アンドリュー・マカロック
アンドリュー・マカロック Andrew McCulloch | |
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別名 | Andy McCulloch |
生誕 | 1945年11月19日(78歳) |
出身地 | イングランド ハンプシャー州ボーンマス(現: ドーセット州) |
ジャンル | |
職業 | ドラマー |
担当楽器 | |
活動期間 | 1968年 - 1980年頃 |
共同作業者 |
シャイ・リムズ キング・クリムゾン フィールズ グリーンスレイド |
アンドリュー・マカロック[注釈 1](Andrew McCulloch、1945年11月19日 - )は、イングランド出身の元ドラマー、ヨット指導者(ヨットマスター)およびセーリング競技指導者、実業家。別名アンディ・マカロック(Andy McCulloch)。
概略
マカロックは1945年、当時はハンプシャー州の自治体だったボーンマスにて生まれた。父親が海洋エンジニアだったため、6歳の時からカナダ、香港、日本[注釈 2]など外国で過ごした[1]。帰国後の1962年頃からはインディゴズ等バンド活動とボート競技に熱中していたが、1968年8月グレッグ・レイクらと出会いシャイ・リムズを結成すると秋にはレコーディングし、翌年1969年5月9日にレコード・デビューした。
1970年、当時邸宅の一室を彼に貸していたキース・エマーソンからの紹介で、キング・クリムゾンにマイケル・ジャイルズの後任として加入して[注釈 3][2]、サード・アルバム『リザード』の制作に参加した[3][4]。マカロックはキング・クリムゾンが1969年にデビューした時から彼らを知っており、ジャイルズのファンでもあった[5][1]。キング・クリムゾンは『リザード』の制作を終えた後、ライブ活動のためのリハーサルを開始したが、その初日の11月2日、ボーカリスト兼ベーシストのゴードン・ハスケルがリーダーのロバート・フリップと衝突して脱退した。その結果、1971年1月から予定されていたライブ活動が中止になったため、マカロックも離脱した[3][6][注釈 4]。
マカロックはフリップからの紹介でアーサー・ブラウンズ・キングダム・カムに移籍[7]したが、イタリア公演の後はリハーサルだけでほとんど活動がなかった。再びフリップからレア・バードを脱退したグラハム・フィールド(キーボード)を紹介され、1960年代末のルーム・メイトだったアラン・バリー(ベース、ギター、ボーカル)を誘って、3人で1971年秋にキーボード・トリオのフィールズを結成した。彼らはアルバム1作を発表して、1972年に解散した[注釈 5][8]。
1972年秋、コロシアムのキーボーディストだったデイヴ・グリーンスレイドらとツイン・キーボード・バンドのグリーンスレイドを結成。彼らはスタジオ・アルバムを4作発表したのち、1976年に解散した[9]。
その後、ツアーケース販売業を行う傍らピーター・バンクス、ダンカン・マッケイ、アンソニー・フィリップスらとのセッション活動を行なったが、ほどなく音楽業界を去った。
1980年に英国王立ヨット協会指導者(RYA ヨットマスター)の資格を取得し、以後、ロンドンでヨット指導者として活動。五輪候補者のコーチングもしており、夏季にはトルコ周辺海域でマカロック・トラベル社観光ヨット船の船長も行っていた[10]。2018年1月、ロンドン・ボート・ショーで久しぶりにトーク・ショーに登壇。元ロック・ドラマーと紹介された。
ディスコグラフィ
正式メンバーとしての活動
シャイ・リムズ
- "Reputation / Love" (1969年) ※シングル(B面にロバート・フリップとグレッグ・レイクが参加)
- "Lady In Black / Trick Or Two" (1969年) ※シングル
キング・クリムゾン
フィールズ
- 『フィールズ』 - Fields (1971年)
- Contrasts: Urban Roar To Country Peace (2015年) ※1972年制作で未発表だったセカンド・アルバム。
グリーンスレイド
- 『グリーンスレイド』 - Greenslade (1973年)
- 『ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ』 - Bedside Manners Are Extra (1973年)
- 『スパイグラス・ゲスト』 - Spyglass Guest (1974年)
- 『タイム&タイド』 - Time And Tide (1975年)
- 『ライヴ’73-’75』 - Live 1973-1975 (1999年)
- 『ライヴ・イン・ストックホルム 1975』 - Live In Stockholm March 10, 1975 (2013年)
セッション活動
マンフレッド・マン・チャプター・スリー
- 『ボリューム・ツゥー』 - Volume Two (1970年) ※「It's Good To Be Alive」のみ演奏
ディーク・レオナルド
- "Diamond Road / Turning In Circles" (1973年) ※シングル
ランゾン&ハズバンド
- Nostalgia (1975年) ※「Ecstasy Express」のみ演奏
ギター・ワークショップ(オムニバス)
ダンカン・マッケイ
- 『スコアー』 - Score (1977年)
アンソニー・フィリップス
- 『プライヴェイト・パーツ・アンド・ピーセズII(バック・トゥ・パヴィリオン)』 - Private Parts & Pieces II: Back To The Pavilion (1980年)
ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラ
- Opus One (1980年)
レイ・ベネット
- Angels & Ghosts (2001年) ※元フラッシュのメンバーとの1975年、1976年演奏2曲のみ。
脚注
出典
- ^ a b Smith (2019), p. 94.
- ^ Smith (2019), pp. 94–95.
- ^ a b 『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』シド・スミス著(ストレンジ・デイズ、2007年7月)
- ^ Smith (2019), pp. 95–98.
- ^ 『フィールズ』リマスター盤CD収録のグラハム・フィールドによるライナー原文より
- ^ Smith (2019), pp. 99–101.
- ^ MARQUEE別冊「キング・クリムゾン」(マーキームーン社、1995年)
- ^ Smith (2019), pp. 105–106.
- ^ Smith (2019), pp. 106, 383–384.
- ^ Smith (2019), p. 384.
注釈
- ^ 「アンディ・マカロック」「アンディ・マクローチ」「アンディ・マックローチ」 (Andy McCulloch)といった日本での表記もあった。
- ^ 広島に7年間居住した。日本で暮らしているときに初めてドラムスを叩いたという。
- ^ キング・クリムゾンは、5人のオリジナル・メンバーのうちジャイルスら3人が脱退して、ロバート・フリップ(ギター、メロトロン)とピート・シンフィールド(作詞)だけになっていた。
- ^ マカロックがキング・クリムゾンを脱退すると、エマーソンは別の一室を間借りしていたイアン・ウォーレスをフリップに紹介した。
- ^ 1972年に制作された2作目のアルバムが、2015年に発表された。
参考文献
- 『キング・クリムゾン―至高の音宇宙を求めて』(新興楽譜出版社、1981年6月)
- 『クリムゾン・キングの宮殿 風に語りて』シド・スミス著(ストレンジ・デイズ、2007年7月)
- 『キースエマーソン自伝』(三修社、2013年4月)
- Smith, Sid (2019), In the Court of King Crimson: An Observation over Fifty Years, Panegyric, ISBN 978-1916153004