(最終版 ※12月31日除く)のカウキャッチャーも提供。※但し、どちらもUMKを除く。
  43. ^ 別パートで同業者のアサヒビールも提供している。嘗てはキリンビバレッジも提供していた。2020年10月4日より絨毯つきのカラー表記。
  44. ^ 2022年7月10日放送分では、提クレ表示もCM自粛拒否のためACジャパンに差し替え。
  45. ^ 『news zero』と1日置きで提供。自主規制の関係上、CMは18時以降の放送となる。
  46. ^ ただし、放送時間が前倒しの場合は別のスポンサーに差し替え。
  47. ^ なお、2020年12月25日(金曜・P&G筆頭パート)・2021年9月29日(水曜・P&G筆頭パート)・2021年11月22日(月曜・P&G筆頭パート)・2022年7月11日(月曜・ヤマダ電機パート)・2022年12月16日(金曜・ヤマダ電機パート)はAC JAPANに差し替え
  48. ^ 火曜についてはキリンビバレッジが提供継続もPT扱い。
  49. ^ 後半枠の後継は火曜がアメリカン・エキスプレス、水曜が月曜前半から中間枠に移動のグッドイヤー、木曜はトヨタ自動車
  50. ^ それまでだったアウディから引き継いだ、現在は大正製薬に交代。再びユピテルから引き継いだ、嘗ては同業の三和酒類が提供していた。
  51. ^ 2022年7月9日の2時間SP放送分では、ACジャパンに提クレ表示も差し替え。
  52. ^ 作品・内容によって不定期でPT扱いの場合あり。アニメを放送する場合は2021年まで提供拒否となっていた。2022年以降はPT扱いとなる。
  53. ^ 2022年7月9日放送分は提クレ表示もACジャパンに差し替え。
  54. ^ 作品によってPT扱いになった。
  55. ^ 2017年4月から2019年9月までは隔日提供。
  56. ^ 番組の性質上、作品・放送内容等によっては提供クレジットを自粛することがある。
  57. ^ 放送時間の関係上。
  58. ^ 2007年1月6日の放送から2017年3月までは一社提供。2017年4月から2020年3月までは損保ジャパンと、2020年4月から2022年9月まではHEBEL HAUSと共同提供。いずれも2分だった(最末期はキリンビバレッジと交互にCMを流していた)が2022年9月で降板。
  59. ^ サッポロビールは2008年から、サントリーは2009年から、アサヒビールは2013年から2015年にかけて順次「204径缶」を採用している

出典

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関連項目

外部リンク