論理学
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論理学(ろんりがく、英: logic、ロジック)とは、「論理」を成り立たせる論証の構成やその体系を研究する学問である。
現代においては、アリストテレス的な論理学#伝統的論理学、古典論理学、直観主義の論理学などに分かれており、古典論理以降は数理論理学として扱われる。これ以外に、応用分野で多岐に分類されている(ファジィ論理など)
概要
ここでいう論理とは、思考の形式及び法則である。これに加えて、思考のつながり、推理の仕方や論証のつながりを指す。よく言われる「論理的に話す、書く」という言葉は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということである。
論理学は、伝統的には哲学の一分野である[1]。数学的演算の導入により、数理論理学(記号論理学)という分野ができた。現在では、数理論理学は数学と論理学のどちらかであると(時にどちらでもないと)される。現在の論理学は、(それを論理学であるとするなら)数理論理学と、数理論理学をふまえた論理学、数理論理学でない論理学に分化している。
なお、日本語の「論理学」という語は西周によるものとされている[2]。
研究史
伝統的論理学
古代より世界各地において論理学の研究に関する文献が残されており、それらから中国の墨子が墨弁において推論や証明の形式的な方法を考察したことや、インドのディグナーガなどが論証の基本的な条件について整理したこと、またギリシアにおいてはエウクレイデスが公理に基づいた論証を用いた[3]ことや、アリストテレスが推論の規則として三段論法を定式化したことが知られている[4]。これらの研究の中でもインドと中国での研究は個別に進められたが、ギリシアでの研究は中世においてアラビアやヨーロッパに伝わり、ルネサンス以後の研究者にも参照されていることから、歴史的な研究成果として位置づけることができる。今日の論理学の体系は19世紀における研究成果に基づいているため、ここではそれ以前の論理学である伝統的論理学について概説する。
アリストテレスは伝統的論理学の体系的な研究に取り組んだ哲学者であり、彼はギリシャ語で言語、論理を意味するロゴス (λόγος, logos) から「ことば」の学としてのロギカ(ギリシア語の形容詞 λογικ, logica)を構想した。アリストテレスは『オルガノン』において論証に使われる文章を命題として捉え、それぞれの命題がどのように組み合わさることで正しい推論が可能になるかを考察している。特にアリストテレスの論理学での業績には三段論法の定式化が含まれており、これは二つの前提から一つの結論を導き出す推論の形式を指すものである。例えば「すべてのAはBである。すべてのCはAである。したがって、すべてのCはBである」は三段論法に則った論証であると言うことが可能である。
中世において西ヨーロッパにはアリストテレスの著作が完全には伝わらず、また6世紀初頭にボエティウスがアリストテレスの論理学書やそのポルピュリオスによる注解を翻訳した[5]ため、初期スコラ哲学まではアリストテレスはもっぱら論理学者として理解されていた[6]。このような伝統的論理学の研究はポルピュリオスによるアリストテレス注解によって紹介され、スコラ哲学における論理学書は多くポルピュリオス注解の形で書かれた。一方、アリストテレスの論理学書やそのポルピュリオスによる注解は東方ではネストリウス派によってシリア語に翻訳されており[7]、これがアッバース朝期にアラビア語へと翻訳されて、イスラム教世界での論理学の発展を見た。学校が整備されるようになると、論理学は自由七科の一部門として[8]、専門諸学を学ぶ前の予備学として教えられた[9]。アベラルドゥス、オッカムのウィリアムなどがこの時代の論理学に寄与していた。また、カントが論理学を「アリストテレス以来進歩もなければ 後退もない、いわば完成された学問」と呼んだことからもわかるように、アリストテレスの研究成果は以後長い間、大きな変更を受けることなく受け継がれた。ヨーロッパ中世においては論理学に発展が見られたが、ルネサンス期以降の近世においては論理学はむしろ停滞ないしは衰退期となっていた[1]。
近世においてはライプニッツが今日の数理論理学の先駆となる「普遍言語」を構想した。これは多種多様な自然言語に対して、命題の統一的記述を与える人工言語の構想である。ライプニッツ=ヴォルフ派の学者に属する哲学者バウムガルテンは、伝統的な上級認識能力すなわち理性の論理学に対して、下級認識能力の論理学としての感性学を提唱し、これをギリシア語で感覚を意味する aisthesis によって aesthetica と名づけた。
現代論理学
19世紀後半にはジョージ・ブール、オーガスタス・ド・モルガン、ゴットロープ・フレーゲなどが言葉の代わりに数学の演算規則をあてはめ、「概念」や「観念」を記号に変換して現代の論理学を整備する。特にフレーゲの著作『概念文字』は述語論理の基本的な枠組みを提唱したことから、この研究の前後で伝統的論理学から現代の論理学へ移行したことが認められる。またゲオルク・カントールは集合論の研究として新しい集合の概念を導入し、またデデキントによって数が集合の概念によって定義できることを発表し、くわえてペアノが論理記号だけを使用することを示したことは現代の論理学における重要な所期の発展と位置づけられる。この一連の研究動向の中で1902年にラッセルのパラドックスと呼ばれる矛盾が指摘された。
20世紀初頭においてバートランド・ラッセルはこの矛盾を解決するためにアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとの共著『数学原理』 (Principia Mathematica) を発表し、集合論に基づいて数学の研究成果を統合し、記号だけでそれらを証明した。ラッセルたちの仕事を引き継いだダフィット・ヒルベルトは集合論を証明論的に考察して矛盾が生じない適切な公理系を見出すことによって矛盾がない保証となると主張し、この主張を賛同者との協力の下でヒルベルト・プログラムとして推進した。しかし1930年にクルト・ゲーデルによって不完全性定理が発見され、自然数論を含みかつ無矛盾である計算可能な公理系には、内容的には真であるが、証明できない命題が存在することが判明した。ただし、しばしばこれについて「ヒルベルトたちの研究計画は頓挫した」というように安易に表現されていることがあるが、「有限の立場」の捉え方の問題であって正確ではない[注釈 1]。
最近の論理学の研究はヒルベルトが採用したような証明論的方法に対して公理がどのような事態を表現しているかを考えてメタ証明を行なうモデル理論的方法を使用している。これはポーランドで進められていた研究成果が1930年代にアルフレト・タルスキによって紹介された。また集合論の研究が進んだことで、素朴な定義の諸問題が明らかにされており、いくつかの公理の組が提案されてきている。そのことで集合という概念に一つだけの定義を与えることは困難であり、現代の論理学も集合の概念の広がりを許容するさまざまな公理を採用している。1920年代からルドルフ・カルナップは現代の論理学の知見を物理学の理論の分析のために利用し、1950年代からは本格的に研究が進められている。
論理学の分野
脚注
注釈
出典
- ^ a b 「論理学史」p195 山下正男 岩波書店 1983年9月14日第1刷発行
- ^ 毎日新聞社編『話のネタ』PHP文庫 p.55 1998年
- ^ 「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p91-92 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
- ^ 「アリストテレス」(人と思想6)p71-72 堀田彰 清水書院 1968年6月25日第1刷発行 2015年9月10日新装版第1刷発行
- ^ 「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p157-158 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
- ^ 「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p249 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
- ^ 「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p177 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
- ^ 「中世ヨーロッパの都市の生活」p225 ジョゼフ・ギース、フランシス・ギース著 青島淑子訳 講談社学術文庫 2006年8月10日第1刷
- ^ 「論理学史」p176 山下正男 岩波書店 1983年9月14日第1刷発行
参考文献
- ジョン・バーワイズ、ジョン・エチメンディ著『論理学の基礎と演習』大沢秀介ほか訳、慶應義塾大学出版会、2006年。ISBN 9784766413137
- Carney, James, D. and Richard K. Scheer. (1974). Fundamentals of Logic, New York: Macmillan.
- Copi, Irving. (1978). Introduction to Logic, New York: Macmillan.
- Salmon, Wesley C. (1973). Logic. Englewood, Cliffs, NJ: Prentice-Hall.
関連項目
- 現代論理学/数理論理学 - 数学基礎論
- 言語哲学
- 科学哲学
- ミュンヒハウゼンのトリレンマ
- ルイス・キャロルのパラドックス
- 論理学者