モナコ統治者の一覧
凡例 | |
---|---|
モナコ統治者 | |
他国支配下 | |
摂政 |
モナコ統治者の一覧(モナコとうちしゃのいちらん)では、モナコ公国を統治した人物について年代順に列挙する。ほとんどはグリマルディ家の出身となる。他国統治期間の行政者等は、例外としてその旨を記す。
モナコ領主
名 | 治世 | 備考 |
---|---|---|
フランソワ・グリマルディ | 1297年1月8日1 | モナコの岩を占有してはいたが、モナコ統治者ではない。 |
カーニュ領主, レーニエ1世 | 1297年1月8日 – 1301年4月10日 | フランソワの従兄弟1 |
ジェノヴァ支配 1301年4月10日-1331年9月12日 | ||
モナコ領主 (仏: Seigneurs de Monaco) | ||
シャルル1世 | 1331年9月12日 – 1357年8月15日 | 共治 1352年6月29日-1357年8月15日 |
アントニオ | 1352年6月29日 – 1357年8月15日 | |
レーニエ2世 | 1352年6月29日 – 1357年8月15日 | |
ガブリエル | 1352年6月29日 – 1357年8月15日 | |
ジェノヴァ支配 1357年8月15日-1395年1月 | ||
ルイ | 1395年1月 – 1395年12月19日 | 2度の統治の1度目2; ジャン1世との共治 |
ジャン1世 | 1395年1月 – 1395年12月19日 | 3度の統治の1度目3; ルイとの共治 |
ジェノヴァ支配 1395年12月19日-1397年5月11日 | ||
ルイ | 1397年5月11日 – 1402年11月5日 | 2度の統治の2度目 |
ジェノヴァ支配 1402年11月5日-1419年6月5日 | ||
マントンのアンブロワーズ | 1419年6月5日 – 1427年 | アントニーおよびジャン1世との共治 |
ロクブリュニュのアントニー | 1419年6月5日 – 1427年 | ジャン1世およびアンブロワーズとの共治 |
ジャン1世 | 1419年6月5日 – 1436年10月3日 | 3度の統治の2度目3; アンブロワーズおよびアントニーとの共治 |
ミラノ公国占領下ブレーズ・アッセレト知事 1436年10月3日-1436年11月 | ||
ジャン1世 | 1436年11月 – 1454年5月8日 | 3度の統治の3度目 |
カタラン | 1454年5月8日 – 1457年7月 | |
クローディーヌ | 1457年7月 – 1458年3月16日 | |
ポメルリネ・フレゴーソ | 1457年7月 – 1458年3月16日 | クローディーヌ嬢摂政 |
ランベール | 1458年3月16日 – 1494年3月 | |
ジャン2世 | 1494年3月 – 1505年10月11日 | |
リュシアン | 1505年10月11日 – 1523年8月22日 | |
オノレ1世 | 1523年8月22日 – 1581年10月7日 | |
オギュスティーヌ・グリマルディ | 1523年8月22日 – 1532年4月14日 | オノレ1世摂政 |
ニコラス・グリマルディ | 1532年4月14日 – 1532年4月23日 | オノレ1世摂政 |
エティエンヌ・グリマルディ | 1532年4月23日 – 1540年12月16日 | オノレ1世摂政 |
シャルル2世 | 1581年10月7日 – 1589年5月17日 | |
エルキュール | 1589年5月17日 – 1604年11月29日 | |
オノレ2世 | 1604年11月29日 – 1662年1月10日 | 当初はモナコ領主, 後に初代モナコ大公4. |
ヴァルデタレ公フランシス・ランディ | 1604年11月29日 – 1616年 | オノレ2世摂政 |
モナコ公
備考
- フランソワ・グリマルディはしばしば公国最初の統治者として言及されるが, 実際には1297年1月8日にモナコの岩を実力で占有した集団の指導者に過ぎない。フランソワの従兄弟であるカーニュ領主 レーニエ1世こそが、現在モナコとして知られている地域を支配したグリマルディ家出身の最初の統治者である。その跡を継いだシャルル1世は、30年間ジェノヴァに支配権を奪われながらモナコの岩を一族の手に戻し、名実ともに最初のモナコ領主となった誉で、広く公朝創始者とみなされている。
- ルイという名前のモナコ統治者は3人いる。1390年代と1400年代初頭の2度治める事になったモナコ領主ルイと、1662年から1701年まで治めたルイ1世公と、1922年から1949年まで治めたルイ2世公である。
- ジャン1世は3回にわたって単治ないし共治した。2度目の統治では、1427年に共治者アントニーが世を去りアンブロワーズが権利を放棄した後も、 1人で支配を続けた。これによって、後世の文献は彼を「1世」と呼び、君主に準ずるものとして扱っている。
- 1612年から、オノレ2世はモナコ統治者として初めて、それまでのモナコ領主という肩書きに公の称号を追加した。1633年にスペイン王フェリペ4世がモナコを公国として認めたことで、此の称号は公式の物となった。
系図
フランソワ・グリマルディ | レーニエ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レーニエ2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンブロワーズ | アントワーヌ | ジャン1世 | ルーク アンティーブ領主 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
カタラン | ニコラス アンティーブ領主 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
クローディーヌ | ランベール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャン2世 | リュシアン | オーギュスティン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
オノレ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル2世 | エルキュール1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オノレ2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エルキュール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイ1世 | カトリーヌ・シャルロット (アントワーヌ3世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アントワーヌ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャック・フランソワ・ゴワイヨン ・ド・マティニョン (ジャック1世) | ルイーズ=イポリット | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オノレ3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オノレ4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オノレ5世 | フロレスタン1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルル3世 | フロレスティーヌ =ウラッハ公ヴィルヘルム1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルベール1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイ2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ピエール ポリニャック伯 | シャルロット | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レーニエ3世 | グレース・ケリー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルベール2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャック | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関連項目
脚注
出典
- ^ “モナコ公国(Principality of Monaco) 基礎データ”. 日本国外務省 Ministry of Foreign Affairs of Japan. 2020年2月10日閲覧。