ACミラン

ACミラン
原語表記 Associazione Calcio Milan S.p.A.
呼称 ACM
愛称 I Rossoneri(赤と黒)
Il Diavolo(悪魔)
クラブカラー    
   
創設年 1899年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部(2023-24
昨季リーグ順位 4位(2022-23
ホームタウン ロンバルディア州の旗 ミラノ
ホームスタジアム
サン・シーロ
収容人数 80,018
代表者 アメリカ合衆国の旗 エリオット・マネジメント英語版
監督 イタリアの旗 ステファノ・ピオリ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ACミランイタリア語: Associazione Calcio Milan S.p.A., イタリア語発音: [assotʃatˈtsjoːne ˈkaltʃo ˈmiːlan])は、1899年に設立されたイタリアロンバルディア州ミラノを本拠地とするプロサッカークラブ。現在はセリエAに在籍している。

概要

インテルナツィオナーレ・ミラノ(以下本項目ではインテルと略称する)、ユヴェントスFCと並ぶイタリア、そして世界を代表するプロサッカークラブである。クラブカラーからロッソ・ネロ(Rosso Nero, イタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリ Rosso Neri)またはディアボロ(diavolo, イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。サポーターはミラニスタ(Milanista)といわれる。

セリエAでは「三階建て」構造と呼ばれる、ユヴェントス、ACミラン、インテルのビッグ3となっている。

UEFAチャンピオンズリーグでは過去7回の優勝を経験しており、レアル・マドリードの14回に次ぐ歴代2位の優勝回数を誇る。イタリア国内で同大会を制覇した経験のある他の2チームの優勝回数を大きく引き離しており(インテルは3回、ユヴェントスは2回)、イタリアセリエAでもっとも成功したクラブのひとつであるとされている。同大会で5回の優勝、あるいは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(UEFAチャンピオンズリーグ優勝杯)の永久保持が認められる[1]とともに、ビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンをユニフォーム左袖につけることが許されているが、このワッペンをつけているのはACミランの他はレアル・マドリードアヤックス・アムステルダムバイエルン・ミュンヘンリヴァプールFCFCバルセロナの5クラブのみである。

ホームスタジアムはスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(愛称:サン・シーロ)であり、同じくミラノを本拠地とするビッグクラブであるインテルと共同使用している[2]。インテルとACミランは永遠のライバル関係にあり、両クラブの対戦はミラノダービーと呼ばれ、街を二分する盛り上がりを見せる。長年インテルのファンがブルジョワ層を中心とするのに対し、ACミランのファンは労働者階級を中心とするとされてきたが、現在では世界中にファンが拡大したこともあり、両クラブの支持層の間に特別な隔たりはなく、互いに広い層から支持を集めているとされる。

また、「ミラネッロ」と呼ばれる世界でも有数のスポーツセンターおよび、2014年に完成した新オフィス「カーサミラン」を所有しており、ミラネッロについては設備・環境が整っていることから、イタリア代表が合宿先として利用するほどである。

2014年1月、世界最大の会計事務所であるデロイトが公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は2億6,350万ユーロであり、世界のサッカークラブの中で10位、イタリアではユヴェントスに次ぐ2位である[3]。また、イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、ACミランの平均年俸は約610万ドルであり、世界で5番目、イタリアでもっとも平均年俸が高いクラブであることが明らかになった[4]

アカデミーは世界各国に存在し、日本国内では東京、千葉、愛知に拠点を置く。東京では、調布市東京スタジアム(味の素スタジアム)をメイングラウンドとして活動している[5]。千葉は社会人からユース、ジュニアユース、女子チームなどが日本サッカー協会にチーム登録し活動している[6]

名称

運営組織の公式な名称は、Associazione Calcio Milan S.p.A.[7](ミランサッカー団株式会社)である。

クラブ名のうち「アッソチャツィオーネ (Associazione)」は組合社団などといった団体を意味する単語であり[8][9]Associazione Calcio Milan とは、「ミランサッカー団」あるいは「ミランサッカー組合」などが訳語となる。

また、イタリア語では「ミラノ」をMilano と綴るが、もとはイギリス人を中心に組織された団体である経緯から、現在でもクラブの名称は、英語と同じ Milan の語を用いている。

歴史

創始者のハーバート・キルピン英語版
1901年のチーム

1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ (Milan Cricket and Football Club) を創設し、その後、上記の通り「ミラン・アッソチャツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたが Milan だけは英語のまま残った。Milan が英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い[要出典]

グレ・ノ・リトリオ

1950年代〜1960年代

1907年のスクデット獲得以来目立ったタイトルを得ることができなかったミランであるが、1949年にロンドンオリンピック優勝メンバーであるグンナー・グレングンナー・ノルダールニルス・リードホルムを獲得。この3人はそれぞれの名前から「グレ・ノ・リ」トリオと称された。1950-51シーズンにスクデット、ラテン・カップで優勝すると、1954-55シーズン、1956-57シーズン、1958-59シーズンにもリーグ優勝し、1956年には再びラテンカップを獲得した。

ネレオ・ロッコ

1961-62シーズンにネレオ・ロッコが監督に就任すると、初シーズンからスクデットを獲得。ジャンニ・リベラジョゼ・アルタフィーニらを擁したチームを率いて1962-63シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ初優勝を果たした。しかし、エレニオ・エレーラ率いるインテルの好調などもあって、次にタイトルを獲得するのは1966-67シーズンのコッパ・イタリア初優勝まで待たなければならなかった。

低迷期

1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦がトトネロの調査で、セリエBへ降格処分となった[10]。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。

ベルルスコーニの登場と黄金期

その後、イタリア首相を務めることになる、シルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強して、豊富な資金力で2チーム分の戦力を揃え、国内外のタイトな試合スケジュールを戦うというターンオーバー制を導入した。またミラネッロの改修など、低迷していたクラブを立て直した。1986-87シーズン、ユヴェントスとの争奪戦を制して、ドナドーニ[11]ワールドカップでイタリア代表の正GKを務めたG・ガッリ[12]ガルデリシマッサーロらをベルルスコーニの主導で獲得した[13]。このシーズンの終盤リードホルム監督に代わり、カペッロが臨時で数試合の監督を務め、UEFAカップ出場権をかけたプレーオフでサンプドリアを破って、出場権獲得に成功した[14]

1987-88シーズンには、当時はほぼ無名だったが、前年のコッパ・イタリアでミランを2度破った手腕を評価され、アリゴ・サッキパルマから監督として招き入れた[15]。また、ベルルスコーニは当時の史上最高額移籍金でフリットPSVから獲得、ファン・バステンアヤックスから、サッキが獲得を熱望したアンチェロッティ、サッキがパルマで指導していたムッシを獲得した[15]。しかし、ファン・バステンが10月に負傷し長期離脱[16]。サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術と、キャプテンのフランコ・バレージらを中心とした現有戦力、フリット、ビルディスらの活躍によって、サッキが指揮をとって1シーズン目、ナポリとの優勝争いの末に、スクデットを獲得した[15]

UEFAチャンピオンズカップ 1988-89決勝、対ステアウア・ブカレストのラインナップ[17]

1988-89シーズンには3人目の外国人枠が解放され、コモにレンタルされていたボルギが複帰することになったが、サッキはライカールトの獲得望み、ライカールトが加入した[15]フランコ・バレージを中心としたDF人、イタリア代表選手たち、オランダトリオなどの選手の活躍もあり、チャンピオンズカップ決勝のステアウア・ブカレスト戦ではフリット、ファン・バステンがそれぞれ2得点を挙げて4-0と破って優勝を果たす[18]トヨタカップではエヴァーニのFKでナショナル・メデジンを破って優勝[19]

1989-90シーズン、チャンピオンズカップ決勝はドナドーニを出場停止で欠いたが、ベンフィカをライカールトのゴールで破りUEFAチャンピオンズカップを2連覇[20]トヨタカップでもライカールトの2得点、ストロッパの得点でオリンピアを3-0と破り2連覇を成し遂げた[19]

1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のオリンピック・マルセイユ戦で、マルセイユがワドルの得点で1-0とリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった[21]。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった[22]。サッキ監督がこのシーズン限りでチームを離れ、イタリア代表監督に就任。G・ガッリが退団した。

1991-92シーズン、A・セレーナを獲得[23]アルベルティーニフゼールがレンタル先から複帰した[24]ファビオ・カペッロのもとで、第32節のナポリ戦をライカールトのゴール引き分け、勝ち点1を挙げ[25]、2位ユヴェントスに8ポイント差でセリエA初の無敗優勝を達成[26]。怪我に悩ませれていたアンチェロッティは、優勝を花道に現役を引退した[27]。フゼールが退団した[24]

1992-93シーズンはパパンサヴィチェヴィッチボバン(レンタル先のバーリから複帰)と3人の外国人、更にイタリア代表のレンティーニを当時の移籍金最高額となった約30億で獲得[28]、同じく当時代表のデ・ナポリエラーニオも獲得した。前シーズンからのリーグ戦無敗を58試合続けたが、第24節でアスプリージャに得点を許し、パルマに敗れて記録がストップした[29]、リーグ優勝を果たすも、チャンピオンズリーグ決勝ではマルセイユに0-1と敗れた[30]、コッパ・イタリアでも準決勝でASローマに敗退した。このシーズン限りでエヴァーニ、ライカールトが退団[22]、ルート・フリットはサンプドリアにレンタルに出された。アルド・セレーナは引退した[23]

1993-94シーズン、新たな外国人としてB・ラウドルップラドチョウをレンタルで、その他パヌッチなどを獲得した。レンティーニがシーズンの開幕を前に選手生命の危機に瀕する大事故を起こし、長期離脱した[31]。冬の移籍市場でマルセル・デサイーを獲得。チャンピオンズリーグ決勝では、バレージとコスタクルタが出場停止で、同じく黄金期を迎えていたヨハン・クライフ率いるバルセロナが有利であるという見方を覆し、4-0で勝利した[32]。このシーズンはロッシが当時のリーグ戦無失点新記録929分無失点を達成するなど[33]、安定の守備でリーグ優勝、リーグ3連覇を果たした。一方でトヨタカップにはマルセイユの代わりに出場したが、サンパウロに2-3で敗れた[19]。シーズン終了後、パパン、デ・ナポリが退団、ラウドルップ、ラドチョウはレンタル期間満了で退団した。

1994-95シーズン、ディ・カーニオらを獲得、ストロッパとフリットがレンタル先から復帰したが、フリットはシーズン途中にメッリとのトレードで再びサンプドリアへ移籍した[34]。ワールドカップのイタリア代表メンバーに7人が選出され、決勝まで進んだ疲労によるの怪我や不振によってセリエAでは優勝争いから離脱、後半巻き返すも、UEFAカップ出場権を獲得するのがやっとであった。11月にはトヨタカップに出場したがCAベレス・サルスフィエルドとの対戦では、コスタクルタがフローレスを倒してPKを与えたのに続きロッシへのバックパスをアサードに奪われて2失点に関与した上に、退場処分となり、2年続けて世界一を逃した[19]。サビチェビッチ、シモーネらの活躍によってUEFAチャンピオンズリーグでは3年連続で決勝に進出したが、サビチェビッチの欠場もあり、アヤックスに0-1と敗れ[35]、このシーズンはスーペルコッパ・イタリアーナUEFAスーパーカップを獲得したのみに終わる。

1995-96シーズンは、シーズン開幕を控える中、ファンバステンが引退した[36]R・バッジョウェアフットレらFW陣を獲得。冬の移籍でヴィエラを獲得した。ウェアの活躍もあり、スクデットを奪回した。一方、UEFAカップでは決勝トーナメントでボルドーに敗れ早々に敗退した。シーズン終了後、怪我で殆どプレー出来なかったフットレ[37]、ヴィエラ、レンティーニ、ディカーニオらが退団した。

最強神話崩壊と過渡期

1996-97シーズンは、ダービッツライツィハーヴィエルコウッドデュガリーらを獲得したが、カペッロレアル・マドリードへ去ったことで守備基本からスペクタクル重視へ戦術が切り替えられ、また、ボスマン判決によるEU圏内の外国人選手が大量加入したことでチームバランスが崩れ始めた。そこに、主力選手の高齢化、とりわけバレージらベテラン選手の衰えと後述のサッキやカペッロの監督復帰が追い打ちをかける形となった。序盤戦からリーグでは低迷し、UEFAチャンピオンズリーグでもウェアの暴力行為による退場処分と出場停止処分の影響で予選リーグ敗退した。その責任を取るかたちでタバレス監督が解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰したものの、チームの改善には至らず、シーズン途中にパヌッチがレアル・マドリ―ドへ移籍。リーグ第26節でユヴェントスに1-6で完敗するなど低迷し[38]、シーズン終了後、長年チームを支えたバレージ、タソッティが引退、F・ガッリは移籍、また目立つ活躍が出来なかったバッジョも退団した。

1997-98シーズンには1年でレアル・マドリードの監督を解任されたカペッロを連れ戻す、クライファートA・クルスツィーゲらを大型補強するもかみ合わず、シーズン開幕後に数年間獲得を試みていたパリSGからレオナルドを獲得[39]、カペッロの要望でMLSに移籍していたドナドーニを復帰させるも[40]低迷脱却には至らなかった。シーズン終了後デヤン・サビチェビッチ、マルセル・デサイーが退団した。

1998-99シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-98シーズンのセリエA得点王であるビアホフヘルヴェグをザッケローニの希望でウディネーゼから獲得した[41]。序盤こそ苦戦していたが、アルベルティーニ、コスタクルタ、マルディーニ、ドナドーニ、ボバンら栄光を知る主力選手がチームを牽引、加えてアンブロジーニアッビアーティら若手の台頭もあり、終盤に勝ち点でSSラツィオを逆転、最終節でペルージャに勝利してスクデットを獲得した[42]。シーズン終了後ドナドーニが退団した。

1999-00シーズンはシェフチェンコガットゥーゾの獲得に成功したが、久しぶりに出場したUEFAチャンピオンズリーグでは、リーグ拡大による試合スケジュールの過密化によって、ターンオーバー制の導入が追いつかず、また、ウェアが1996-97シーズンに受けた出場停止処分を消化しなければならなかったことも影響して一次リーグ敗退。リーグでは3位で終了する。

2000-01シーズンは、リーグでは優勝争いから離脱、UEFAチャンピオンズリーグでも2次リーグ敗退によって、シーズン途中でザッケローニは解任された。後任にはC・マルディーニが就任、2001年5月のミラノダービーではインテル相手に6-0で歴史的な大勝をした[43]

2000年代〜2010年代前半

UEFAチャンピオンズリーグ 2002-03

2001-02シーズンは、フィリッポ・インザーギルイ・コスタら大型補強を敢行して、ファティ・テリムが監督に就任するも中位に低迷。シーズン途中にカルロ・アンチェロッティが監督に就任してチームを立て直し、セリエAを4位で終了してUEFAチャンピオンズリーグ予備予選出場権を獲得した。2002-03シーズンは、前年に続きリバウドネスタといった選手を獲得。ピルロレジスタに置くシステムが機能し、UEFAチャンピオンズリーグコッパ・イタリアにて優勝を達成。チャンピオンズリーグ決勝ではユヴェントスと対戦、スコアレスで迎えたPK戦でGKジーダが3本をストップ、同国対決を制した。2003年夏の移籍市場ではカカカフーらを獲得。2003-04シーズンはUEFAスーパーカップセリエAにて優勝を達成した。

ミラノのドゥオーモ前広場でスクデット獲得を祝う人々(2004年)

2004-05シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナにて優勝を達成したものの、セリエAでは2位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦し敗れた。この敗戦はイスタンブールの悲劇とも呼ばれる。2005-06シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、「2005-06シーズンのリーグ戦での勝ち点-44」、「2006-07シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分がイタリアサッカー連盟のスポーツ裁判所によって下された。控訴審では処分が軽減され、最終的に2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-07シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。

2007年冬の移籍市場ではロナウドを獲得し、2006-07シーズンはカカが大車輪の活躍を見せ、UEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。決勝は2年前と同一カードとなったが、フィリッポ・インザーギの2ゴールでリヴァプールFCを破り、見事に雪辱を果たした。2007-08シーズンはUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップにて優勝を達成。カカはバロンドールFIFA最優秀選手賞といった個人タイトルを獲得した。しかし、リーグでは5位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。

2008-09シーズンは、ロナウジーニョら大型補強を敢行し、冬にはベッカムをレンタルで獲得するも無冠に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは監督を辞任した。

25年間ミランでプレーしたマルディーニは、902試合に出場して最多出場記録を更新した

2009-10シーズンはレオナルドが監督に就任し、長年チームの顔だったマルディーニが前シーズン限りで引退(アンブロジーニが後任の主将に任命された)、カカがレアル・マドリードへ移籍。下部組織出身のアバーテの台頭などがあり、リーグを3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得した。

2010-11シーズンはマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任し、2010年夏の移籍市場ではイブラヒモヴィッチロビーニョらを獲得。2011年冬の移籍市場ではカッサーノファン・ボメルらを獲得し、同シーズンは7季振りとなるセリエA優勝を果たす。

2011-12シーズンは優勝したチームにおいて怪我の影響で出場機会が減少気味だったピルロをユヴェントスへ放出し、エル・シャーラウィアクィラーニノチェリーノメクセスタイウォらを獲得した。チームは第31節フィオレンティーナ戦で敗れて首位から陥落し、復活したピルロを中心としたユヴェントスに次ぐ2位に終わり、シーズン無冠に終わった。

2012-13シーズンは、急激に悪化した財政事情の立て直しとFFP導入にともなう財政対策のため、イブラヒモヴィッチとチアゴ・シウヴァをPSGへ放出。また、チームの世代交代のためにガットゥーゾネスタセードルフファン・ボメルインザーギザンブロッタといったベテラン勢を一斉放出した。これにより、カッサーノとの交換トレードで獲得したパッツィーニをはじめとし、デ・ヨングアチェルビサパタモントリーヴォトラオレニアンボージャンらの補強に留まった。序盤戦は選手の入れ替えによる不振が続いたが(2011-12シーズンから先発級メンバーがパッツィーニエル・シャーラウィモントリーヴォデ・ヨングメクセスサパタコンスタンと実に7人が入れ替わる)、コンビネーションが安定してからは前半戦のエル・シャーラウィの活躍、冬の移籍市場で獲得したマリオ・バロテッリの後半戦での活躍もあってリーグを3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得した。

低迷及び凋落、ベルルスコーニ政権の終焉

2013-14シーズンは、4年ぶりにカカがミランに復帰し、サパタとコンスタンを完全移籍で獲得した。他にもアンドレア・ポーリヴァルテル・ビルサマティアス・シルベストレフェルディナンド・コッポラリッカルド・サポナーラ、ミランユース出身のアレッサンドロ・マトリを獲得し、プリマヴェーラからブライアン・クリスタンテアンドレア・ペターニャを昇格させた。一方でレンタル期間終了によりFWボージャン・クルキッチバルセロナ)が退団し、他にもDFルカ・アントニーニジェノア)、MFマチュー・フラミニアーセナル)、DFマリオ・ジェペスアタランタ)らが退団。さらにMFボアテングシャルケ)、DFタイウォ(ブルサスポル)、MFシュトラッサー(ジェノア)らをそれぞれに売却した。主将だったMFアンブロジーニの退団を受け、モントリーヴォが新たな主将となった。昨シーズンのエースであったステファン・エル・シャーラウィが怪我で試合に出られないこともあり、シーズン序盤から負けや引き分けが多く勝ち点を重ねられず、年明けの2014年1月からクラブ初のアジア国籍選手である本田圭佑を筆頭に、マイケル・エッシェンアデル・ターラブトアディル・ラミを獲得したものの、1月13日にアウェーでのサッスオーロ戦で2点リードしながら3-4で敗れたことが引き金となり、監督のアッレグリが解任された。後任は助監督のマウロ・タソッティが一時的に務めたが、すぐにブラジルで現役選手であったクラレンス・セードルフを招聘。戦術変更をしても状況は好転せず、結局リーグ戦8位となり、15シーズンぶりにチャンピオンズリーグおよびヨーロッパリーグの出場を逃した。シーズン終了後、セードルフを解任した。また、2014年には新オフィスである「カーサミラン」が完成。

2014-15シーズンはフィリッポ・インザーギが監督に就任した。移籍市場では、MFカカ(オーランド・シティSC)、FWバロテッリ(リヴァプールFC)、GKマルコ・アメリア(ロッカ・プリオーラ)、MFコンスタン(トラブゾンスポル)、MFウルビー・エマヌエルソンASローマ)、MFバカイェ・トラオレ(ブルサスポル)、クリスタンテ(SLベンフィカ)らを放出し、FWロビーニョ(サントスFC)、FWマトリ(ジェノア)、MFビルサ(キエーヴォ)、MFノチェリーノ(トリノFC)らをレンタルで放出。DFシルベストレ(インテル)、MFターラブト(QPR)はローンバックした。補強面ではフェルナンド・トーレスディエゴ・ロペスジェレミー・メネズアレックスミカエル・アガッツィジャコモ・ボナヴェントゥーラパブロ・アルメロマルコ・ファン・ヒンケル、ミケランジェロ・アルベルタッツィを獲得した。冬の移籍市場では、アレッシオ・チェルチルカ・アントネッリマッティア・デストロスソガブリエル・パレッタサルヴァトーレ・ボッケッティを獲得した。序盤は好調だったもの、徐々に引き分けや負けが込み、10位という成績に終わった。シーズン終了後、ベルルスコーニはタイの実業家、ビー・テチャウボンに株式の48%を譲ることを発表した。

2015-16シーズンはインザーギを解任し、新監督にはUCサンプドリアの監督であったシニシャ・ミハイロヴィチが就任した。移籍市場では、カルロス・バッカルイス・アドリアーノアレッシオ・ロマニョーリマリオ・バロテッリ(ローン)、アンドレア・ベルトラッチユライ・クツカホセ・マウリを獲得し、ダヴィデ・カラブリアジャンルイジ・ドンナルンマをプリマヴェーラから昇格させた。一方でDFラミ(セビージャ)、MFサポナーラ(エンポリ)、MFビルサ(キエーヴォ)を売却し、FWロビーニョ(広州恒大)、DFダニエレ・ボネーラビジャレアルCF)、MFサリー・ムンタリアル・イテハド)、MFマイケル・エッシェン(パナシナイコスFC)、FWジャンパオロ・パッツィーニ(エラス・ヴェローナ)、DFザッカルドカルピFC)らがフリーで退団。FWエル・シャーラウィ(ASモナコ)、DFパレッタ(アタランタ)、DFベルガラ(リヴォルノ)、FWマトリ(SSラツィオ)、FWマストゥール(マラガCF)らをレンタルで放出し、FWデストロ(ASローマ)、MFファン・ヒンケル(チェルシー)、ボッケッティ(FCスパルタク・モスクワ)はローンバックした。シーズン開幕当初はベルルスコーニ会長が好む[4-3-1-2]を用いていたが、10月の時点で3勝4敗の11位になったことを受けシステムを[4-3-3]に変更し、さらに本田圭佑とボナヴェントゥーラを両翼に起き、バッカとニアンを前線に並べる[4-4-2]のスタイルに変更すると、これが功を奏して7戦無敗とし6位まで浮上する。このシステム変更により出場機会を失ったMFスソとMFチェルチをジェノアにレンタルで放出し、代わりにフリーのケヴィン=プリンス・ボアテングを獲得しプリマヴェーラからマヌエル・ロカテッリを昇格させた。しかしニアンが交通事故、本田が代表戦によりそれぞれ負傷し、控えであったメネズやバロテッリ、ボアテングが期待に応えられなかったこともあり大きく調子を落とした。これを受け、もともとミハイロヴィッチのスタイルに批判的であり、なおかつロカテッリら若手イタリア人の起用を望むベルルスコーニ会長がミハイロヴィッチの解任を決断[44]。2016年4月12日にミハイロヴィッチの解任とプリマヴェーラを率いていたクリスティアン・ブロッキの監督就任を発表した[45]。しかし事態は好転せず、再び欧州カップ戦の出場権を逃した[46]

昨シーズン途中に就任したブロッキが退任し、2016-17シーズンの新監督に、元フィオレンティーナ監督のヴィンチェンツォ・モンテッラが就任。移籍市場ではスソ、パレッタをレンタルバックによりチームに復帰させ、ジャンルカ・ラパドゥーラレオネル・バンジョーニグスタボ・ゴメスホセ・ソサマリオ・パシャリッチマティアス・フェルナンデスを獲得した。一方でFWエル・シャーラウィをASローマに完全移籍で売却し、DFメクセス、DFアレックス、MFボアテング(UDラス・パルマス)、FWメネズ(FCジロンダン・ボルドー)、FWマトリ(USサッスオーロ・カルチョ)らが退団し、GKディエゴ・ロペス(RCDエスパニョール)やDFベルガラ(FCアルセナル・トゥーラ)、MFホセ・マウリ(エンポリFC)をレンタルで放出した。FWバロテッリはリヴァプールへローンバックした。2016年8月5日、同クラブの親会社「フィニンヴェスト」がミランを中国企業のコンソーシアムへ売却することを発表した[47]。中国資本がミランの株式の99.93パーセントを7億4000万ユーロ(約832億円)で買収することで合意。スソやニアンらのスピードや突破力を生かす[4-3-3]のシステムを採用し、序盤はユヴェントスFCに勝利するなど躍進を見せ、ロカテッリやドンナルンマといった若手イタリア人プレーヤーの活躍も光った。冬の移籍市場では、マルコ・ストラーリルーカス・オカンポスジェラール・デウロフェウを獲得し、戦力維持に努めた。シーズン後半になっていくにつれてスソが相手DFに攻略されはじめ、バッカも試合ごとに波のあるプレーに終始し、前半ほどの勢いは見せられなかったが、最終的には6位に落ち着きUEFAヨーロッパリーグの出場権を獲得し、3年ぶりに欧州カップ戦の出場権を得た。2017年4月13日、ベルルスコーニは中国資本へのACミランの売却を完了して「私はACミランの一番のファンを続けるだろう。新しいオーナー陣の成功を願う」と述べた[48]

オーナー交代、エリオット体制へ

莫大な資金を得たクラブは2017-18シーズンの移籍市場において、CEOであるマルコ・ファッソーネが「300億円投じた」と話すように大型補強を展開した[49]ボヌッチを筆頭にムサッキオケシエR・ロドリゲスA・シウヴァボリーニチャルハノールコンティA・ドンナルンマビリアカリニッチと計11人を獲得した。これにともないクツカデ・シリオバッカラパドゥーラベルトラッチエリーバンジョーニD・ロペスニアン本田圭佑ポーリが退団することになり、チームの顔ぶれを大きく変えることとなった。しかし、第14節時点でリーグ7位と低迷し、モンテッラを解任し、クラブOBのジェンナーロ・ガットゥーゾを招聘した[50]。最終的には6位でリーグを終えたにもかかわらず、中国系資本のオーナーが債務不履行に陥ったために損益分岐点の必要条件を満たさないとされ、FFP違反で来季UEFAヨーロッパリーグの出場権を剥奪された[51]。その後、アメリカのヘッジファンドであるエリオット・マネジメント英語版がミランの新オーナーとなることが発表され[52]、財政状況が改善されたと見なされてスポーツ仲裁裁判所が処分を覆し、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した[53][54]

2018-19シーズン、ボヌッチがユヴェントスへと1年で復帰したほか、カリニッチバッカニアンラパドゥーラアントネッリらが移籍した一方で、カルダーライグアインカスティジェホレイナバカヨコラクサールらを獲得した。8月にテクニカルディレクターとしてパオロ・マルディーニを招聘。ヨーロッパリーグでは、レアル・ベティスオリンピアコスデュドランジュと同グループとなったが、グループリーグで敗退した。冬の移籍市場で、ジェノアよりピョンテクCRフラメンゴよりパケタを獲得した。一方でユヴェントスからレンタルで加入していたイグアインが退団した。リーグ戦では前シーズンより順位を1つ上げて5位となり、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。しかし、FFP違反によって出場権を剥奪され、CASもUEFAのこの決定を支持したためクラブは処分を受け入れた[55]。シーズン終了後、ガットゥーゾ監督とスポーツ・ディレクターのレオナルドが退任した[56][57]。後任の監督として、サンプドリアよりマルコ・ジャンパオロを招聘した[58]

2019-20シーズン、チーフ・フットボール・オフィサー(CFO)としてズボニミール・ボバンを招聘。8歳からユースに在籍していた生え抜きのクトローネウルヴァーハンプトンへ移籍した他、ロカテッリサパタバカヨコベルトラッチマウリらが移籍し、ストリニッチモントリーヴォアバーテ(引退)が退団した一方で、レオンT・エルナンデスベナセルドゥアルチクルニッチレビッチらを獲得した。リーグ開幕から7節で4敗を喫するなどチームは低迷し、10月にマルコ・ジャンパオロ監督を解任[59]、後任にステファノ・ピオリを招聘した[60]。冬の移籍市場で8年ぶりにイブラヒモヴィッチが復帰。他にケアーベゴヴィッチサーレマーケルスを獲得した一方でピョンテクボリーニが移籍した。新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により、イタリア国内でも感染者が著しく増加したミラノを含めたロンバルディア州では都市封鎖の対象となったことで、ホームでの試合開催が出来なくなり、リーグは長期の中断を余儀なくされる。この頃からOB幹部と経営陣との確執が顕在化し、2020年3月にCFOのズボニミール・ボバンを解任した[61]。フロント内のゴタゴタとは裏腹に、チームは復帰したイブラヒモヴィッチを中心としたシステムに再編成され、リーグ再開後は強烈な追い上げを見せて最終的には6位でシーズンを終了、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2020年7月21日、ステファノ・ピオリと2022年6月まで契約延長を発表した[62]

名門復活、再興へ

2020-21シーズン、前シーズンリーグ再開(第27節)より12試合9勝3分0敗という好成績を残したステファノ・ピオリ監督体制のままシーズンへ。スソパケタシウヴァロドリゲスグスタボ・ゴメスボナヴェントゥーラビリアベゴヴィッチレイナらが移籍し、トナーリブライム・ディアスハウゲダロトタタルシャヌカルルらを獲得し、プリマヴェーラからダニエル・マルディーニコロンボを昇格させた。昨シーズンを含めリーグ戦27試合無敗を続け、首位で2021年を迎えたミランだが、2021年1月6日ユヴェントス戦で敗れた[63]。ミランが敗れるのは、2020年3月6日ジェノア戦以来304日振りであった。冬の移籍市場でマンジュキッチを獲得。他にマイテトモリをレンタルで獲得した一方で、ムサッキオが移籍、レオ・ドゥアルチコンティコロンボがレンタルで移籍した。最終的に2位でシーズンを終了、2013-14シーズン以来8季ぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した[64][65]

2021-22シーズン、16歳より6年間ゴールマウスを護っていたG・ドンナルンマパリ・サンジェルマンFCへ移籍した他、チャルハノールラクサールA・ドンナルンマらが移籍、マンジュキッチが退団、ハウゲロレンツォ・コロンボらがレンタル移籍した一方で、マイク・メニャンフォデ・バロ=トゥーレジルーらを獲得、またフロレンツィバカヨコペッレグリジュニオール・メシアスらをレンタルで獲得、コンティプリッツァーリらがレンタル期間を終えて復帰した。またシーズン途中でメニャンプリッツァーリGKが負傷により離脱、急遽フリーのアントニオ・ミランテを獲得。8季ぶりとなったUEFAチャンピオンズリーグはグループステージ敗退となるも、第19節時点でリーグ2位と好調を維持のまま2022年を迎えた。冬の移籍市場でマルコ・ラゼティッチを獲得、アンドレア・コンティが移籍、ペッレグリがレンタル早期終了により移籍、プリッツァーリがレンタルで移籍した。リーグ戦は第28節SSCナポリ戦アウェイにて1-0で勝利し首位に立つと、インテルと激しい優勝争いを繰り広げるも首位を死守、最終節のサッスオーロ戦でジルーの2ゴールなどで勝利し、11年振りのリーグ優勝を果たした[66][67][68][69]。リーグ戦ではジルーラファエル・レオンがそれぞれ11ゴールを決めてチーム得点王となった[70]。6月1日、ミランはアメリカの投資会社『レッドバード・キャピタル』がクラブ買収に合意したことを発表した[71]

2022-23シーズン、2018年よりキャプテンだったロマニョーリSSラツィオへ移籍した他、ケシエカスティジェホハウゲらが移籍、ダニエル・マルディーニがレンタル移籍した一方で、オリジデ・ケテラーレチャウを獲得、レンタル加入していたフロレンツィジュニオール・メシアスを買取オプション行使により獲得、ヴランクスデストをレンタルで獲得、またポベガアドリらがレンタル期間満了により合流した。2022 FIFAワールドカップ開催のため2022年のリーグ戦は第15節(2022年11月13日)で終了となり、昨シーズン同様リーグ2位で2023年を迎えた。冬の移籍市場でバスケスを獲得、ユングダル及びラゼティッチがレンタルで移籍した。2022 FIFAワールドカップの影響から年初に国内カップ戦であるコッパ・イタリアトリノに、スーペルコッパ・イタリアーナインテルにそれぞれ敗北した。UEFAチャンピオンズリーグはグループステージを突破し、ラウンド16でトッテナムを、準々決勝でナポリをそれぞれ退けるも、準決勝でインテルに敗れた。リーグ戦は最終節エラス・ヴェローナに勝利しシーズンを4位で終了、試合終了直後のセレモニーでイブラヒモヴィッチが現役引退を表明した[72]。ジルーが公式戦トータルでは18ゴールを決めてチーム得点王、リーグ戦ではレオンがチーム最多の15ゴールを決め、3季連続でUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。シーズン終了直後の2023年6月6日、テクニカルディレクターのパオロ・マルディーニが電撃退任した[73][74]。同年6月12日、元イタリア首相でACミランのオーナー兼会長を長きにわたり務めたシルヴィオ・ベルルスコーニが死去、ミランは追悼した[75][76][77]

2023-24シーズン、2019-20シーズン冬よりミランを牽引してきたイブラヒモヴィッチが引退、タタルシャヌが契約満了により退団、ブライム・ディアスデストヴランクスバカヨコらはレンタル期間満了により所有権を有する各クラブへ帰還。トナーリレビッチが完全移籍で退団した。ガッビアダニエル・マルディーニバスケスメシアスデ・ケテラーレラゼティッチサーレマーケルスコロンボオリジバロ=トゥーレがレンタル移籍。プルシックロフタス=チークロメロスポルティエッロラインデルスオカフォーチュクウェゼムサペッレグリーノヨヴィッチらを獲得、プリマヴェーラからチャカ・トラオレを昇格させた。12月11日、イブラヒモヴィッチがオーナーシップの運営パートナー兼アドバイザーとして復帰[78][79][80]UEFAチャンピオンズリーグ及びセリエAの過密日程に加え、ユーロ2024予選や親善試合等の代表ウィークも重なり負傷する選手が続出、特にカルルチャウトモリといった主力DF達の負傷による長期欠場に加え、レオンオカフォーFW陣も負傷という事態から、プリマヴェーラよりバルテサーギカマルダシミッチゼロリらを招集、試合に出場させる等、困難なチーム事情の中、UEFAチャンピオンズリーグはグループステージ敗退もUEFAヨーロッパリーグ決勝トーナメントプレーオフ進出となり、またセリエA第18節時点でリーグ3位と奮闘し2024年を迎えた。

ユニフォーム

ホームユニフォームは赤黒の縦縞で、下のパンツは年によって白のパターンと黒のパターンがある。アウェイユニフォームは上下白。

UEFAチャンピオンズリーグインターコンチネンタルカップなどの決勝戦のような重要な試合では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を上下白のセカンドユニフォームで勝ち取っており、セリエAにおいても2021-22シーズン最終節の対サッスオーロ戦では、上下白のセカンドユニフォームを着用してリーグ優勝を勝ち取っている。

また、サードユニフォームは年によって流動的であるが、1998-99シーズン最終節の対ペルージャ戦では上下黒のユニフォームを着用してリーグ優勝を勝ち取っている。

尚、選手支給スーツはドルチェ&ガッバーナから提供される。

胸スポンサー

  • メディオラヌム(〜1991年)- イタリアの生命保険会社。フィニンヴェストSpAの関連。世界最強時代のスポンサーであった。
  • モタ(1992〜94年)- イタリアの製菓メーカー。
  • オペル (1994年〜2005年)- ドイツの自動車メーカー。ユニフォーム表記は「OPEL」。
  • オペル・ザフィーラ(2005年〜2006年)- オペル社の車名。ユニフォーム表記は「オペル社のロゴの下にZAFIRA」。
  • Bwin (2006年〜2010年)- オーストリアのオンラインサービス提供企業。
  • エミレーツ航空(2010年〜)- アラブ首長国連邦航空会社。契約金は5年総額約6,000万ユーロ[81]。ユニフォーム表記は「Fly Emirates」。
年度 メーカー 胸スポンサー
1987–90 Kappa Mediolanum
1990–92 adidas
1992–93 Motta
1993–94 Lotto
1994–98 OPEL
1998–06 adidas
2006–10 Bwin
2010–18 Fly Emirates
2018- Puma

バックスポンサー

  • ウィーフォックス(2022年〜)- ドイツの保険ブローカー仲介会社。ユニフォーム表記は「wefox」。2022年2月25日金曜日、対ウディネーゼ戦から「wefox」のロゴがユニフォームの裏側に表示されるようになった[82]

タイトル

トロフィールーム

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン コッパ・イタリア スーペルコッパ 欧州カップ CWC
(旧トヨタカップ
最多得点者
リーグ 順位 選手 得点数
1929-30 セリエA 34 11 10 13 52 48 32 11位 ジュゼッペ・サンタゴスティーノ 11
1930-31 セリエA 34 12 7 15 48 53 31 12位 ジュゼッペ・サンタゴスティーノ 11
1931-32 セリエA 34 15 9 10 57 40 39 4位 ピエトロ・パストーレ 13
1932-33 セリエA 34 11 10 13 57 62 32 11位 マリオ・ロマーニ 19
1933-34 セリエA 34 12 9 13 50 49 33 9位 ピエトロ・アルカリ 16
1934-35 セリエA 30 8 11 11 36 38 27 10位 ジョバンニ・モレッティ
ピエトロ・アルカリ
10
1935-36 セリエA 30 10 8 12 40 41 28 8位 準決勝敗退 ピエトロ・アルカリ 13
1936-37 セリエA 30 13 10 7 39 29 36 4位 準決勝敗退 アルド・ボフィ 15
1937-38 セリエA 30 13 12 5 43 27 38 3位 準決勝敗退 アルド・ボフィ 19
1938-39 セリエA 30 10 8 12 43 36 28 9位 準決勝敗退 アルド・ボフィ 21
1939-40 セリエA 30 10 8 12 46 38 28 8位 ベスト16 アルド・ボフィ 23
1940-41 セリエA 30 12 10 8 55 34 34 3位 ベスト16 アルド・ボフィ 18
1941-42 セリエA 30 10 7 13 53 53 27 10位 準優勝 アルド・ボフィ 28
1942-43 セリエA 30 10 9 11 39 44 29 6位 準々決勝敗退 ジーノ・カペッロ 10
1946-47 セリエA 38 19 12 7 75 52 50 4位 エットーレ・プリチェッリ
リカルド・カラペレーゼ
20
1947-48 セリエA 40 21 7 12 76 48 49 2位 エットーレ・プリチェッリ 17
1948-49 セリエA 38 21 8 9 83 52 50 3位 リカルド・カラペレーゼ 17
1949-50 セリエA 38 27 3 8 118 45 57 2位 グンナー・ノルダール 35
1950-51 セリエA 38 26 8 4 107 39 60 1位 グンナー・ノルダール 34
1951-52 セリエA 38 20 13 5 87 41 53 2位 グンナー・ノルダール 26
1952-53 セリエA 34 17 9 8 64 34 43 3位 グンナー・ノルダール 26
1953-54 セリエA 34 17 10 7 66 39 44 3位 グンナー・ノルダール 23
1954-55 セリエA 34 19 10 5 81 35 48 1位 グンナー・ノルダール 27
1955-56 セリエA 34 16 9 9 70 48 41 2位 EC 準決勝敗退 グンナー・ノルダール 27
1956-57 セリエA 34 21 6 7 65 40 48 1位 ガストン・ビーン 16
1957-58 セリエA 34 9 14 11 61 47 32 9位 準々決勝敗退 EC 準優勝 カルロ・ガッリ 21
1958-59 セリエA 34 20 12 2 84 32 52 1位 ベスト16 ジョゼ・アルタフィーニ 28
1959-60 セリエA 34 17 10 7 56 37 44 3位 2回戦敗退 EC ベスト16 ジョゼ・アルタフィーニ 22
1960-61 セリエA 34 18 9 7 65 39 45 2位 ベスト16 ジョゼ・アルタフィーニ 26
1961-62 セリエA 34 24 5 5 83 36 53 1位 2回戦敗退 ジョゼ・アルタフィーニ 22
1962-63 セリエA 34 15 13 6 53 27 43 3位 ベスト16 EC 優勝 ジョゼ・アルタフィーニ 26
1963-64 セリエA 34 21 9 4 58 28 51 3位 準々決勝敗退 EC 準々決勝敗退 準優勝 ジョゼ・アルタフィーニ 19
1964-65 セリエA 34 21 9 4 52 23 51 2位 1回戦敗退 アマリウド・タヴァレス・ダ・シウヴェイラ 15
1965-66 セリエA 34 13 12 9 43 33 38 7位 準々決勝敗退 アンジェロ・ソルマーニ 24
1966-67 セリエA 34 11 15 8 36 32 43 8位 優勝 ジャンニ・リベラ 19
1967-68 セリエA 30 18 10 2 53 24 46 1位 準優勝 ピエリーノ・プラティ 22
1968-69 セリエA 30 14 13 3 31 12 41 2位 準々決勝敗退 EC 優勝 ピエリーノ・プラティ 21
1969-70 セリエA 30 13 10 7 38 24 36 4位 1回戦敗退 EC ベスト16 優勝 ピエリーノ・プラティ 17
1970-71 セリエA 30 15 12 3 54 26 42 2位 準優勝 ピエリーノ・プラティ 21
1971-72 セリエA 30 16 10 4 36 17 42 2位 優勝 UC 準決勝敗退 アルベルト・ビゴン 19
1972-73 セリエA 30 18 8 4 65 33 44 2位 優勝 ルチアーノ・キアルージ 22
1973-74 セリエA 30 11 8 11 34 36 30 7位 2回戦敗退 ルチアーノ・キアルージ 17
1974-75 セリエA 30 12 12 6 73 22 36 5位 準優勝 エギディオ・カローニ 17
1975-76 セリエA 30 15 8 7 42 28 38 3位 2回戦敗退 UC 準々決勝敗退 エギディオ・カローニ 19
1976-77 セリエA 30 5 17 8 30 33 27 10位 優勝 UC ベスト16 エギディオ・カローニ 15
1977-78 セリエA 30 12 13 5 38 25 37 4位 2回戦敗退 アルド・マルデラ 9
1978-79 セリエA 30 17 10 3 46 19 44 1位 1回戦敗退 UC ベスト16 アルベルト・ビゴン 17
1979-80 セリエA 30 14 8 8 34 19 36 15位 準々決勝敗退 EC 2回戦敗退 ステファノ・キオディ 11
1980-81 セリエB 38 18 14 6 49 29 50 1位 1回戦敗退 ロベルト・アントネッリ 15
1981-82 セリエA 30 7 10 13 21 31 24 14位 1回戦敗退 ロベルト・アントネッリ
ジョー・ジョーダン
6
1982-83 セリエB 38 19 16 3 77 36 54 1位 準々決勝敗退 ジョー・ジョーダン
アルド・セレーナ
14
1983-84 セリエA 30 10 12 8 37 40 32 8位 準々決勝敗退 オスカル・ダミアーニ 11
1984-85 セリエA 30 12 12 6 31 25 36 5位 準優勝 ピエトロ・パオロ・ビルディス 13
1985-86 セリエA 30 10 11 9 26 24 31 7位 ベスト16 UC ベスト16 ピエトロ・パオロ・ビルディス 16
1986-87 セリエA 30 13 9 8 31 21 35 5位 ベスト16 ピエトロ・パオロ・ビルディス 18
1987-88 セリエA 30 17 11 2 43 14 45 1位 ベスト16 UC 2回戦敗退 ピエトロ・パオロ・ビルディス 15
1988-89 セリエA 34 16 14 4 61 25 46 3位 ベスト16 優勝 EC 優勝 マルコ・ファン・バステン 32
1989-90 セリエA 34 22 5 7 56 27 49 2位 準優勝 EC 優勝 優勝 マルコ・ファン・バステン 24
1990-91 セリエA 34 18 10 6 46 19 46 2位 準々決勝敗退 EC 準々決勝敗退 優勝 マルコ・ファン・バステン 11
1991-92 セリエA 34 22 12 0 74 21 56 1位 準決勝敗退 マルコ・ファン・バステン 29
1992-93 セリエA 34 18 14 2 65 32 50 1位 準決勝敗退 優勝 UCL 準優勝 ジャン=ピエール・パパン
マルコ・ファン・バステン
20
1993-94 セリエA 34 19 12 3 36 15 50 1位 ベスト16 優勝 UCL 優勝 準優勝 ダニエレ・マッサーロ 16
1994-95 セリエA 34 17 9 8 53 32 60 4位 ベスト16 優勝 UCL 準優勝 準優勝 マルコ・シモーネ 21
1995-96 セリエA 34 21 10 3 60 24 73 1位 準々決勝敗退 UC 準々決勝敗退 ジョージ・ウェア 15
1996-97 セリエA 34 11 10 13 43 45 43 11位 準々決勝敗退 準優勝 UCL GL敗退 ジョージ・ウェア 16
1997-98 セリエA 34 11 11 12 37 43 44 10位 準優勝 ジョージ・ウェア 13
1998-99 セリエA 34 20 10 4 59 34 70 1位 ベスト16 オリバー・ビアホフ 22
1999-00 セリエA 34 16 13 5 65 40 61 3位 準々決勝敗退 準優勝 UCL 1次L敗退 アンドリー・シェフチェンコ 29
2000-01 セリエA 34 12 13 9 56 46 49 6位 準決勝敗退 UCL 2次L敗退 アンドリー・シェフチェンコ 34
2001-02 セリエA 34 14 13 7 47 33 55 4位 準決勝敗退 UC 準決勝敗退 アンドリー・シェフチェンコ 17
2002-03 セリエA 34 18 7 9 55 30 61 3位 優勝 UCL 優勝 アンドリー・シェフチェンコ 30
2003-04 セリエA 34 25 7 2 65 24 82 1位 準決勝敗退 準優勝 UCL 準々決勝敗退 準優勝 アンドリー・シェフチェンコ 29
2004-05 セリエA 38 23 10 5 63 28 79 2位 準々決勝敗退 優勝 UCL 準優勝 アンドリー・シェフチェンコ 26
2005-06 セリエA 38 28 4 6 81 31 58 3位[83] 準々決勝敗退 UCL 準決勝敗退 アンドリー・シェフチェンコ 28
2006-07 セリエA 38 19 12 7 57 36 61 4位 準決勝敗退 UCL 優勝 カカ 18
2007-08 セリエA 38 18 10 10 66 38 64 5位 ベスト16 UCL ベスト16 優勝 カカ 19
2008-09 セリエA 38 22 8 8 70 35 74 3位 ベスト16 UC ベスト32 アレシャンドレ・パト 17
2009-10 セリエA 38 20 10 8 60 39 70 3位 準々決勝敗退 UCL ベスト16 マルコ・ボリエッロ
ロナウジーニョ
15
2010-11 セリエA 38 24 10 4 65 24 82 1位 準決勝敗退 UCL ベスト16 ズラタン・イブラヒモビッチ 21
2011-12 セリエA 38 24 8 6 74 33 80 2位 準決勝敗退 優勝 UCL 準々決勝敗退 ズラタン・イブラヒモビッチ 35
2012-13 セリエA 38 21 9 8 67 39 72 3位 準々決勝敗退 UCL ベスト16 ステファン・エル・シャーラウィ 19
2013-14 セリエA 38 16 9 13 57 49 57 8位 準々決勝敗退 UCL ベスト16 マリオ・バロテッリ 18
2014-15 セリエA 38 13 13 12 56 50 52 10位 準々決勝敗退 ジェレミー・メネス 16
2015-16 セリエA 38 15 12 11 49 43 57 7位 準優勝 カルロス・バッカ 20
2016-17 セリエA 38 18 9 11 57 45 63 6位 準々決勝敗退 優勝 カルロス・バッカ 14
2017-18 セリエA 38 18 10 10 56 42 64 6位 準優勝 UEL ベスト16 パトリック・クトローネ 14
2018-19 セリエA 38 19 11 8 55 36 68 5位 準決勝敗退 準優勝 UEL GS敗退 クシシュトフ・ピョンテク 11
2019-20 セリエA 38 19 9 10 63 46 66 6位 準決勝敗退 アンテ・レビッチ 12
2020-21 セリエA 38 24 7 7 74 41 79 2位 準々決勝敗退 UEL ベスト16 ズラタン・イブラヒモビッチ 17
2021-22 セリエA 38 26 8 4 69 31 86 1位 準決勝敗退 UCL GS敗退 ラファエル・レオン
オリヴィエ・ジルー
14
2022-23 セリエA 38 20 10 8 64 43 70 4位 ベスト16 準優勝 UCL 準決勝敗退 オリヴィエ・ジルー 18
2023-24 セリエA 準々決勝敗退 UCL GS敗退
UEL

欧州の成績

1955-2000

2000-


現所属メンバー

セリエA2023-24シーズン 基本フォーメーション (4-3-3)
2024年1月14日現在[84]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF イタリア ダヴィデ・カラブリア キャプテン
4 MF アルジェリア イスマエル・ベナセル ()
7 MF フランス ヤシン・アドリ ()
8 MF イングランド ルーベン・ロフタス=チーク ()★
9 FW フランス オリヴィエ・ジルー
10 FW ポルトガル ラファエル・レオン ()
11 MF アメリカ合衆国 クリスチャン・プルシック ()
14 MF オランダ タイアニ・ラインデルス ()
15 FW セルビア ルカ・ヨヴィッチ ()
16 GK フランス マイク・メニャン ()
17 FW スイス ノア・オカフォー ()
19 DF フランス テオ・エルナンデス ()
20 DF フランス ピエール・カルル ()
21 FW ナイジェリア サムエル・チュクウェゼ
No. Pos. 選手名
23 DF イングランド フィカヨ・トモリ () ()★
24 DF デンマーク シモン・ケアー
28 DF ドイツ マリック・チャウ () ()
30 DF イタリア マッティア・カルダーラ
31 DF アルゼンチン マルコ・ペッレグリーノ ()
32 MF イタリア トンマーゾ・ポベガ
38 DF イタリア フィリッポ・テッラッチャーノ
42 DF イタリア アレッサンドロ・フロレンツィ
46 DF イタリア マッテオ・ガッビア
57 GK イタリア マルコ・スポルティエッロ
69 GK イタリア ラポ・ナヴァ
70 FW コートジボワール チャカ・トラオレ
80 MF アメリカ合衆国 ユヌス・ムサ () () ()
83 GK イタリア アントニオ・ミランテ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

※3番はパオロ・マルディーニ。長男クリスティアン・マルディーニ、または次男ダニエル・マルディーニが引き継がない限り、永久欠番[85]

※6番はフランコ・バレージ 永久欠番。

監督

ローン移籍

2024年1月20日現在
in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- GK コロンビア デビス・バスケス (アスコリ)
-- DF セネガル フォデ・バロ=トゥーレ (フラム)
-- MF ベルギー アレクシス・サーレマーケルス (ボローニャ)
-- MF イタリア ダニエル・マルディーニ (モンツァ)
-- FW ベルギー シャルル・デ・ケテラーレ (アタランタ)
-- MF ボスニア・ヘルツェゴビナ ラデ・クルニッチ (フェネルバフチェ)
No. Pos. 選手名
-- FW ブラジル ジュニオール・メシアス (ジェノア)
-- FW セルビア マルコ・ラゼティッチ (フォルトゥナ・シッタート)
-- FW イタリア マルコ・ナスティ (バーリ)
-- FW イタリア ロレンツォ・コロンボ (モンツァ)
-- FW ベルギー ディヴォック・オリジ (ノッティンガム・フォレスト)
-- MF アルゼンチン ルカ・ロメロ (アルメリア)

リザーブメンバー

[86] 注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- MF クロアチア アントニオ・ミオニッチ
No. Pos. 選手名
-- FW スウェーデン エミル・ロバック

プリマヴェーラ

プリマヴェーラは、イタリアのサッカークラブの育成部門の最上位に位置している。各クラブによって若干の違いはあるが、おもな構成選手は17歳~18歳の選手である。下部組織の中でも、実質的にトップカテゴリの選手達の予備軍となる。シーズン中にトップチームへ招集実績のあるメンバーのみ以下に記述する。

2023年12月27日現在[87]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
73 FW イタリア フランチェスコ・カマルダ
74 DF スペイン アレックス・ヒメネス
78 GK イタリア アンドレア・バルトッチオーニ
82 DF ドイツ ヤン=カルロ・シミッチ
No. Pos. 選手名
84 DF フランス クリントン・ンシアラ=マケンゴ
85 MF イタリア ケヴィン・ゼロリ
93 DF ルーマニア アンドレイ・クービシュ
95 DF イタリア ダヴィデ・バルテサーギ

歴代監督

永久欠番

No. 選手名 国籍 ポジション ミランデビュー ラストマッチ
3 パオロ・マルディーニ イタリアの旗 イタリア センターバック
レフトバック
1985年1月20日 2009年5月31日
6 フランコ・バレージ イタリアの旗 イタリア スウィーパー 1978年4月23日 1997年6月1日

歴代所属選手

脚注

  1. ^ 現在、永久保持が認められたビッグイヤーの複製版がカーザ・ミランイタリア語版のモンド・ミラン博物館のトロフィールームにて一般公開されている。
  2. ^ なお日本では、ACミランが同スタジアムを使用する場合はスタジアムの呼称が「サン・シーロ」となり、インテルが使用する際は「スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ」と呼称されるとの通念が一部で見られるが、実際にはACミランが同スタジアムを使用する場合でも正式名称は「ジュゼッペ・メアッツァ」である。ミラニスタが同スタジアムを「サン・シーロ」と好んで呼称する理由は、ジュゼッペ・メアッツァの偉業を称えて1980年にスタジアムが改称される前は「サン・シーロ」が正式名称であったこと、「サン・シーロ」の名がスタジアムの立地する土地の名前に由来するために地元の市民に馴染み深いものであること、1926年のグラウンド建設から1945年まではACミランが単独でホームスタジアムとして使用していたことなどが関係している
  3. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  4. ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
  5. ^ ACミランアカデミー東京 オフィシャルサイト
  6. ^ ACミランアカデミー千葉 オフィシャルサイト
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  8. ^ 『伊和中辞典』(第2版)小学館、1999年、132頁。ISBN 4-09-515402-0 
  9. ^ イタリア法で associazioneとは、2名以上の自然人により同一の目的のために組成される団体をいう。例えば、結社の自由を保証するイタリア憲法18条では、 associazione の用語をこのような団体の意味で用いている。
  10. ^ レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY 第8回・フランコ・バレージ(元イタリア代表)”. Soccer Digest Web. 2023年9月13日閲覧。
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関連項目

外部リンク