王大妃

王大妃
各種表記
ハングル 왕대비
漢字 王大妃
英語 WangDaeBi
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王大妃朝鮮語:왕대비、ワンテビ)は、朝鮮王朝の国王のキサキ(后または妃)で、現に在位している国王の妻である女性の地位称号のこと。しかし、大妃大王大妃としばしば混同されることもあった。

概要

日本の皇室ではこれに相当する称号として皇太后太皇太后を用いている。また、1945年の敗戦以前は、宮家の当主が死去し、後継者が宮号を継承したとき、先代当主の妃を指して「○○宮大妃(たいひ)」と呼ぶことがあったが、朝鮮の王大妃が国王から授与される正式な称号なのに対し、日本の大妃は単なる通称・新聞用語であり法的な根拠はいっさい一切ない。

国王の母親であるため、国王が在位している間はほとんど存在していた。なかには国王に代わって実権を掌握した王大妃もおり、睿宗の母后である貞熹王后明宗の母后である文定王后などが挙げられる。

歴代王大妃

純貞孝皇后と哲仁王后を除いて、殆どが王大妃となった人物である。

諡号 時世 配偶者 別称 本貫 在位期間 王陵 備考
定安王后 太宗 定宗 徳嬪
徳妃
順徳王太妃
慶州金氏 1400年 - 1412年 厚陵 朝鮮初の王大妃。
元敬王后 世宗 太宗 靖寧翁主
貞嬪
静妃
厚徳王太妃
驪興閔氏 1418年 - 1422年 献陵
定順王后 世祖 端宗 懿徳王大妃 礪山宋氏 1455年 - 1457年 思陵
貞熹王后 睿宗 世祖 楽浪府大夫人
慈聖王大妃
慈聖大王大妃
坡平尹氏 1468年 - 1469年 光陵 孫の成宗が幼かったため、朝鮮初の垂簾聴政を行った。
昭恵王后 成宗 徳宗 粋嬪
仁粋王妃
仁粋王大妃
仁粋大王大妃
清州韓氏 1475年 - 1494年(追尊) 敬陵
安順王后 成宗 睿宗 仁恵王大妃
明懿大王大妃
清州韓氏 1469年 - 1494年 昌陵
貞顕王后 燕山君
中宗
成宗 慈順王大妃 坡平尹氏 1494年 - 1530年 宣陵
文定王后 仁宗 中宗 聖烈大王大妃 坡平尹氏 1544年 - 1545年 泰陵 幼い息子の明宗に代わって、垂簾聴政を実施。垂簾聴政後も、政権を掌握。
仁聖王后 明宗
宣祖
仁宗 恭懿王大妃 潘南朴氏 1545年 - 1578年 孝陵
仁順王后 宣祖 明宗 懿聖王大妃 青松沈氏 1567年 - 1575年 康陵
仁穆王后 光海君
仁祖
宣祖 昭聖王大妃
明烈大王大妃
延安金氏 1608年 - 1618年
1623年 - 1624年
穆陵 大妃の地位を廃され、側室に降格。継子の光海君に慶運宮に幽閉されていた。仁祖が起こしたクーデターで名誉を回復。
荘烈王后 孝宗 仁祖 慈懿王大妃
慈懿恭慎大王大妃
楊州趙氏 1649年 - 1659年 徽陵 存命中に2度の礼訟論争があった。
仁宣王后 顕宗 孝宗 豊安府夫人
孝粛王大妃
徳水張氏 1659年 - 1674年 寧陵
明聖王后 粛宗 顕宗 顕烈王大妃 清風金氏 1674年 - 1684年 崇陵 息子の粛宗が王になると、国政に深く干渉した。
仁元王后 景宗 粛宗 恵順王大妃
恵順慈敬大王大妃
慶州金氏 1720年 - 1724年 明陵
宣懿王后 英祖 景宗 敬純王大妃 咸従魚氏 1724年 - 1730年 懿陵
貞純王后 正祖 英祖 睿順王大妃
睿順聖哲大王大妃
慶州金氏 1776年 - 1800年 元陵 純祖在位時に3年間の垂簾聴政を行った。
孝懿王后 純祖 正祖 孝懿宣皇后 清風金氏 1800年 - 1821年 健陵
純元王后 憲宗 純祖 明敬王大妃
文仁光聖大王大妃
純元粛皇后
安東金氏 1834年 仁陵 存命中に2度の垂簾聴政を行った。
神貞王后 憲宗
哲宗
翼宗 孝裕王大妃
宣敬純化大王大妃
神貞翼皇后
豊壌趙氏 1834年 - 1857年(追尊) 綏陵 幼くして、国王になった養子の高宗のために興宣大院君と共に垂簾聴政を行った。
孝定王后 哲宗
高宗
憲宗 明憲大妃
明憲王大妃
明憲王太后
明憲太后
孝定成皇后
南陽洪氏 1849年 - 1904年 景陵
哲仁王后 高宗 哲宗 明純大妃
哲仁章皇后
安東金氏 1863年 - 1878年 睿陵
純貞孝皇后 日本統治時代
大韓民国
純宗 李王妃
李王大妃
海平尹氏 1926年 - 1966年 裕陵 大韓帝国皇太后

関連項目