上川郡 (十勝国)
上川郡(かみかわぐん)は、北海道(十勝国)十勝総合振興局の郡。
人口14,384人、面積1,466.08km²、人口密度9.81人/km²。(2024年2月29日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記2町から清水町の一部(美蔓・羽帯・旭山・御影)を除き、河西郡芽室町の一部(上芽室の一部)を加えた区域にあたる。
郡名は十勝川の上流部にあたることから命名。西に隣接する石狩国上川郡とは大雪山系で隔てられている。
歴史
郡発足までの沿革
江戸時代の上川郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。江戸時代後期、上川郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年上川郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこなった。安政4年上川郡域にも跨る十勝岳が噴火(安政噴火)している。安政6年、6藩分領により仙台藩が上川郡域を拝領。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して上川郡が置かれた。郡名の決める際に松浦武四郎は当郡を「十勝郡」と命名し、開拓使公文録でも「十勝郡」であったが、その後現在の上川郡に変更されている。変更の経緯は明らかになっていない。十勝国では、他にも現在の中川郡、十勝郡で郡名が変更されている。
郡発足以降の沿革
- 明治2年
- 明治4年8月20日(1871年10月4日) - 廃藩置県により再び開拓使の管轄となる。
- 明治5年
- 明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
- 第23大区
- 6小区 : 人舞村、屈足村
- 第23大区
- 明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての上川郡が発足。
- 明治13年(1880年)3月 - 浦河郡外十郡役所(浦河三石様似幌泉広尾当縁十勝中川郡河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
- 明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
- 明治20年(1888年)6月 - 釧路郡外十一郡役所(釧路阿寒白糠足寄川上広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治22年(1890年)1月 - 釧路郡外十郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川郡役所)の管轄となる。
- 明治24年(1892年)3月 - 釧路郡外十二郡役所(釧路阿寒白糠足寄広尾当縁十勝中川河西河東上川厚岸川上郡役所)の管轄となる。
- 明治30年(1897年)
- 大正4年(1915年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、人舞村、屈足村(いずれも二級村、単独村制)が発足。(2村)
- 大正9年(1920年)9月 - 人舞村が河西郡芽室村の一部(大字美蔓村の一部)を編入。
- 大正12年(1923年)4月1日
- 昭和2年(1927年)9月25日 - 人舞村が改称して清水村(一級村)となる。
- 昭和7年(1932年)8月15日 - 河西支庁が改称して十勝支庁となる。
- 昭和8年(1933年)5月1日 - 新得村が町制施行して新得町(一級町)となる。(1町1村)
- 昭和11年(1936年)1月1日 - 清水村が町制施行して清水町(一級町)となる。(2町)
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道十勝支庁の管轄となる。
- 昭和26年(1951年)9月30日 - 清水町が河西郡御影村を編入。
- 昭和33年(1958年)4月1日 - 清水町の一部(上芽室のうち100戸653人)を河西郡芽室町に編入。
- 平成22年(2010年)4月1日 - 十勝支庁が廃止され、十勝総合振興局の管轄となる。
行政
- 浦河郡外十郡長
- 釧路郡外十一郡長
- 釧路郡外十郡長
- 釧路郡外十二郡長
- 河西郡外五郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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1 | 吉田直太郎[1] | 明治30年(1897年)7月 | 明治30年(1897年)11月5日 | 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く |