抜海駅

抜海駅
駅舎(2017年10月)
ばっかい
Bakkai
W77 勇知 (8.3 km)
(11.7 km) 南稚内 W79
所在地 北海道稚内市抜海村クトネベツ
駅番号 W78
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 宗谷本線
キロ程 245.0 km(旭川起点)
電報略号 ハツ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
2人/日
-2012年-
開業年月日 1924年大正13年)6月25日[1]
備考 無人駅
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抜海駅(ばっかいえき)は、北海道宗谷総合振興局稚内市抜海村クトネベツにある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線である。事務管理コードは▲121849[2]電報略号ハツ駅番号W78

2022年(令和4年)時点で無人駅、また木造の駅舎を有する駅としては日本最北に位置する[新聞 1][新聞 2]

歴史

1977年の抜海駅と周囲約500m範囲。上が稚内方面。隣の勇知駅を180度向きを変えた様な駅で、相対式ホーム2面2線と駅舎横の稚内側に貨物積卸場と引込線がある。外側の名寄側にも引込線がある。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
  • 1924年大正13年)6月25日鉄道省天塩北線稚内駅(現・南稚内駅) - 兜沼駅間開通に伴い開業[3][4][5][6]一般駅[1]
  • 1926年(大正15年)9月25日:天塩南線と天塩北線を統合して線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる[5]
  • 1930年昭和5年)4月1日:天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる[5]
  • 1949年(昭和24年)6月1日日本国有鉄道に移管。
  • 1977年(昭和52年)5月25日:貨物取扱い廃止[1]
  • 1984年(昭和59年)
  • 1986年(昭和61年)11月1日:電子閉塞化に伴い完全無人化[7]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]
  • 2019年(令和元年)12月3日:JR北海道が宗谷本線沿線自治体に、当駅含む29駅[注釈 1]について、自治体による維持管理もしくは費用負担による存続か、2021年(令和3年)3月での廃止かの方針を2020年3月までに報告するよう要請[新聞 4][新聞 5]
  • 2020年令和2年)
    • 3月27日:宗谷本線活性化推進協議会が当駅の廃止を容認[新聞 6]。当初2021年(令和3年)3月ダイヤ改正時での廃止を予定[新聞 6]
    • 6月3日:同日付「北海道新聞」にて、稚内市と当駅住民との協議が続いている旨の報道[新聞 7]
    • 7月28日:稚内市が地元住民に対して説明会を実施[新聞 8]
      • 市は廃駅になっても駅舎は残る見通しやスクールバスや乗り合いタクシーでの運行による代替案を示した。これに対して、地元住民からは「スクールバスは買い物などとの時間があわず現実的でない」「相乗りも予約が必要で不便だ」と反発や観光への打撃を懸念する声があがった[新聞 8]
    • 8月12日:稚内市とクトネベツ町内会が意見交換会を開催。稚内市は駅の利用状況や代替交通手段などを示したが、町内会側は「宗谷線が存続する限り廃止は賛成できない」といった声が挙がった[新聞 9]
      • その後抜海・クトネベツの両町内会は工藤に対し当駅存続の要望書や観光への利活用に関する提案を提出[新聞 10]
    • 9月24日:同日の稚内市定例市議会にて、市長の工藤広が「合意がなければ何も決められないということはない」「どの道を選択するかは私に与えられた使命」と存廃の判断は地元住民の合意がなくても可能との考えを示す[新聞 11]
    • 12月7日:同日の稚内市定例市議会一般質問への答弁にて、工藤が「そう遠くないうちに(引用注:抜海駅の存廃を)判断する」「駅を残したいがゆえに無理をして何かをするということでは長続きしない」「お互いに可能な限りの時間をこの問題に費やしたい」と述べる[新聞 10]
    • 12月9日:JR北海道が、2021年度より地元自治体(稚内市)による維持管理に移行することを発表[JR北 1][新聞 12]
      • 稚内市はこれについて「地元住民との協議の継続が必要で、当面維持管理費を負担せざるを得ない」とした[新聞 13]。その後稚内市は2021年度当初予算案に、維持管理費として約101万円を計上[新聞 14]
  • 2021年(令和3年)
    • 4月:稚内市による維持管理に移行[新聞 15]。この時点で、稚内市は翌年度以降の維持費を負担する予定はなく、「2021年度の地元の駅存続への取り組みを評価した上で判断する」とした[新聞 16]
    • 5月1日:地元町内会がレンタサイクルの営業を開始[8][9]
    • 9月24日:同日の稚内市定例市議会一般質問への答弁にて、工藤は当駅の存続について次年度まで結論を保留すると答弁[10]
  • 2022年(令和4年)
    • 2月:稚内市が約1か月間にわたって抜海・クトネベツ地区のほか、上勇知・下勇知・夕来地区を経由して市街地へ向かう乗合タクシーの実証実験(1日1往復)。抜海地区から利用なし[新聞 17][新聞 18]
    • 6月7日:稚内市が市費負担での駅維持を同年度で終了する意向を抜海・クトネベツ両町内会役員に伝える[新聞 1]
      • 判断理由について市企画調整課は「生活利用が少ない」とした[新聞 1][新聞 2]
    • 6月21日:稚内市が市費での駅の維持を今年度をもって止めることを決定[新聞 19]
      • この判断について、後日7月19日と23日に行われた抜海・クトネベツ両町内会での説明会にて、工藤は「これ以上いくら話をしても時間がかかるだけだと思い」判断したと回答[新聞 17]。代替交通の具体案は示さず[新聞 20]
      • 一方で、報道陣の取材に対し、住民による存続活動は妨げない考えを示した[新聞 17]
      • 関連して住民はクラウドファンディングを用いた維持費用調達を計画しているとしたが、のちにJR北海道から「駅は自治体管理が原則。民間に維持管理を任せた前例はない」と回答されている[新聞 21]
    • 8月11日:稚内市が地元町内会向けに報告会を開催。存廃の判断を2023年(令和5年)5月ごろまで先延ばしし、2023年(令和5年)度中は市費により駅を維持することを決定[新聞 21]
      • この判断について稚内市の幹部は「協議が不十分で、市と地域との間で認識の隔たりが大きかった」と述べ[新聞 20]、年内に代替交通の実証実験を行う方針も示した[新聞 20][新聞 21]
  • 2023年(令和5年)
    • 3月13日:同日から17日にかけ、稚内市が再び抜海・クトネベツ地区と市街を結ぶ乗り合いタクシー(住民のほか観光客が利用可)を実証運行。対象地域を限定して所要時分を短縮し、市街方面2本、抜海方面3本に増便。併せて、試験運行後に抜海駅の存廃について地元と協議し、6月にも結論を出すとした[新聞 18]
    • 7月14日:稚内市が抜海町内会に対し、2024年(令和6年)度末での廃止とその間の市費による維持、代替交通の形態・ダイヤについてのさらなる検討を表明[新聞 22]。翌15日にはクトネベツ町内会にも説明[11]
  • 2024年(令和6年)
    • 6月23日:地元住民らによる開業100周年記念式典と記念碑の披露を実施[新聞 23]
    • 6月28日:同日付で稚内市がJR北海道に対し、当駅の維持管理を当年度限りで終了すると正式に回答[新聞 23]
    • 9月24日:名寄駅 - 稚内駅間運行管理システムの更新に伴い、同日より2番線の使用を停止(予定)[12]

駅名の由来

当駅の所在する地名より。抜海市街の外れに、現在は「抜海岩」と呼ばれている子供を負ぶっているように見える大岩があり(後述)、そのアイヌ語名である「パッカイぺ(pakkai-pe)」(子を背負う・もの)」から地名がついた[4][13][14][15]

なお、駅自体は抜海市街から離れたクトネベツ地区に所在するが、このクトネベツは現在のクトネベツ川のアイヌ語名に由来しているとされ、山田秀三は「クトゥネペッ(kutu-ne-pet)」、「中空の管・になっている・川」あるいは「地層の露出している崖・になっている・川」という意ではないかと解釈している[13]。また、永田方正による「クトゥネ(kutune)」は「大きな『クッタㇽ(kuttar)』(イタドリ)」のことだ、とする解釈もある[13]

駅構造

相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、列車交換が可能な交換駅となっているが、2021年(令和3年)3月現在のダイヤでは定期列車の交換は無い。過去には臨時列車が当駅で列車交換を行ったことがある。互いのホームは駅舎側ホーム南側と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡している[16]。駅舎側(東側)が下りの1番線、対向側ホームが上りの2番線となっている[16]。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では2番線の旭川方から分岐し対向側ホーム横までの行き止まりの側線を1線有していた[17]。この側線は1993年(平成5年)3月までには撤去された[16]。ホーム上のは、1990年(平成2年)ごろから地元住民が世話をしている[新聞 8][新聞 24]

稚内市管理の無人駅となっている。駅舎は開業時に建築された木造駅舎が改修されながら使われており[18][新聞 25]、構内の西側に位置し1番線ホーム中央部分に接している[16]。正面出入口部分の形状は改築され二重扉になっている[18][19]。ホーム側には貝殻を貼り付けた文字を利用した駅銘板が掲示されている[18]。トイレを有する[18]

のりば

番線 路線 方向 行先
1 宗谷本線 下り 稚内方面
2 上り 幌延名寄方面

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1935年(昭和10年) 15,699 (42.9) [20]
1949年(昭和24年) 40,446 (110.8)
1968年(昭和43年) 47,787 (130.9) [21]
1970年(昭和45年) 37,874 (103.8)
1975年(昭和50年) 23,442 (64.2)
1980年(昭和55年) 12,966 (35.5)
1981年(昭和56年) (17.5) [17] 乗降人員35人
1992年(平成04年) (11.0) [16] 乗降人員22人
2011年(平成23年) (1.0) [22] 乗降人員2人
2012年(平成24年) (1.0) 乗降人員2人
2015年(平成27年) 10名以下 [JR北 2]
2016年(平成28年) 1.6 [JR北 3]
2017年(平成29年) 1.4 [JR北 4]
2018年(平成30年) 1.4 [JR北 5]
2019年(令和元年) 1.8 [JR北 6]
2020年(令和02年) 2.6 [JR北 7]
2021年(令和03年) 2.0 [JR北 8]
2022年(令和04年) 2.2 [JR北 9]

駅周辺

「抜海」の由来となった抜海岩(稚内市抜海村字バッカイ)。道道106号稚内天塩線の沿線にある。

当駅は海岸沿いの抜海市街(稚内市抜海村バッカイ)から離れた内陸の丘陵上のクトネベツ地区に所在する。駅前には道路以外は雑草が生い茂り、数戸の朽ちた住宅や小屋などがあるだけで店舗などは無い。駅付近には北海道道510号抜海兜沼停車場線が通過しており牧草地が広がる。南下すると勇知市街、西進すると海岸沿いを走行する北海道道106号稚内天塩線日本海オロロンライン)に通じている。抜海の市街地は海岸沿いに出てから道道106号を天塩町方面に2.0kmほど下った抜海漁港付近にある[23]。駅には5月 - 10月のみ地元町内会が運営するレンタサイクルがある[8][9]

  • 抜海郵便局(約2.1km)
  • 稚内市立抜海小中学校(約1.7km) - 2007年3月に廃校
  • 抜海市街地(約2km)
  • 抜海漁港・稚内漁業協同組合抜海支所(約2.4km)
  • 旅人宿ばっかす(約2.1km)
  • 抜海岩(約2.5km) - 前述の地名の由来となっている岩。稚内市指定文化財
  • 抜海原生花園(約1km)
  • 稚内西海岸原生花園 - 駅から西に約6km[17]
  • 抜海岬(約2.7km)

その他

当駅はしばしば映像作品のロケーション撮影に用いられている[新聞 8]

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
宗谷本線
勇知駅 (W77) - 抜海駅 (W78) - 南稚内駅 (W79)

脚注

注釈

  1. ^ 2013年 - 2018年の1日当たりの平均乗車人員が3人以下の駅。

出典

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、903頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年1月15日閲覧 
  3. ^ 大蔵省印刷局, ed (1924-06-21). “鉄道省告示 第120号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3548). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955696/2. 
  4. ^ a b 北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、182頁。ASIN B000J9RBUYdoi:10.11501/12068975https://dl.ndl.go.jp/pid/12068975/1/272023年7月13日閲覧 
  5. ^ a b c 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、179-180頁。ISBN 978-4093951012 
  6. ^ 『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』今尾恵介新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、47頁。ISBN 978-4-10-790019-7 
  7. ^ 全国停留場を歩く会 編『無人駅探訪』西崎さいき、文芸社、2010年3月、149頁。ISBN 978-4533078583 
  8. ^ a b 【日本最北木造駅舎抜海駅】開業100周年記念事業を成功させたい!”. ACT NOW. 2021年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月6日閲覧。
  9. ^ a b 抜海駅レンタサイクルを予約する”. 予約システム RESERVA. 2021年6月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月6日閲覧。
  10. ^ 稚内市議会 会議録 令和3年 第8回 定例会 09月24日-02号62-68頁 稚内市議会事務局
  11. ^ 抜海駅廃止、クトネベツにも説明 稚内市「来年度末までに道筋」」『北海道新聞デジタル』北海道新聞社、2023年7月15日。2023年7月15日閲覧。オリジナルの2023年7月15日時点におけるアーカイブ。
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  14. ^ 太田幸夫『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』富士コンテム、2004年2月、125頁。ISBN 978-4893915498 
  15. ^ アイヌ語地名リスト ノブト~ヒラキ P101-110”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  16. ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、151頁。ISBN 978-4093951012 
  17. ^ a b c 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、186頁。ISBN 978-4093951012 
  18. ^ a b c d e 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』北海道新聞社、2008年7月、225頁。ISBN 978-4894534643 
  19. ^ 横見浩彦牛山隆信『すごい駅』メディアファクトリー〈メディアファクトリー新書〉、2011年9月、16-17頁。ISBN 978-4840135399 
  20. ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729https://doi.org/10.11501/34487292022年8月11日閲覧 
  21. ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、729頁。doi:10.11501/9490970https://doi.org/10.11501/94909702022年8月11日閲覧 
  22. ^ 国土数値情報 駅別乗降客数データ - 国土交通省、2020年9月21日閲覧
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JR北海道

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  8. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。
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新聞記事

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  24. ^ “北海道)存廃に揺れる抜海駅、花を手入れ 地元婦人会”. 『朝日新聞』. (2020年7月20日). オリジナルの2020年7月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200720183446/https://www.asahi.com/articles/ASN7M6HTHN7MIIPE00C.html 2020年12月10日閲覧。 
  25. ^ 交通新聞. (2011年4月18日) [要文献特定詳細情報]

関連項目

外部リンク