WNET
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都市 | ニュージャージー州ニューアーク |
ブランディング | THIRTEEN |
チャンネル | デジタル: 12(VHF)、WNDT-CDと共有 仮想: 13 |
系列 | |
所有者 | WNETグループ(The WNET Group) (WNET) |
初放送 | 1948年5月15日 |
識別信号の 意味 | National Educational Television(PBSの前身) |
姉妹局 | NJ PBS、WEER、WLIW、 WLIW-FM、WMBQ-CD、WNDT-CD |
旧コールサイン |
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旧チャンネル番号 |
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旧系列 |
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送信所出力 | 6.5 kW |
高度 | 507.8 m (1,666 ft) |
Facility ID | 18795 |
送信所座標 | 北緯40度42分46.8秒 西経74度0分47.3秒 / 北緯40.713000度 西経74.013139度 |
免許機関 | FCC |
公開免許情報: | Profile CDBS |
WNET(チャンネル13)は、「Thirteen」(「THIRTEEN」と表記)というブランド名で、アメリカ・ニュージャージー州ニューアークに免許を持ち、ニューヨーク市エリアにサービスを提供している主要な公共放送サービス(PBS)メンバーのテレビ放送局。WNETグループ(The WNET Group、旧称:エデュケーショナル・ブロードキャスティング・コーポレーション(Educational Broadcasting Corporation)、後にWNET.orgに改名)が所有しており[1]、この地域の二次PBSメンバーであるニューヨーク州ガーデンシティの免許を持つWLIW(チャンネル21)と、2つのクラスA局であるWMBQ-CD(チャンネル46)とWNDT-CD(チャンネル14、WNETとスペクトルを共有)の姉妹局である。WNETグループは、アウトソーシング契約を通じて、ニュージャージー州のPBS州域ネットワークNJ PBSとウェブサイト「NJ Spotlight」も運営している。
WNETとWLIWは、マンハッタンのミッドタウンにあるワン・ワールドワイド・プラザのスタジオを共有しており、マンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドにあるリンカーン・センターコンプレックスの地上階の補助スタジオも共有している。WNETの送信所はワン・ワールド・トレード・センターにある[2]。
歴史
独立局(1948年〜1962年)
1948年5月15日にニュージャージー州ウェストオレンジのファースト・マウンテン(First Mountain)頂上にある送信所から、ブレマー・ブロードキャスティング・コーポレーション(Bremer Broadcasting Corporation)の子会社であるアトランティック・テレビジョン(Atlantic Television)が所有する民間テレビ局「WATV」として放送を開始した[3][4]。CEOのフランク・V・ブレマー(Frank V. Bremer)は、ノースジャージーのラジオ局WAAT(970 AM)とWAAT-FM(94.7 MHz)も所有していた。3つの放送局は、ニューアークのブロード・ストリート1020番地(1020 Broad Street)にあるモスク・シアターに拠点を置いていた。WATVは、1948年にニューヨーク市のテレビ市場で放送を開始した3つの新しい放送局のうち最初のものであり、また最初の独立放送局でもあった。珍しい昼間の番組『Daywatch(デイウォッチ)』は、通信社のニュース記事を印刷するテレタイプライターにカメラを合わせ、軽快な音楽のサウンドトラックに合わせて機械仕掛けのおもちゃの映像を挟み込むという内容だった。同局の初期のシリーズとしては他に『スターダムへの階段』(1950年 - 1951年)があり、アフリカ系アメリカ人のホストが出演する最初のテレビシリーズの1つであった。1953年11月に送信所がエンパイア・ステート・ビルディングに移された[5]。
1957年10月6日、ブレマー・ブロードキャスティングは、テレビ向け映画の初期の配給会社であるナショナル・テレフィルム・アソシエイツ(NTA)に350万ドルで同局を売却し、NTAフィルム・ネットワークに加わったと発表した[6][7]。1958年5月7日、チャンネル13のコールサインは新しい所有者を反映して「WNTA-TV」に変更され、ラジオ局もこのコールレターを採用した。NTAの資金力により、WNTAは他の民間テレビ局に比べてニュージャージー州の人々や出来事に重点を置いた番組スケジュールを制作することができた[8]。NTAはまた、チャンネル13を新しい商業ネットワークの中心にしようとしたが、NTAフィルム・ネットワークの運営期間中、1957年から1958年にかけての金曜夜に1晩だけ「パターン化された」ネットワーク番組を提供しただけであり、WNTAは殆どの場合、全国的にシンジケートされた番組のニューヨークショーケースとして機能し、アンソロジードラマシリーズ『Play of the Week(プレイ・オブ・ザ・ウィーク)』、デイビッド・サスキンドがホストを務めるトーク番組『オープン・エンド』、子供向け番組『ザ・マジック・クラウン』、クレイ・コールがホストを務める人気のダンス番組など、いくつかのそのような番組を制作した。同局は視聴者数の点でニューヨークの他の独立放送局、WNEW-TV(チャンネル5)、WOR-TV(チャンネル9)、WPIX(チャンネル11)に引き続き遅れをとり、NTAは多額の負債を抱えた。ナショナル・テレフィルム・アソシエイツは1961年2月にWNTA放送局群を売りに出した[9]。
移行(1961年~1962年)
少なくとも3人の購入希望者がWNTAに興味を示した。最も目立っていたのは、ニューヨーク市を拠点とする団体「エデュケーショナル・テレビジョン・フォー・ザ・メトロポリタン・エリア(Educational Television for the Metropolitan Area、ETMA)」で、チャンネル13をニューヨーク市の教育放送局にしようと考えていた実業家、文化指導者、教育者の連合体だった。この時までに、連邦通信委員会(FCC)が当初この都市に割り当てた非商用周波数(UHFチャンネル25)では、北はコネチカット州フェアフィールド郡から南はニュージャージー州オーシャン郡まで広がる市場をカバーするのに全く不十分であることは明らかだった。1961年に可決された全チャンネル受信機法に基づき、FCCがテレビ製造業者に新しいセットにUHFチューナーを搭載することを義務付けた1964年以前は、殆どの視聴者は高価なコンバーターを使用しない限りUHF放送局を視聴できず、UHFチューニングを内蔵したセットを製造していた製造業者は僅かだった。UHF局にアクセスできる人にとっても、最良の条件下でも受信状態は限界に達していた。
1957年、ブレマー・ブロードキャスティングが最初に同局を売りに出した際、ETMAはニューヨーク州大学校の支援を受けて、チャンネル13を購入し非営利放送局に転換しようと試みたが[10]、この入札は後に取り下げられた。この時、ETMAは、NTAを辞任した後に放送局を買収するシンジケートを結成したNTA創設会長のエリー・ランドー、及びパラマウント・ピクチャーズから資金援助を受けたデイビッド・サスキンドと競っていた[11]。
ETMAの当初の400万ドルの入札はNTAによって拒否されたが[12]、市民グループは粘り強く要求し続けた。ETMAは、ナショナル・エデュケーショナル・テレビジョン(NET)の支援と指導を受けて、後に、新任のFCC議長ニュートン・N・ミノウの支持を受け、チャンネル13の運命について議論する公聴会を開催した。状況はすぐにチャンネル13が非営利化に向かう方向に変わり、商業的な参入者たちは関心を撤回した[13]。
1961年6月29日、ETMAはWNTAを620万ドルで買収することに合意した[14]。そのうち約200万ドルは、市内に残る6つの商用VHF放送局のうち5つ(WPIXだけが反対)から出たもので、どの放送局も競合局が排除されたことを喜んでいた[15]。さらに、CBSは後にマンハッタンの施設をETMAとNETにスタジオとして使用するために寄贈した。FCCは10月に移管を承認し、チャンネル13の商業ライセンスを非商業ライセンスに変更した[16]。
退任するニュージャージー州知事のロバート・B・メイナーは、ニュージャージー州特有の番組の継続に対する州議会議員の懸念に対処し、FCCがチャンネル13の割り当てをニューヨーク市に移すことを恐れて[17]、1961年9月6日に合衆国控訴裁判所にWNTA-TVの売却を阻止するよう請願した。裁判所は2ヶ月後に州側に有利な判決を下した[18]。
この未解決の取引により、ナショナル・テレフィルム・アソシエイツは放送局の売却決定を完全に再考するところだったが、NTAは前進する計画を立てた。WNTA-TVは、1962年の初シーズンにプロ野球チームのニューヨーク・メッツの放映権を獲得しようと動いた[19]。取引を完了するか、取り消すかという問題に直面したETMAは、1961年12月4日にニュージャージー州当局との意見の相違を解決した[20]。土壇場でいくつかの問題が発生してさらに遅延が発生した後、移管は12月22日に確定した[21][22]。その日の夕方遅く、WNTA-TVは最後に放送を終了した。その後、ETMAとNETは同局の転換に着手し、3ヶ月以内に新しい教育形式で放送を再開すると発表した。
10ヶ月後、チャンネル13は新しいコールレター「WNDT」(「New Dimensions in Television(テレビの新たな次元)」の略)のもとで生まれ変わる準備が整った。当時の情報庁長官のエドワード・R・マローが最初の放送のホストを務め、ETMA(現:エデュケーショナル・ブロードキャスティング・コーポレーション(Educational Broadcasting Corporation))が1962年9月16日に放送を開始した[21][13][23][24][25]。チャンネル13がWNDTとして復活したことで、ニューヨーク市市場に初の教育放送局が誕生し、切望されていたVHFバンドのダイヤル位置も確保された(大都市を含む他の多くの都市では、教育放送局はUHF周波数で間に合わせなければならなかった)。一方、ニューヨークの非営利UHFチャンネルは、4年半後の1967年4月にWNYE-TVとして放送を開始した。WNDTの初代ゼネラルマネージャーにリチャード・ヘフナーが任命され、初年度はその職を務めた。ヘフナーは2013年12月に亡くなるまで、公共政策番組『ジ・オープン・マインド』のプロデューサー兼ホストとしてチャンネル13に出演し続けた[26]。
教育・公共テレビ放送局(1962年~現在)
移行期間中、そして初回放送後、WNDTは直ちに危機に直面した。アメリカテレビ・ラジオ芸術家連盟(AFTRA)は、非営利テレビでの教師(一部は組合認定の出演者)の使用、及び彼らの作品が全国的に配信された場合の報酬について懸念していた。
AFTRAはWNDTのデビュー日の朝にストライキを呼びかけた。国際電気労働者友愛会(IBEW)に所属するエンジニアや技術者らはAFTRAのピケラインを越えることを拒否し、3時間に及ぶ初回放送の制作を同局の経営陣とその他の非組合員従業員に任せた。その後すぐに、ストライキが2週間近く続いたため、チャンネル13は再び放送を停止した[21][27][28]。ストライキ中の労働者は10日後にWNDTを放送再開させ[29]、9月28日に労働争議は解決した[30]。しかし、放送局の財源は枯渇し、運営を継続するためにフォード財団からの資金注入が必要となった[21][31]。
NETは当初、WNDTとの事業統合を望んでいた。統合すれば、同局は直接資金を得られるだけでなく、チャンネル13がNETの旗艦局になるはずだった。両グループを支援していたフォード財団は、1962年と1965年の少なくとも2回、合併案を阻止した。
1967年に始まった出来事により、フォード財団は立場を変え、WNDTとNETの合併を推進するようになった。新しく設立された公共放送機構(CPB、合衆国議会の法令により設立)は当初、NETのネットワークの役割をサポートし、番組制作に政府資金を提供していた。しかし、その動きの2年後には、CPB独自の配信システムとして公共放送サービス(PBS)が設立され、NETの領域に直接的な脅威となった。CPBの設立は、NETによる物議を醸すドキュメンタリーの制作を抑制し、物議を醸すことが少なく、政府に友好的で、特にジョンソン政権、その後のニクソン政権に対して敵対的ではない放送会社に置き換える試みだったと示唆されている(NETは要求を無視し、批評家から絶賛されたドキュメンタリーの制作を続けた)。ある時点で、ニクソン大統領は、NETのドキュメンタリーが自身の政権、特にベトナム戦争への対応を批判していることに不満を抱き、NETの2,000万ドルの助成金をほぼ半分に削減しようとした[32]。このため、フォード財団とCPBは1970年初頭に、NETがWNDTと事業を統合しない限り資金援助を停止すると脅迫した。その後間もなく、フォード財団がWNDTとNETの合併を仲介し、合併は1970年6月29日に発効した[33]。チャンネル13のコールサインは1970年10月1日に現在の「WNET」に変更された[34]。NETは3日後にネットワークの運用を停止し、翌日にはPBSが引き継いだ。1972年初頭まで、同局は「NET」ブランドで全国PBSスケジュール向けの番組をいくつか制作し続け、その後「WNET/13」番組として識別されるようになった[35]。同年後半には、同社の全国及び地方の別々の制作施設が正式に統合された[36]。
合併後、デイビッド・ロクストンはロックフェラー財団とニューヨーク州芸術評議会(New York State Council on the Arts)の支援を受けて1972年にTV Labを設立した[21]。TV Labはアーティスト・イン・レジデンス・プログラムを通じてアーティストにビデオ作品を制作するための機材を提供した。インディペンデント・ドキュメンタリー基金(Independent Documentary Fund)とビデオ・テープ・レビュー(Video Tape Review)シリーズはどちらもTV Labの制作だった。TV LabはCPBが資金を引き揚げた1984年に終了した。
1979年以来、オンエアでは「Thirteen」として知られてきた。1990年代後半まで、引き続きニューアークを法的IDに含めていた(ただし、全国放送のロゴは「New York」となっている)。それ以降、主に「New York」として識別されているが、法的にはニューアークにライセンスされている[要出典]。
非営利放送局となった後も、チャンネル13はニューアークのモスク・シアターに元々のスタジオとオフィスを維持した。最終的に、同じくニューアークにあるゲートウェイ・センター(Gateway Center)オフィスビルに移転した。1982年、ニューヨーク地域の代表的な公共テレビ局になってから20年以上経った後、マンハッタンの西58丁目237番地(237 West 58th Street)にあるハドソン・ホテルに業務を移転したが、ゲートウェイ・センタースタジオはさらに数年間維持された。
1987年、チャンネル13は創立25周年を記念して、『サーティーン・リビジテッド』と題した古い番組の再放送シリーズを放送した[37]。
1998年、ペンシルベニア駅に続く鉄道の線路沿いの西33丁目450番地に移転した。
チャンネル13の送信施設は、新しく設置されたデジタル送信システムも含めて、2001年9月11日の同時多発テロ攻撃で破壊された。チャンネル13の主任送信技師、ジェラルド・(ロッド・)コッポラ(Gerard (Rod) Coppola)は、ノースタワーの崩壊時に亡くなった人々の一人だった。コッポラの遺体は同年12月25日に発見された[38]。その後10ヶ月間、ブルックリンに本社を置くWNYE-TVがWNETの代理送信所及び電波となり、ケーブルテレビのない人々のために、チャンネル13がエンパイア・ステート・ビルディングに送信設備を復旧するまで、WNETのプライムタイムスケジュールの再放送がWNYEで放送された。
その後しばらくして、2003年2月にWNETはロングアイランドのPBSメンバー局WLIW(ガーデンシティに免許を持ち、プレインビューに拠点を置く)との合併を完了し、2つの放送局を1つの運営に統合した[21]。2つの放送局の運営の殆どは統合されたが、スタジオ設備、運営委員会はそれぞれ別々であり、資金調達活動も別々に行われている。
2009年、WNETの親会社であるWNET.orgは財政難に陥り、1月には予算と資金調達の深刻な問題により従業員数を500人から415人に削減した。10月にWNETは、余分なスペースが不要になったため、西33丁目450番地にあるスタジオを近々売りに出すと発表した。11月、WNET.orgの全従業員がクリスマスから元日までの3〜5日間、無給休暇を取ると発表した。その間、WNETの放送を維持するために最小限のエンジニアが残るが、彼らも2010年の初めには休暇を取る必要があった[39]。2011年、スタジオとオフィスをワールドワイド・プラザに移転した。
2009年6月12日からデジタルのみの放送を行っている[40][41][42]。
2011年7月1日、ニュージャージー・ネットワークのテレビ局の番組編成を引き継ぎ、NJTV(現:NJ PBS)としてリニューアルした。同ネットワークでは、ニュージャージー州に関連するニュースや問題、及びWNETとPBSライブラリからの番組の報道を強化している。WNETへの番組の移管は、ニュージャージー州政府の公共放送からの撤退に関するクリス・クリスティ知事の計画の一部であった[43]。この契約の一環として、WNETは、ニューアークに割り当てられた周波数で引き続き放送されているため、地元番組の義務を果たすために、NJTVの州全体の夜間ニュース番組『NJトゥデイ(NJ Today)』(2013年11月4日に『NJTVニュース(NJTV News)』に改名)を放送した。かつては、1978年から1981年までNJNと共同制作したNJNのニュース番組『NJNニュース』を放送していた(同番組は、NJNが制作を完全に管理した後もWNETで放送され続けた)。
2014年、リンカーン・センターの66丁目とブロードウェイの南西角にティッシュWNETスタジオ(Tisch WNET Studios)が建設され、2つのテレビスタジオが入っている。このスペースでは、講演、上映、コンサートも開催できる。同施設は、ジェームズ・S・ティッシュ(James S. Tisch)とその妻メリル・H・ティッシュ(Merryl H. Tisch)に敬意を表して命名された。2人の1,500万ドルの寄付は、当時、WNETの歴史上、個人からの単独の寄付としては最大額だった[44]。
2017年5月9日、年末までにロウアー・マンハッタンのワン・ワールド・トレード・センターからの放送を再開すると発表された[45]。
2019年、ニュージャージー州のニュースウェブサイト「NJ Spotlight」を買収した。翌年、NJ SpotlightはNJTVのニュースルームと統合され、NJTVのニュース番組は『NJスポットライトニュース(NJ Spotlight News)』となった[46]。NJ Spotlightは2020年にNJTVニュースと合併する予定である[47]。2021年3月25日に、WNET.orgはWNETグループ(The WNET Group)として再編された[48]。
2020年7月2日9:00、FCCの再編成中に、WNETはチャンネル13からチャンネル12に移転した[49]。
デジタルテレビ
デジタルチャンネル
デジタル信号は多重化されている。
チャンネル | 解像度 | アスペクト比 | PSIPショートネーム | 番組編成[50] |
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13.1 | 1080i | 16:9 | WNET-HD | メインWNET番組編成・PBS |
13.2 | 480i | KIDS | PBS Kids |
市場外の放送
WNETは、ニュージャージー州マーサー郡全域でコムキャスト、Optimum TV、及びベライゾン・フィオスで放送されている。また、バハマのアバコ諸島でもケーブルで放送されている[要出典]。
オリジナル作品
WNETが制作した主な一般向け番組
WNETは、数多くのPBS番組を制作、作成、及び/または放送してきた。これには、以下の番組が含まれるが、これらに限定されない。
- Africa(2001年)
- The African-American Journey(2002年 - 2005年)
- Aging Out(2005年)
- Amato: A Love Affair with Opera(2001年)
- アマンプール&カンパニー(2018年 - 現在)
- アメリカン・マスターズ(1983年 - 現在)
- Assignment America(1974年 - 1975年)
- Australia: Beyond the Fatal Shore(2000年)
- Bill Moyers Reports: Earth On Edge(2001年)
- ブラック・ジャーナル
- 嵐の中心(Center of the Storm)(2002年)
- Changing Stages(2001年)
- チャーリー・ローズ(1991年 - 2017年)
- Chasing the Dream(2014年 - 現在)
- コロニアル・ハウス(2004年)
- Cucina Amore(1999年 - 2002年)
- Dickens(2003年)
- DNA(2003年)
- Echoes From the White House(2001年)
- エッグ、ジ・アーツ・ショー(2000年 - 2003年)
- Extreme Oil(2004年)
- ファイアリング・ライン(2018年 - 現在)
- Freedom: A History of Us(2003年)
- フロンティア・ハウス(2002年)
- ザ・グレート・アメリカン・ドリーム・マシーン(1971年 - 1972年)
- Great Food(2001年)
- グレート・パフォーマンシズ(1972年 - 現在)
- Heroes of Ground Zero(2002年)
- 古代アイルランドを探して(2002年)
- Innovation: Life, Inspired(2004年)
- Justice and the Generals(2002年)
- ライブ・フロム・リンカーン・センター(1976年 - 現在)
- Local News(2001年)
- 宇宙の主
- マスターシェフUSA(2000年 - 2001年)
- The Mind
- モナーキー
- Moyers on Addiction: Close to Home(1998年)
- ネイチャー(1982年 - 現在)
- ニューヨーク:ア・ドキュメンタリー・フィルム(1999年 - 2003年、WGBH-TVとの共同制作)
- NET Opera Theater(1967年 - 1974年)
- NOW(2002年 - 2010年)
- NYC-ARTS(2012年、かつては『Sunday Arts(サンデー・アーツ)』として知られていた)
- On Our Own Terms: Moyers on Dying(2000年)
- ジ・オープン・マインド(1956年 - 現在)
- Our Genes Our Choices(2003年)
- PBSニュースアワー(平日版:1975年 - 1995年、週末版:2013年 - 2022年)[51]
- Reagan Needs Help(1979年 - 現在)
- リアリダデス(1975年 - 1977年)
- Red Gold: The Epic Story of Blood(2002年)
- リリージョン&エシックス・ニュースウィークリー(1997年 - 2017年)
- Reel New York
- The Rise and Fall of Jim Crow(2002年)
- サベージ・アース(1998年)
- Savage Seas(1999年、グラナダ・テレビジョンとの共同制作)
- The Secret Life of the Brain(2002年)
- 死者の秘密(2000年 - 現在)
- サイモン・シャーマの芸術の力(シャーマはBBCで『The Story of the Jews』と『A History of Britain』のホストを務めた)
- ヘンリー8世の6人の妻(テレビシリーズ、2003年)
- 奴隷制度とアメリカの形成(2004年)
- 音のない世界で(2000年)
- ソウル!(1968年 - 1973年)
- スレブレニツァ:墓からの叫び(1999年)
- ステージ・オン・スクリーン(2001年)
- ザ・ストーリー・オブ・イングリッシュ
- サンデー・アーツ
- タヴィス・スマイリー(2004年 - 2017年)
- Taxi Dreams(2001年)
- That Money Show(2000年 - 2001年)
- Thomas Hampson: I Hear America Singing(1997年)
- ヴァーナ:U.S.O.ガール
- ニューヨーク市の歴史を巡るウォーキングツアー『A Walk Through...』シリーズ:A Walk Through Central Park、A Walk Through Greenwich Village、A Walk Through the Bronx、A Walk Through Brooklyn、A Walk Through Queens、A Walk Through Staten Island
- ウォーリアー・チャレンジ(2003年)
- Who Cares: Chronic Illness in America(2001年)
- Who's Dancin' Now?(2001年)
- ワイド・アングル(2002年 - 2009年)
- ワイルドTV(2002年)
- ウーマン・アライブ!(1974年 - 1977年)
- ワールドフォーカス(2008年 - 2010年)
WNETが制作した主な子供向け番組
- アンジェリーナはバレリーナ*(2005年 - 2009年、オリジナルシリーズは2002年 - 2003年に放送、ヒット・エンターテインメントとの共同制作)
- アンジェリーナはバレリーナ:ザ・ネクスト・ステップ(2009年 - 2011年)
- バーニー&フレンズ*(1992年 - 2010年、ヒット・エンターテインメントとの共同制作、オリジナルシリーズ)
- ボブとはたらくブーブーズ*(2005年 - 2018年、ヒット・エンターテインメントとの共同制作)
- Camp TV(2020年 - 現在)
- サイバーチェイス(2002年 - 現在、シーズン1~5はネルバナ、シーズン4はフライング・マインズ・エンターテインメント(Flying Minds Entertainment)、シーズン6~現在はPiPアニメーション・サービスとタイトル・エンターテインメント(Title Entertainment)との共同制作)
- フラニーズ・フィート(2004年 - 2011年、シーズン3はデコード・エンターテインメントとC.O.R.E.トゥーンズとの共同制作)
- Let's Learn(2020年 - 現在)
- シャイニング・タイム・ステーション(1989年 - 1993年)
- スペース・レーサーズ**(2014年 - 現在)
- きかんしゃトーマス*(2004年 - 2017年、ヒット・エンターテインメントとの共同制作)
*元々コネチカット・パブリック・テレビジョンで放送されていた番組を示す。
**元々メリーランド・パブリック・テレビジョンで放送されていた番組を示す。
WNETは、PBSシステム外で配信される公共テレビ局向けの番組も制作している。
- In the Mix: The New Normal - 『イン・ザ・ミックス』との共同制作
- Planet H2O
- What's Up in Factories
- What's Up in Finance
- What's Up in Technology
その他の番組
WNETは、ワシントンD.C.のPBSメンバー局WETA-TV及びマクニール=レーラー・プロダクションズ(MacNeil-Lehrer Productions)と共に、『PBSニュースアワー』の当初の共同制作団体の1つでもあった。同番組は、1975年に地元のニュース分析番組『ロバート・マクニール・リポート(The Robert MacNeil Report)』としてデビューした。頻繁にゲスト出演していたジム・レーラーは、翌年、同番組が他のPBS放送局でも放送されるようになった際に共同ホストになった。WNETは、WETA-TVと共同で平日版の『PBSニュースアワー』の週末版を制作していたが、2022年にWETAが平日版に加えて週末版の制作も引き継いだ[52][53]。
脚注
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外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 公共放送サービス
- 1950年代から現在までのWNETロゴとスクリーンショット
- メリーランド大学図書館でのWNETレコード
- アメリカン・アーカイブ・オブ・パブリック・ブロードキャスティング、Thirteen WNETからの1975年の『アサインメント・アメリカ』シリーズのエピソード
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