上を向いて歩こう 坂本九物語

上を向いて歩こう〜坂本九物語〜』(うえをむいてあるこう〜さかもときゅうものがたり〜)は、2005年8月21日に放送された坂本九の一生を描いたテレビ東京制作の単発2時間ドラマである。

放送された2005年8月は、日本航空123便墜落事故(1985年8月12日発生。坂本九も犠牲となる)から20年を経過するため、8月12日に事故のドキュメンタリーと再現ドラマを組み合わせた特別番組TBSフジテレビで放送された(テレビ番組参照。TBSの『ボイスレコーダー』のドラマ部分では事故後、九への追悼として持ち歌が流れるシーンがある)。本作はそれらに続く番組と紹介する新聞やテレビ情報誌があったが、本作は核心の事故部分に関してある程度脚色している部分がある。

なお、本作の冒頭ではタイトルにもなっている「上を向いて歩こう」が流れるが、エンドロールで流れるのは「見上げてごらん夜の星を」である。

ビクターエンタテインメント(※坂本九はEMIミュージック・ジャパンを経て、晩年はファンハウス所属)より、DVDソフトが発売されている。劇中で使用した主演映画のポスターは坂本の顔に山口の顔を上から貼ったものである。

あらすじ

1941年に川崎で出生した坂本九(当初の本名:さかもと ひさし)は、高校生の時にエルヴィス・プレスリーの物真似で人気者となり、その後バンドのメンバーとして芸能界デビューした。1961年に「上を向いて歩こう」の大ヒットで一躍スターダムに躍り出る。1970年代初頭、女優として人気上昇中であった柏木由紀子と出会い結婚。長年取り組み、特に晩年力を入れていた福祉活動、そして1985年の航空機事故で急逝し、柏木が九の亡骸と対面する所までが描かれた。

この作品では劇中、他系列である札幌テレビ日本テレビ系列)の『ふれあい広場・サンデー九』も、同局の資料提供により再現されている。

坂本九の10代後半(青年期)から40代(壮年期)まで山口達也が通して演じた。 歌もスタジオとテレビのシーンでは坂本の歌声に併せ山口が口パクをしているがコンサートでは山口自身が歌っている。

坂本の最期の描かれ方

この作品は概ね事実を基に描かれているが、一部フィクションを織り交ぜている。その中で特筆するのは坂本の最期についてである。

ドラマでは1985年8月12日朝、坂本は自宅を出てNHKのFM収録後、友人に会うため大阪行きの航空機に搭乗し、航空機事故で亡くなるとなっている。

しかし、実際の坂本は事故前夜にテレビ新広島のローカルクイズ番組クイズクロス5』の収録のため広島入りしており、事故当日に同番組の収録を行った後にNHKのFM収録のため一旦帰京している。

また、このドラマでは墜落した航空機の当事者である日本航空の社名(「日本航空」「日航」「JAL」など)を一切台詞劇中劇の台詞も含む)に出さなかった。このドラマでは小宮勝広マネージャーの妻が「夫(小宮)は早い便に変えようとしたために一足早く羽田へ行ったのね」と言っていたが、この発言もフィクションである[注 1]。しかし、一部のニュース映像についてはそのまま劇中で使われており、事故現場にあった「JAL」のロゴタイプが書かれた左主翼の残骸を上空から映した映像も、一瞬ではあるが使用されている。

ただ、この作品はあくまで事実を基にしたフィクションのドラマであり、ドキュメンタリードラマではない。またこの作品は坂本の生涯が中心で、亡くなった原因となった日本航空123便墜落事故を主眼に置いていないため、この作品では簡略化している部分もある。

キャスト

  • ナレーション - 赤平大(テレビ東京アナウンサー(当時))

スタッフ

放送局

2005年8月21日テレビ東京系列ほかで放送された。

脚注

注釈

  1. ^ 坂本の妻・柏木由紀子はこのドラマの原作本である著書『上を向いて歩こう』(扶桑社)の中で、小宮の妻が「夫は全日空に換えようと駆けずり回っていたんだと思う」と発言していたと記述している。
  2. ^ 劇中の一部に、義野が音楽を担当していたドラマ『相棒』からの流用曲があった。

出典

  1. ^ 記者発表”. 上を向いて歩こう 坂本九物語. 番組制作ニュース. テレビ東京 (2005年6月16日). 2021年11月27日閲覧。 “すぐ上の姉・八千代役には、九さんの次女、舞坂ゆき子さんにお願いしました。”

外部リンク