リカルド・ジ・オリヴェイラ
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ACミラン時代のリカルド・オリヴェイラ | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
リカルド・ジ・オリヴェイラ Ricardo de Oliveira | |||||
ラテン文字 | Ricardo Oliveira | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1980年5月6日(43歳) | |||||
出身地 | サンパウロ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1997-1999 | コリンチャンス | |||||
1999-2000 | ポルトゥゲーザ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2002 | ポルトゥゲーザ | 46 | (23) | |||
2003 | サントス | 14 | (4) | |||
2003-2004 | バレンシア | 21 | (8) | |||
2004-2006 | ベティス | 46 | (26) | |||
2006 | → サンパウロ (loan) | 8 | (5) | |||
2006-2008 | ミラン | 26 | (3) | |||
2007-2008 | → サラゴサ (loan) | 36 | (18) | |||
2008-2009 | サラゴサ | 18 | (9) | |||
2009 | ベティス | 16 | (6) | |||
2009-2014 | アル・ジャジーラ | 78 | (54) | |||
2010 | → サンパウロ (loan) | 15 | (7) | |||
2014 | アル・ワスル | 11 | (4) | |||
2015-2017 | サントス | 75 | (39) | |||
2018-2020 | アトレチコ・ミネイロ | 83 | (28) | |||
2020-2021 | コリチーバ | 18 | (2) | |||
2022 | アスレティック-MG | 9 | (1) | |||
2023 | ブラジリア | 7 | (2) | |||
代表歴 | ||||||
2004-2016 | ブラジル | 16 | (5) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
リカルド・ジ・オリヴェイラ(Ricardo de Oliveira, 1980年5月6日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。現役時代のポジションはフォワード。
「ヒカルド・オリベイラ」と表記されることもある。2度に渡って地元のサンパウロFCに在籍し、さらにスペイン・リーガ・エスパニョーラでは通算120試合に出場して58得点を挙げた。2004年にブラジル代表デビューし、コパ・アメリカとFIFAコンフェデレーションズカップに1度ずつ出場した。
クラブ経歴
デビュー直後
アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトスからデビューし、サントスFCに移籍するまでに46試合に出場して23得点を挙げた。サントスFCではリーグ戦で14試合に出場して4得点を挙げたが、2003年のコパ・リベルタドーレスではリーグ戦以上の得点ラッシュを見せ、決勝でボカ・ジュニアーズに敗れるまでにゴールを量産して大会得点王に輝いた。
バレンシアCF
2003年7月31日、スペイン・リーガ・エスパニョーラのバレンシアCFと5年契約を結び、サントスFCとバレンシアCFの共同保有選手となった[1]。10月のFCバルセロナ戦 (1-0) ではロングシュートで決勝点を挙げ、11月のRCDマジョルカ戦 (5-0) ではハットトリックを達成した。ラファエル・ベニテス監督が率いるチームで21試合に出場して8得点を記録した。2003-04シーズンにはリーグ戦とUEFAカップの2冠に輝いたが、わずか1シーズンでバレンシアCFを去った。
レアル・ベティス
2004年7月、400万ユーロと言われる移籍金でレアル・ベティスに移籍した[2]。2004-05シーズンは37試合に出場して22得点を記録し、クラブ史上最高位の4位でUEFAチャンピオンズリーグ予選出場権を獲得した。同シーズンのコパ・デル・レイでは決勝でCAオサスナと対戦し、オリヴェイラの先制点などで相手を2-1で破って優勝した。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦ASモナコ戦では単独の突破で得点した。本選での初得点はRSCアンデルレヒト戦であり、チームメイトの2得点に続いてチームの3点目を決めた。2005年11月1日のチェルシーFC戦で靭帯を負傷した影響で、2005-06シーズンのリーグ戦では9試合の出場にとどまったが、4得点を挙げた。
2006年初頭、2006 FIFAワールドカップに出場するためにブラジルのサンパウロFCにレンタル移籍し、結局FIFAワールドカップ出場は叶わなかったが、8月10日までにサンパウロFCで戦い続けることを明言した。しかし、8月21日にはレアル・ベティス復帰が決まり、クラブと首脳陣への忠誠心の欠如が議論を巻き起こした。サンパウロFCとの契約は当初予定されていたコパ・リベルタドーレス決勝当日までであったが、南米サッカー連盟 (CONMEBOL) が決勝の日程を1週間先延ばしにし、この無計画な日程変更が復帰騒動を引き起こした。オリヴェイラは決勝への出場を希望し、ベティスとの交渉を行い、さらに国際サッカー連盟 (FIFA) の特別許可を得たが、ベティスが協力しなかったために決勝には出場できなかった[3]。チームへの合流が遅れたことと、ベティスの許可なしにACミランのメディカルチェックを受けたことで、ベティスから2度の罰金処分を課された。
ACミラン
2006年5月に発覚したカルチョ・スキャンダル後、イタリア・セリエAのACミランはアンドリー・シェフチェンコを失っており、その代役として2006年8月31日にオリヴェイラがACミランと5年契約を結んだ。移籍金は約1750万ユーロにも達するとされ、レアル・ベティスにはヨハン・フォーゲルが移籍した[4]。シェフチェンコが着けていた背番号7を受け継ぐと、2006-07シーズン開幕戦のSSラツィオ戦 (2-1) 後半途中にデビューし、ゴールライン上からアンジェロ・ペルッツィの頭上を超えるヘディングシュートを決めた。しかし、2006-07シーズンのリーグ戦ではわずか2点しか挙げられず、コッパ・イタリアの2点を加えてもシーズン通算4点に終わった。2006年10月に起こった妹の誘拐事件の影響を受け、2007年3月12日に無事解放されるまでシーズンの大半を心理的な重圧の中で過ごした。
2007年7月14日、スペインのレアル・サラゴサにレンタル移籍した。アルゼンチン代表のディエゴ・ミリートと2トップのコンビを組み、2007-08シーズンのチーム総得点50点のうち、ふたりだけで33点を荒稼ぎしたにもかかわらず、レアル・サラゴサはセグンダ・ディビシオン(2部)降格となった。契約にはシーズン終了後に完全移籍ができるオプションが付けられており、2008年5月25日、1000万ユーロと言われる移籍金でACミランからレアル・サラゴサに完全移籍した[5]。
レアル・ベティス復帰
2009年1月後半、移籍金890万ユーロで古巣レアル・ベティスと2013年6月までの契約を結んだ[6]。2月7日にエスタディオ・ラモン・サンチェス・ピスフアンで行われたセビージャFCとのセビージャ・ダービー (2-1) で移籍後初出場し、83分に決勝点を挙げた。最終節のレアル・バリャドリード戦 (1-1) では勝ち点に結びつく得点を挙げたが、17位のヘタフェCFと同勝ち点の18位に終わり、結局セグンダ・ディビシオン降格となった。彼とセルヒオ・ガルシアのふたりは2シーズン連続での降格を味わった。
UAE
既にレアル・ベティスでプレシーズンを開始していた2009年7月中旬、レアル・ベティスが獲得した際よりも高額の約1400万ユーロでアラブ首長国連邦のアル・ジャジーラ・クラブに移籍した[7]。2010年1月、母国のサンパウロFCにレンタル移籍したが、1シーズンで復帰。2014年からアル・ワスルFCへ移籍した。
母国復帰
2015年から、ブラジルのサントスFCへ移籍。そこで息を吹き返し、得点王に輝いた。
2018年、アトレチコ・ミネイロに移籍。
2020年9月29日、コリチーバFCに移籍した。
2022年2月5日、 アスレティック・クラブに加入した。
2023年1月2日、ブラジリアFCに加入した。
2023年7月28日、現役引退を表明した。
代表経歴
2004年5月25日、カタルーニャ代表との非公式親善試合 (5-1) でブラジル代表デビューし、その試合で得点を挙げた。同年7月にはコパ・アメリカ2004に出場するメンバーに選ばれ、7月8日のパラグアイ戦で国際Aマッチ初出場を果たした。7月18日の準々決勝・メキシコ戦で国際Aマッチ初得点を挙げ、優勝に貢献した。これ以後、ロナウド、アドリアーノ、ロビーニョなどの控えとしてブラジル代表に定着していった。2005年にはFIFAコンフェデレーションズカップ2005に出場して優勝したがクラブでのプレー中に怪我を負い、予想より早く復帰したものの2006 FIFAワールドカップ出場は逃した。2006 FIFAワールドカップ後にドゥンガ監督が就任すると、約1年ぶりに代表に招集され、11月15日のスイスとの親善試合で復帰した。
その後代表からは遠ざかっていたが、35歳になった2015年9月に、負傷したロベルト・フィルミーノの代役として約8年ぶりにブラジル代表に招集された[8]。10月13日のワールドカップ予選・ベネズエラ戦で2005年2月9日の香港戦以来10年8ヶ月ぶりとなる得点を挙げた[9]。
個人成績
クラブ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ2 |
AFC1 |
通算 | ||||||||
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出場 | 得点 | アシスト | 出場 | 得点 | アシスト | 出場 | 得点 | アシスト | 出場 | 得点 | アシスト | ||
アル・ジャジーラ | 2009-10 | 11 | 8 | 8 | 5 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 16 | 13 | 10 |
2010-11 | 11 | 10 | - | 4 | 4 | - | 3 | 1 | - | 18 | 15 | - | |
通算 | 22 | 18 | 8 | 9 | 9 | 2 | 3 | 1 | 0 | 34 | 28 | 10 |
1AFCチャンピオンズリーグ
2UAEプレジデンツ・カップやエティサラート・エミレーツ・カップなど
タイトル
クラブ
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA:1回 (2006)
- プリメーラ・ディビシオン:1回 (2003-04)
- UEFAカップ:1回 (2003-04)
- コパ・デル・レイ:1回 (2004-05)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回 (2006-07)
- エティサラート・エミレーツ・カップ:1回 (2009-10)
- UAEリーグ:1回 (2010-11)
- UAEプレジデンツ・カップ:2回 (2010-11, 2011-12)
- カンピオナート・パウリスタ:2回 (2015, 2016)
- カンピオナート・ミネイロ:1回 (2020)
代表
- コパ・アメリカ:1回 (2004)
- FIFAコンフェデレーションズカップ:1回 (2005)
個人
- コパ・リベルタドーレス 得点王:1回 (2003)
- AFCチャンピオンズリーグ 得点王:1回 (2012)
- AFC年間最優秀外国人選手賞:1回 (2012)
- カンピオナート・パウリスタ ベストイレブン:1回 (2015)
- カンピオナート・パウリスタ 最優秀選手賞:1回 (2015)
- ボーラ・ジ・オーロ 得点王:1回 (2015)
脚注
- ^ “Valencia sign South American duo”. UEFA.com. (2003年7月31日) 2011年7月21日閲覧。
- ^ “Oliveira bound for Betis”. UEFA.com. (2004年7月30日) 2008年5月27日閲覧。
- ^ “Al menos llegó otro brasileño” (Spanish). ESPNsoccernet. (2006年4月25日) 2011年4月29日閲覧。
- ^ “Oliveira makes Milan move”. Sky Sports. (2006年8月31日) 2011年8月29日閲覧。
- ^ Zaragoza keep Oliveira Sky Sports、2008年5月25日
- ^ “Real Betis signs Ricardo Oliveira from Zaragoza”. USA Today. (2009年1月31日) 2011年4月29日閲覧。
- ^ “Oliveira seals Al-Jazira switch”. Sky Sports. (2009年7月19日) 2009年7月19日閲覧。
- ^ “ブラジル代表、フィルミノの代役にリカルド・オリベイラを指名!《ロシアW杯南米予選》”. 超ワールドサッカー. (2015年9月25日) 2015年10月14日閲覧。
- ^ “ブラジル、ウィリアン2発でベネズエラに勝利。アルゼンチンは未勝利続く…”. フットボールチャンネル. (2015年10月14日) 2015年10月14日閲覧。
外部リンク
- リカルド・ジ・オリヴェイラ - BDFutbolによる個人成績 (英語)
- リカルド・ジ・オリヴェイラ - Soccerwayによる個人成績
- リカルド・ジ・オリヴェイラ - National-Football-Teams.com
- リカルド・ジ・オリヴェイラ – FIFA主催大会成績
- Stats at Footballdatabase