全国高等学校野球選手権大会
今シーズンの大会: 第105回全国高等学校野球選手権大会 | |
開始年 | 1915年(大正4年) |
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主催 |
朝日新聞社 日本高等学校野球連盟 (後援・毎日新聞社 特別協力・阪神甲子園球場 以上2団体は全国大会のみ) |
チーム数 | 49チーム |
加盟国 | 日本 |
前回優勝 |
慶応 (2023年) |
最多優勝 |
中京大中京 (7回) |
公式サイト | |
www | |
主球場
取りやめ |
全国高等学校野球選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうやきゅうせんしゅけんたいかい)は、日本の兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場を主会場として、朝日新聞社と日本高等学校野球連盟(高野連)が毎年8月に開催している高校野球の大会である。
前身の全国中等学校優勝野球大会は1915年(大正4年)に大阪府の豊中球場で第1回が開催され、1948年(昭和23年)より学制改革に伴い現行の名称となった。
大会旗および優勝旗の色は深紅で、特に優勝旗を指して「深紅の大優勝旗」と呼ばれている[2]。「夏の甲子園」「夏の高校野球」「全国甲子園」「甲子園」 「夏」「選手権」「〇〇回目の夏」などと表現されており、5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施される。
歴代優勝校は、全国高等学校野球選手権大会歴代優勝校を参照。
出場チーム
本大会の出場校は6月中旬から7月下旬にかけて行う地方大会[注 1]で決められる。試合方式は本大会と同じく、ともにすべてノックアウトトーナメントであり、優勝校が代表校として本大会に出場できる。全地方大会の出場校数は3,500校前後である(1990年から2011年は4,000校を越えていた)[注 2][3]。
地方大会の基本的なルールは、選抜高等学校野球大会(選抜=春の甲子園)と同じく開催年度の公認野球規則、アマチュア野球内規、高校野球特別規則に則って行われる。地方大会では得点差によるコールドゲーム制度(5回10点差以上、7回7点差以上[注 3])が実施されている。ただし、決勝戦に限ってはコールドゲームは適用されず、雨天などにより9回攻撃終了とならない場合はノーゲームとなる。ただし、一部の地区では特別継続試合が採用されている。
出場チーム数
第1回大会(1915年)では、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区の代表校と、春の東京大会優勝校の計10校の代表であった[4][5][注 4]。
その後は、参加する府県・地区の増加により毎年のように地区の分割、新設が行われ、第12回大会(1926年)には北海道、奥羽、東北、北関東、南関東、東京、神静(神奈川・静岡)、東海、甲信越、北陸、京津、大阪、兵庫、紀和、山陰、山陽、四国、北九州、南九州、朝鮮、満州、台湾の22枠となった。
以降、第27回大会(1941年)まで枠間の移動はありつつも枠数は維持された。南九州は4県ないし5県から1校、四国は4県から1校という厳しさで、逆に兵庫県は地元という名目で第1回大会から単独枠が割り振られていた[4]。このため、歴代の出場回数・優勝回数・勝利数などのランキングについて、有利不利が存在するのではないかと言われている[4]。
第二次世界大戦に伴う1942年から1945年の中断を挟み、第28回大会(1946年)は敗戦により放棄した朝鮮・満州・台湾の枠を削除した19枠で大会が再開された。以降は地区の分割が進み、地区数は増加を続けた。参加校の多い北海道と東京都については、北海道は第41回大会(1959年)より北北海道・南北海道で各1校、東京都は第56回大会(1974年)より東東京・西東京で各1校となった。第60回大会(1978年)以降は、全ての年で1府県1校・北海道と東京は2校の49代表制となった。
記念大会では、以下の回で1回限りの枠の増値が行われている。
- 第40回大会(1958年) - 1府県1代表が選出。かつ、当時アメリカの占領下にあった沖縄県からの出場も認められた。
- 第45回大会(1963年) - 同上
- 第50回大会(1968年) - 同上
- 第55回大会(1973年) - 同上(沖縄県はこの前年に日本に復帰)
- 第80回大会(1998年) - 北海道・東京都に加えて、参加校が128校を超える埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県・大阪府・兵庫県の6府県から2代表選出。
- 第90回大会(2008年) - 同じく前述の6府県が2校選出。
- 第100回大会(2018年) - 前述の6府県に加えて福岡県からも2代表選出。
参加校が32校以下で5回戦制となる県と129校以上で8回戦制となる都府県があり、都道府県により地方大会の試合数は大きく異なっている。
会場
1915年、第1回全国中等学校優勝野球大会が豊中グラウンドで行われた。豊中グラウンドは1913年(大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設・設置したものであるが、規模の小ささなどが問題となっていた。
この当時は遠征費用をすべて出場校が負担していたこともあり、会期を短縮して出場校の費用を軽減することが考慮された結果、複数のグラウンドを設置することも求められた。これに鳴尾運動場を所有していた阪神電気鉄道が応え、場内に野球用グラウンドを2面設置することで1917年の第3回大会から会場が移された。しかし、学生野球が人気になるにつれ観客が増加し、1923年の第9回大会では溢れた観客がグラウンドになだれ込む事件が発生する。さらにグラウンドの水はけの悪さもあって、主催者の大阪朝日新聞は、本格的な野球場の建設を提案した。
鳴尾球場を所有していた阪神電鉄は、鳴尾村に流れていた申川と枝川(武庫川の支流)を廃川としたあとにできた埋め立て地に大規模な沿線開発を行っており、当時阪神電鉄の専務だった三崎省三の構想もあり、旧枝川・旧申川の分流点あたりに野球場を建設する計画を立てていたことから、利害が一致。ニューヨーク・ジャイアンツのホームグラウンドのポロ・グラウンズを参考に球場を大会に間に合わせるため突貫工事で建設され、1924年8月1日に球場が完成。この年が十干十二支の最初の年である甲子年(きのえねのとし)という60年に1度の縁起のいい年であることから、甲子園大運動場と命名された。
同年の第10回大会から使用開始。戦後初の復活開催となった1946年の第28回大会はGHQに甲子園を接収されていたため、阪急西宮球場で行われた。この大会は、立教大学の教授を務め、戦後GHQの将校として再来日したポール・ラッシュ博士が、若者たちに夢や希望を与えるスポーツを復活させることが戦後の日本の復興にとって喫緊課題であるとして、大会復活に尽力し開催したものであった。
出場校を大幅に増やした第40回大会(1958年)と第45回大会(1963年)では大会日数を減らすため、甲子園球場と西宮球場を併用して使用するものの、不公平として評判がよくなかったため(甲子園で試合できず敗退した学校からは苦情があった)、これ以降は一貫して甲子園で行われるようになった。
当大会を主目的に建設された甲子園球場は半世紀あまりの大会を優先的に行っているため、当球場は高校野球の聖地として高校球児たちの憧れの舞台となっている。「甲子園」という言葉自体が高校野球全国大会の代名詞となっており、「夏の甲子園」という通称としても扱われているように当大会に大きく貢献していることから、2010年シーズンから大会の特別協力として扱われている。
なお、上述のような経緯、そして開設当時は阪神電鉄も電車運賃と沿線開発によって収益を上げられたことにより、高校野球の開催について甲子園球場の使用料を請求しておらず、これは開設から90年以上を経た2015年時点でもそのままとなっている[6]。
また、阪神甲子園球場は阪神タイガースの本拠地ともなっているが、1990年代半ばまでタイガースは高校野球の開催期間中に本拠地が使えないため、長期ロードを強いられていた。かつてはロード中に成績が低迷することが多かったため「死のロード」の異名で呼ばれることもあった。1997年以降、タイガースは当大会や春の選抜大会中に準本拠地として近傍の大阪市にある京セラドームを使用する日程を組むようになったので、そうした異名は過去のものとなっている。
虫明亜呂無は「昭和の初めから甲子園の中等野球が阪神地帯を中心に盛んになっていったのは、山陽・四国・九州地方の出身者が、阪神地帯で商店の丁稚や中小工場の工員などで働いていたとき、たまたま8月のお盆休みに、甲子園球場に来て、故郷の学校の活躍を見て、激しい応援を送ったからである。自分と小学校で同窓だった者が、あるいは隣村の誰それが野球の選手として甲子園に来ているという親近感が甲子園の野球を支えた。甲子園の野球は望郷と流浪の野球に他ならない。『いつの日か 故郷に帰らん 流離の泪』が甲子園野球の花である。野球が故郷を離れた者同士を堅く連帯させた。観客の想いはひたすら故郷に向かった」等と論じている[7]。
日程
現行の日程(49代表・48試合制)は以下の通りである。
日程 | 試合・他 | |
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初日 | 開会式 | |
第1試合 | 1回戦 (49→32) | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
2日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
3日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
4日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
5日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | 2回戦 (32→16) | |
6日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
7日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
8日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
9日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
10日目 | 第1試合 | 3回戦 (16→8) |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
11日目 | 第1試合 | |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
12日目 | 休養日 | |
13日目 | 第1試合 | 準々決勝 (8→4) |
第2試合 | ||
第3試合 | ||
第4試合 | ||
14日目 | 休養日 | |
15日目 | 第1試合 | 準決勝 (4→2) |
第2試合 | ||
16日目 | 休養日 | |
最終日 | 決勝戦(2→1) | |
表彰式・閉会式 |
現在の全都道府県から代表が出場する以前は8月中旬(おおむね8月10日前後から)の10日間前後で開催されていた。全都道府県から選出された記念大会では、第40・45回は同じ日程だが、第50・55回は14日間で開催された。
第60回(1978年)より、各都道府県の代表が参戦するようになってからは、おおむね8月8日を起点とした14日間を基本として行うようになった。出場枠が55(56)校に拡大される記念大会は2日間延長される。
第63回(1981年)までは2 - 9日目が4試合日、10 - 11日目が3試合日となっており、3回戦を9 - 11日目の3日間かけて消化していた。
準々決勝については、第85回(2003年)までは1日4試合を一括開催していたが、第86回(2004年)から第94回(2012年)は選手の健康管理を考え、1日2試合ずつの2日間開催に変更された(会期を1日延期。ただし、雨天などによる順延が3日以上となった場合は、4試合を一括開催)[注 5]。この関係で、長年8月8日前後に開幕していたのが、1 - 2日程度前倒しして行われるようになっている。
第95回(2013年)からは1日4試合開催に戻し、準々決勝と準決勝の間に休養日を1日挟み、選手の連戦による健康被害軽減に配慮した(会期は変わらず15日間=以後の表記は休養日込み。準々決勝までに3日以上順延となった場合は休養日なし)[8][9]。
第101回(2019年)からは準決勝と決勝の連戦を避けるため、休養日が1日追加された(会期は16日に延長)。
夏季オリンピック開催年は、開催期間の重複を可能な限り避けるための日程調整が実施されることがある。例として、第74回(1992年・バルセロナ五輪)は繰り下げて8月10日、第90回(2008年・北京五輪)は繰り上げて8月2日(史上最速)にそれぞれ開幕した。
第102回(2020年・東京五輪)は8月10日の開幕となる予定であったが、日本国内で新型コロナウイルス感染症の流行が拡大している影響で中止された。
第103回(2021年・東京五輪)は8月10日に開幕。この年から3回戦と準々決勝の間に休養日が追加された(会期は17日に延長)[注 6]。
なお、日本の電力消費は全国高等学校野球選手権大会をピークになっており[10]、電力供給もそれに合わせて調整を行っているという通説がある。電力需給の観点から、電力行政を管轄する通商産業省(現・経済産業省)が開催時期をずらすことについて検討をしたことがある[11]。
開閉会式
司会
第78回(1996年)までは主催者の職員が司会を担当していたが、第79回(1997年)以後は兵庫県内の高校の放送部員(おおむね、NHK杯全国高校放送コンテスト兵庫県大会のアナウンス部門・朗読部門[注 7]で入賞した生徒)が4人(開会式・閉会式に各2名ずつ)が担当するようになった[注 8]。
開会式
開式の前に関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟がライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたゲートから入場。
- 開式の辞
- 開式の言葉ののちファンファーレが鳴り響く。
- 選手入場
- ライトスタンドと一塁側アルプスの間に設けられたゲート[注 9]から入場。曲は「大会行進曲」(作曲・山田耕筰)。春の選抜高校野球と違い、流行歌による入場行進曲の設定はない[12]。
- 先導者・国旗・大会旗(記念大会[注 10]は歴代優勝校旗)の順に入場し、各校がそれに続く。まずは前年度優勝校が優勝旗を持って入場(地方大会を優勝し、代表校として出場する場合は出場選手全員、敗退している場合は主将のみが単独で入場)[注 11]。その後、下1桁が奇数回開催のときは北から南、下1桁が偶数回開催のときは南から北の順に主将を先頭に3列で入場し、レフト寄りから前年度優勝校、続いて入場した学校はセンター、3校目は2校目に入場した学校の手前、4校目は2校目に入場した学校の奥と交互に外野側に整列。選手は白色の運動靴で入場する。全出場校が揃うとともに選手は一斉にバックネット方向へ前進する。
- 第31回大会(1949年)から西宮市立西宮高等学校の生徒[注 12]が国旗、大会旗(記念大会は歴代優勝校旗)、代表校のプラカード[注 13]を持っている。なお、春の選抜高校野球では各校の生徒がプラカードを持っており、夏の全国高等学校野球選手権大会と異なる[12]。
- 国旗・大会旗掲揚
- 選手・役員は脱帽のうえ、掲揚台側を向く。
- なお、東日本大震災後に行われた第93回大会(2011年)では黙祷が行われた(そのときの黙祷は、サイレンはなし)。
- 大会会長の開会のあいさつ
- 朝日新聞社社長によるあいさつ。
- 優勝旗返還
- 優勝旗が前年度優勝校の主将から大会会長の朝日新聞社社長に返還され、代わりに記念旗(レプリカ)が授与される。なお優勝旗は大会期間中、甲子園歴史館で準決勝日まで展示される。
- 御祝の言葉
- 文部科学大臣による。出席できない場合は、文部科学副大臣ないし文部科学政務官が代理を務める。
- 励ましの言葉
- 日本高等学校野球連盟会長による。
- 選手宣誓
- 大会歌吹奏・選手退場
- 選手たちは3塁側から4列ずつ大会歌吹奏に合わせて退場する。春の選抜高校野球とは違い、駆け足では退場しない。
- 閉会の辞
- 開会式の司会を務めた高校生が自己紹介する。関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。選手同様、春の選抜高校野球とは違い、駆け足では退場しない。
なお、2000年の第82回大会の開会式から、ライト側で西宮をPRする会による人文字を行っていたが、同会が会員の高齢化などにより活動を終了したため、2018年の第100回大会を最後に終了した。
閉会式
表彰式に先立ち、共同公開インタビューとして、NHKアナウンサーの司会により優勝監督へ、朝日放送テレビアナウンサーの司会により優勝校の殊勲選手若干名にそれぞれインタビューを行う。閉会式の準備ができるまでの間、ベンチ周辺でインタビューが行われ、閉会式の準備が終わり次第、閉会式が始まる。
- 開式の辞
- 開会式とは別の高校生(放送部員)が閉会式開幕のあいさつを行う。
- 選手入場・整列
- 校名プラカードは開会式で優勝校・準優勝校を担当した西宮市立西宮高等学校2年生の女子生徒が持っている。選手はスパイクシューズのまま入場する。
- 審判委員長講評
- 日本高等学校野球連盟会長による。
- 優勝旗・優勝盾授与
- 大会会長の朝日新聞社社長から優勝校の主将に優勝旗、副主将に優勝盾が授与される。
- 準優勝盾授与
- 大会会長の朝日新聞社社長から主将に授与される。
- 優勝メダル授与・準優勝メダル授与
- 大会会長の朝日新聞社社長から授与される。
- 大会会長の閉会のあいさつ
- 朝日新聞社社長による。
- 大会旗・国旗降納
- 選手・役員は脱帽のうえ、掲揚台側を向く。
- 優勝校・準優勝校選手場内一周(大会歌吹奏)
- 内野側から反時計回りに一周する。NHKの放送は途中で番組が終了する(早い時間に試合が終了し、放送時間が余ったときは一周し終わり、最大で蛍の光演奏後まで放送する年もある)。
- 閉会の辞
- 閉式のことばとともに司会を務めた高校生が自己紹介する。
- ファンファーレ
- 演奏者(関西吹奏楽連盟の一部メンバー)がバックスクリーン整列し、開会式と同じファンファーレを演奏。
- オーロラビジョンにはこのタイミングで「ありがとうございました さようなら」というメッセージが表示される。
- 蛍の光合唱・演奏
- 蛍の光合唱・演奏後、関西吹奏楽連盟と関西合唱連盟は三塁側アルプスから退場する。球場内にはオルゴールの「栄冠は君に輝く」が流れる。閉会式後は写真撮影やインタビューが行われる。
開閉会式の特記
開会式・閉会式の国旗・大会旗の掲揚・降納は、2000年の第82回大会までは、開会式は出場校の主将(のちに記録員)が、閉会式は決勝戦を戦った選手全員がバックスクリーンの回転広告板の上(三菱電機の広告看板前)に集まって行っていたが、2001年の第83回大会以後は、選手衆はバックスクリーンに移動することなく、所定位置からバックスクリーン方向の掲揚台を向いて見守る形になっている。
試合組み合わせ
試合の組み合わせは抽選によって決まる。現在は、開会式3日前に抽選会[注 14]が開催され、各チームのキャプテンによるくじ引きで組み合わせが決定する。
期間 | 抽選方法 |
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第 | 1回(1915年)- 第 4回(1918年)不明 |
第 | 5回(1919年)- 第 7回(1921年)全試合抽選。 |
第 | 8回(1922年)- 第12回(1926年)不明 |
第13回(1927年)- 第27回(1941年) | 全試合抽選。 |
第28回(1946年)- 第33回(1951年) | 現行と同じヤグラ方式。 |
第34回(1952年)- 第76回(1994年) | 全試合抽選。1回戦・2回戦・3回戦・準々決勝のそれぞれの最終日に甲子園球場で公開抽選の形式でまとめて決定していた。 1952年8月11日の朝日新聞紙上に「今度の大会から、第3日第1試合の第一回戦(7試合14チーム)の番組と、不戦一勝のクジを引いた残り9チームによる第2回戦の取り組みを決めるだけで、勝ち残ったチームがどのチームと顔を合わせるかは次の抽選まで決まらないという方式をとった」と表記されている。 第40回(1958年)と第45回(1963年)は記念大会として1県1代表制を採り、出場校が増えたため、3回戦までの組み合わせを事前に決定していた。 また、第61回(1979年)以後1府県1校(北海道は南北、東京は東西の2校)がレギュラー化されてから第88回(2006年)までは後述の通り、近隣都道府県・地域同士が初戦で対戦しないようにするための「東西対抗戦」方式を採っていた。 |
第77回(1995年)- 第94回(2012年) | 抽選会で3回戦までの組み合わせを決定し、準々決勝4試合と準決勝2試合はその都度で決定する。試合前で勝敗が決まっていないチームの抽選に関しては一塁側のチームが抽選を行った。 |
第95回(2013年)- 第98回(2016年) | 全試合抽選。抽選方法は以下の通り。
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第99回(2017年)- | 事前抽選で3回戦まで決定する方式に戻す[13]。 準々決勝の抽選方法は第95回(2013年)以降のものを継続。 第103回(2021年)以降準々決勝の抽選は、連戦による選手の健康被害を最小限にするため、3回戦と準々決勝の間に休養日を設け、3回戦の1日目に当たる第10日目の勝者4チームは第1・第2試合から、3回戦の2日目に当たる第11日目の勝者4チームは第3・第4試合から引く(第10日の勝者は中2日、第11日の勝者は中1日の間隔で準々決勝の試合となる)[注 6]。 |
- シード制は採用されていないため、初戦で強豪・注目校同士の対戦になることもある。
- 近隣高校同士の対戦回避については、当初は考慮されず、隣接県同士が初戦で対戦することも珍しくなかった。第59回(1977年)で、早稲田実(東東京)と桜美林(西東京)の東京勢同士が初戦で当たるなどしたため、第60回(1978年)以降1府県1代表制となるのをきっかけに導入された。
- 導入当初は、新潟・長野・富山・岐阜・三重より東を東ブロック、福井・滋賀・京都・奈良・和歌山より西を西ブロック(石川は1987年まで東ブロック、1988より西ブロック)地区を境に東西対決方式で抽選する形が第88回(2006年)まで29年間続いた。しかし、ブロック境界上の地域の代表は第74回(1992年)の星稜(石川)対長岡向陵(新潟)を皮切りに、5度初戦でつぶしあうなどしていたため、第88回(2006年)限りでこの方式は廃止された。
- 第89回(2007年)からは東西対決方式を廃止し、フリー抽選式に戻した。ただし、同一都道府県で2代表選出している場合には、代表同士が初戦で直接当たらないように配慮している。
- 49代表・48試合制で初戦の試合は、1 - 34番のくじを引いた学校は1回戦より、35 - 49番のくじを引いた学校は2回戦より試合を行う。
試合の進行
始球式
開幕試合の始球式は朝日新聞社のヘリコプターからボールを投下する[14][注 15]。
審判員
審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審/線審として試合に加わる。
打順
第1試合の基本的な開始時刻
- 4試合開催日:8時[注 16]
- 3試合開催日:8時[注 17](開幕日は、開会式の影響で10時30分)
- 2試合開催日(主として準決勝):9時[注 18]
- 1試合開催日(主として決勝戦):14時[注 19]
第93回(2011年)と第94回(2012年)は東日本大震災に伴う節電対策のため、試合開始が一部の日程で繰り上げられる処置が取られた。
第95回(2013年)から第100回(2018年)は、4試合日は8時開始を維持し、2・3試合日は第92回(2010年)以前と同じ時間帯に戻したが、第101回(2019年)より暑熱対策のため、第93回(2011年)・第94回(2012年)と同じく、3・4試合日は開幕日を除き8時開始(開幕日・準決勝・決勝戦は従来どおり)に統一された。
また、第98回(2016年)より、準決勝の第1試合開始が11時→10時に繰り上げられ、決勝戦の試合開始が13時→14時[注 20]に繰り下げられ、第103回(2021年)から[注 21]準決勝の第1試合開始が10時→9時に繰り上げられた。
第105回(2023年)より、後述の#クーリング(給水)タイムの常設に伴い、2試合以上開催する場合「試合時間は2時間5分、その後のグラウンド整備と次の試合の練習に30分」と想定され、新聞社の発表では4試合日の場合「(1)8時、(2)10時35分、(3)13時10分、(4)15時45分」とされているがあくまでも目安であり、原則的には前の試合終了から30分後に次の試合を行う(早く終了した場合は、最大15分繰り上げられる場合もある)。
延長戦・再試合
試合は9回で同点の場合は延長戦を行う。第40回大会(1958年)より「延長18回引き分け再試合制度」が導入されたが、1999年12月の高野連全国理事会において、第82回大会(2000年)より延長15回制に短縮された(詳しくは「延長引き分け再試合規定」を参照)。
第100回大会(2018年)より延長戦におけるタイブレーク方式を導入。延長10回[注 22]以降、試合が決着するまで行われる。そのため、第39回大会(1957年)以来61年ぶりに延長イニング数が無制限となった。
なお、地方大会(決勝戦を除く)で採用されている点差によるコールドゲームは、全国大会では認められていない。
第103回大会(2021年)以前は、降雨などやむを得ない事情で試合を中断・打ち切る場合は、試合が7回以降に入った場合は成立(コールドゲーム)とした。7回以前の場合は未成立(ノーゲーム)となり、翌日以降に再試合が行われた。ただし決勝戦は、地方大会・全国大会とも試合が9回終了とならない場合はノーゲームとなった。
第104回大会(2022年)からは、降雨などで試合が中断された場合は、翌日以降に中断された場面から再開し、9回完了あるいは勝敗が決定するまで行うサスペンデッドゲーム(高野連では「特別継続試合」と称する)を適用。これにより、全国大会ではコールドゲームやノーゲームがなくなった[15][16]。なお、地方大会については各地方の高野連が判断する。
暑熱対策としての2部制
2022年の大会終了後から、日中の気温の高い時間帯を控え、午前中と夕方の薄暮の時間帯に分ける2部制が検討されているが、2023年は応援団などの客の入れ替え時間の確保が難しいという理由で見送られた[17]。
松井秀喜は、スポーツ報知の寄稿に「地方大会の多くは7月に開幕するが、これを6月から始めるとかできないか」「夏の大会を前半と後半の会期の2部制にすれば体力の負担も軽減されるのではないか。阪神タイガースも一度甲子園に帰ってこられるので死のロードの負担もなくなる。夏休みいっぱいを使って甲子園大会をやってもいいのではないか」[18]とする私見を述べている。
クーリング(給水)タイム
第100回(2018年)において、大会本部の判断により、熱中症・暑熱対策のための休憩時間である「クーリングブレイク(給水タイム)」を設けることが認められ、実際、折尾愛真対日大三の7回裏終了後に10分間の休憩が行われた[19]。
第105回(2023年)からは、5回裏終了後に原則として「給水タイム」が行われることになった。選手らは一度10分間、ベンチ裏の特設クーリングスペース(スポットクーラーやサーキュレーターといった冷房器具完備)[20]に入り、アイシングマッサージやスポーツドリンクの飲用などでクールダウンをする。ただし、当日の気候によっては省略することができる場合もある[21]。
地方大会では必ずしも5回裏終了後とは限らず、大阪府や福岡県のように、3回・7回にも「給水タイム」を設けるものがあった[22]。
夏の大会における甲子園の土
3年生部員にとってこの大会の決勝以外で負けると高校野球生活が終わるという意味をこめて「夏が終わる」と表現され[注 23]、大会途中で敗退したチームが試合終了直後に甲子園の土を拾い集める光景はよく報道でも取り上げられている。
なお、優勝・準優勝校は試合終了直後に土を拾い集められず、また閉会式の途中で中継が終了するため、準決勝までに敗退したチームのみが行うものと誤解されているようであるが、実際には優勝・準優勝校も閉会式や記念写真撮影、インタビュー終了後、グラウンドから去る寸前に土を拾っている。また1、2年生の中にはもう一度戻ってくるという意味を込めて持ち帰らない者もいる。
使用球
第83回大会(2001年)でアルプス席のブラスバンド部員がファウルボールに当たり、負傷したことから、翌第84回大会(2002年)からは打球に注目してもらうため、従来は係員が回収していたファウルボールを選抜も含め、観客にプレゼントするようになった[23](ただし、ホームランボールは打った選手への記念として渡すために回収される)。
育成功労賞・野球殿堂特別表彰授賞式
毎年8月15日の第2試合開始前に育成功労賞の授賞式がある。また野球殿堂の特別表彰授賞式を行うことがある。なお、当日の試合が中止となった場合、育成功労賞は8月15日に大阪市内で授賞式が行われ[24][注 24]、野球殿堂の授賞式は翌日以降の第2試合開始前に授賞式がある[25]。
大会期間中の黙祷
8月15日の黙祷
8月15日は終戦の日のため、正午前にプレーを中断し、正午に選手、審判員、観客一同で1分間の黙祷を行う(サイレン鳴響も行う)。この終戦の日の黙祷は1963年の第45回大会から行われている[26]。正午が試合間の入れ替え時間と重なったときは、次の試合開始前(両チームあいさつの前)に行う場合がある。なお、当日の試合が中止となった場合は黙祷は行われない(1973年・2017年・2019年・2023年の4例がある)。また、第92回選抜高等学校野球大会中止に伴う救済として行われた2020年甲子園高校野球交流試合でも8月15日に試合が行われたため、黙祷が行われた[26]。
ほかの日程における個別での黙祷
広島県・長崎県代表は、それぞれの原子爆弾投下の日時で独自に黙祷を行うことがある。一例として2016年の第98回大会第3日目第2試合、山梨学院と長崎商の対戦で、試合時間が長崎に原爆が投下された8月9日の11時2分を挟むことから、試合中(応援団は1回表終了後、選手は1回裏終了後)に黙祷を行った例がある[27][28]。
ただし高校独自で行われるものであり、試合進行が止められることはない。
甲子園練習
大会の本番前に、出場校の選手らは「甲子園練習」と称して、実際に試合で着用するユニフォームを着てグラウンド(または屋内練習所)でグラウンドの感触を確かめるための事前練習会があった。しかし、新型コロナウィルスの影響で、甲子園練習は取りやめられたが、2023年から「甲子園見学会」として、選手がユニフォーム、または制服姿でグラウンドの感触を確認する下見の機会が設けられた[29]
大会歌
これまでに大会歌として新旧2曲、行進曲(正式には「行進歌」)として1曲が作成されている。行進曲は前年のヒット曲などから選定される春の選抜と異なり、1935年(昭和10年)の第21回大会から固定の楽曲を変わらず使用している。また、選抜の大会歌は現行の「今ありて」まで歴代3曲とも歌詞に「甲子園」を含むのに対し、夏は新旧2代の大会歌・行進曲(行進歌)とも歌詞に「甲子園」が含まれていない。
現行の楽曲
- 栄冠は君に輝く
- 作詞:加賀大介、作曲:古関裕而
- 戦後の学制改革を受けて1948年(昭和23年)の第30回大会より大会名が「全国高等学校野球選手権大会」へ改称されたことに伴い、2代目の大会歌として制定された。応募総数は5,252篇で入選者は石川県の「加賀道子」名義であったが、後に実作者である中村義雄(後に「加賀大介」へ改名)が当時婚約していた夫人(旧姓:高橋)の名前を借りて応募していたことを名乗り出たため、作詞者の名義が変更された[30]。
- 最初のレコード吹き込みは伊藤久男とコロムビア男声合唱団で、1949年(昭和24年)に日本コロムビアから発売された。2021年(令和3年)の第103回大会開会式では、前年に放送されたNHK連続テレビ小説「エール」に出演した山崎育三郎がアカペラで独唱した。これは、同年に開催される予定だった第102回大会が新型コロナウイルス感染症の影響で、中止になったことにより1年後に実現したものである。
- 全国中等学校優勝野球大会行進歌(全国中等学校優勝野球大会行進曲)
- 作詞:富田砕花、作曲:山田耕筰
- 1935年(昭和10年)の第21回大会開会式で初演奏が行われ、戦後も変わらず「(全国中等学校優勝野球)大会行進曲」の別称で行進曲として使用され続けている。作詞は新旧2代の大会歌のような懸賞公募ではなく、朝日新聞社が詩人の富田砕花に依頼したものだが、甲子園の本大会では歌唱されたことが無いため、一般には山田耕筰が作曲したインストゥルメンタルのみが知られている。発表時には内本実の歌唱で日本コロムビアがレコードを製造した。
過去の楽曲
- 全国中等学校優勝野球大会の歌
- 作詞:福武周夫、作曲:信時潔
- 1926年(大正15年)8月の第12回大会開催時に制定。最初の吹き込みはポリドールが製造した陸軍戸山学校合唱団によるもので、これとは別にコロムビアも演歌師の鳥取春陽が歌唱するカバーを作成している。9年後の「行進歌」制定後も大会歌として併用されて来たが、文語体で大時代的な歌詞もあり1947年(昭和22年)の第29回大会を最後に現行の「栄冠は君に輝く」へ代替わりした。
- 選抜高等学校野球大会の大会歌は「全国選抜中等学校野球大会の歌」で[注 25]、夏の旧大会歌と同じ陸軍戸山学校の創唱でポリドールがレコードを製造していたが、合間に手拍子が挿入されるなど歌詞や曲調はまったく異なっていた。
問題点
学校の財政的負担
大会参加時の各校野球部の遠征・用具・応援団のバス代などは、近畿圏の学校でない限り数千万円にのぼるという試算がある[31]。夏の甲子園で2試合を戦った徳島県の県立高校では、出費が約4,000万円かかったと報じられている[31]。
吹奏楽部などほかの学校活動への影響
高校の野球部が全国高等学校野球選手権大会に出場すると、通常は同校の吹奏楽部・チアリーディング部およびチアダンス部(バトン部がチアリーディングおよびチアダンスを兼任していることも多く、その場合はバトン部が参加。学校によってはバトントワリング部とも称す)が応援に参加する(両方を複合させたバトンチアの場合もある)。
一方、出場校の吹奏楽部が試合当日にコンクールなどで応援に参加できないことがあるほか、学校によっては吹奏楽部自体が存在しない場合もあり、他校の吹奏楽部や卒業生、その他の有志が「友情応援」という形で参加する姿が時に見受けられる[32]。特に沖縄県の場合、移動の際の交通費や楽器の輸送費が大きく嵩むことから多数で応援に駆けつけることが容易ではないため、例年尼崎市立尼崎高等学校吹奏楽部が沖縄県代表校応援団に加わり「ハイサイおじさん」などを演奏するのが恒例となっている。
観客の問題行為
学校活動で参加するチアリーダーなどの女性を狙った撮影を目的として、会場に入場する男性の者がおり、野球観戦とは異なる目的での入場として書類送検されるトラブルが起きている[33]。
海外遠征
かつては大会終了後、基本的に上位進出校の3年生選手を集め、国際親善を主目的とした海外遠征チームが組まれていた。行き先はおもにアメリカ(韓国、ブラジルへの遠征実績もあり)で、2006年以降(2008年を除く)はアーバンユース・アカデミー(カリフォルニア州コンプトンにあるMLBの野球振興・選手育成機関)との対戦が組まれていた。
選手およびコーチングスタッフは、帽子マークは「J」、胸文字は「JAPAN」、袖に日章旗という、数十年間変わっていない簡素なデザインのユニフォーム(白およびグレー地)を着用することが多いが、過去には試合により各校のユニフォームの袖に国旗を縫いつけたものも併用したことがある。また背番号は1(優勝投手)から投手→捕手→内野手→外野手の順に振り分けられる(つまり投手は背番号がほぼ1桁、野手は背番号が必ず10番台となる)[注 26]。
1998年以降はBFA U-18アジア選手権大会開催年は海外遠征の代わりに原則としてそちらに出場[注 27]、2012年以降はWBSC U-18ワールドカップ[注 28]の日程が変更されたため、同大会にも出場するようになった(その場合、選手権不出場校の選手や2年生以下の選手が選ばれることがある)。これにともない、親善目的のチームは2010年を最後に結成されていない。国際大会出場の場合、2011年アジア選手権・2012年世界選手権は社会人他アマ代表と同一の、2013年世界選手権以降はプロ・社会人・学生各年代・女子を含めてデザインを統一した『侍ジャパン』のユニフォームを着用している。
歴史
- 1915年(第1回大会) - 全国中等学校優勝野球大会として豊中球場で行われる。
- 1916年(第2回大会) - 敗者復活制度が施行される(翌年まで)。
- 1917年(第3回大会) - 会場が鳴尾球場に変更される。
- 1918年(第4回大会) - 出場校は出揃ったものの米騒動の影響で中止。
- 1922年(第8回大会) - 和歌山県代表の和歌山中が史上初の夏2連覇を果たす。
- 1924年(第10回大会) - 会場が阪神甲子園球場に変更される。
- 1925年(第11回大会) - 香川県の高松商が本州に所在する学校以外では初めてとなる優勝を達成。深紅の大優勝旗が初めて四国に渡る。また、高松商は春と夏、両大会の優勝経験がある初めての学校となった。
- 1929年(第15回大会) - 開会式にて初めて選手宣誓が行われる。当時は紙に書かれた宣誓文を読み上げるスタイルであった[34]。
- 1930年(第16回大会) - 広島商が史上2校目の2連覇。
- 1932年(第18回大会) - 中京商が史上3校目の2連覇。
- 1933年(第19回大会) - 準決勝の中京商対明石中の試合が延長25回で決着(中京商が勝利)。中京商が大会史上唯一の3連覇。
- 1939年(第25回大会) - 和歌山・海草中の嶋清一が準決勝と決勝の2試合連続でノーヒットノーラン達成による優勝。
- 1940年(第26回大会) - 全日本中等学校体育競技総力大会の一部門として開催。海草中が史上4校目の2連覇。
- 1941年(第27回大会) - 日中戦争の影響で地方大会の途中で中止( - 1945年。1942年は、代わりに文部省主催で全国中等学校野球大会が開催されたが、文部省の意向により全国高等学校野球選手権大会とは独立した大会とされ、通算記録にも数えられていない)。
- 1946年(第28回大会) - 全国中等学校野球連盟結成。阪急西宮球場で大会を再開。ポール・ラッシュ博士が復活開催に尽力。
この年から師範学校の地方大会参加が事実上なくなる。また、敗戦による外地喪失のため外地の地方大会が消滅し、さらに、アメリカ施政下にある沖縄も地方大会に参加していない。 - 1947年(第29回大会) - 会場が再び甲子園となる。福岡県の小倉中が九州勢として初優勝を達成。真紅の大優勝旗が初めて九州に渡る。
- 1948年(第30回大会[注 29]) - 学制改革により全国高等学校野球選手権大会に名称を変更。小倉が史上5校目の2連覇を達成。
- 1952年(第34回大会) - 当時アメリカ施政下にある沖縄県が、東九州大会に参加するようになる。
- 1954年(第36回大会) - 宮崎県代表の高鍋が出場したことを最後に、当時アメリカ施政下にあった沖縄県以外の空白県が消える。
- 1956年(第38回大会) - 初のナイター試合(伊那北対静岡)。
- 1957年(第39回大会) - 勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が開始される。
- 1958年(第40回大会) - 初の記念大会として、沖縄県を含む全国各都道府県の代表47校で開催。沖縄県は初めての本大会出場となる。沖縄は当時アメリカ施政下にあったため、沖縄県代表は琉球列島米国民政府発行の渡航証明書(パスポートに相当)を各自所持して参加した。阪急西宮球場と2会場に分かれて開催された。準々決勝の徳島商対魚津は春夏通じて初の規定による引き分け再試合となる。
- 1959年(第41回大会) - 北海道代表が南北2代表に分かれる。
- 1960年(第42回大会) - 打者用ヘルメットの着用が義務化。
- 1962年(第44回大会) - 栃木県代表の作新学院が史上初の春夏連覇達成。
- 1963年(第45回大会) - 45回記念大会として、全国各都道府県(北海道は2代表。アメリカ施政下の沖縄を含む)の代表48校で開催。阪急西宮球場と2会場に分かれて開催。
- 1965年(第47回大会) - 走者に対してもヘルメットの着用が義務化。
- 1966年(第48回大会) - 中京商が史上2校目の春夏連覇を達成。
- 1968年(第50回大会) - 50回記念大会として、全国各都道府県(北海道は2代表。アメリカ施政下の沖縄を含む)の代表48校で開催。西宮は使用せず、全試合を甲子園で開催した。以後、全ての大会が甲子園で開催されている。
- 1969年(第51回大会) - 松山商対三沢の試合が、春夏通じて史上初の決勝戦引き分け再試合。翌日の再試合は松山商が勝利し優勝。
- 1970年(第52回大会) - この大会から決勝戦進出校の全選手(優勝旗、優勝楯、準優勝楯を持っている選手は除く)による国旗・大会旗の降納が始まる。2000年(第82回大会)まで31年間行われた。
- 1972年(第54回大会) - 耳つきヘルメットの着用が義務化。同大会、開幕日は開会式のみを行い、試合そのものは翌日に順延する。また、甲子園では春を含めても史上初めての同名校対決が実現(三重・海星と長崎・海星)。
- 1973年(第55回大会) - 55回記念大会として、全国各都道府県(北海道は2代表。沖縄県は前年に返還)の代表48校で開催。
- 1974年(第56回大会) - 金属バットを採用。東京都代表が東西2代表に分かれる。
- 1978年(第60回大会) - 60回記念大会として、全国各都道府県(北海道、東京は2代表)代表の49校で開催。この大会から2006年(第88回大会)まで29年間、初戦が東西対決となった。
- 1979年(第61回大会) - この大会より、正式に現行の49代表制で開催。和歌山県代表の箕島が史上3校目、公立高校としては初の春夏連覇を達成。滋賀県代表の比叡山の勝利を最後に未勝利県が消える。
- 1987年(第69回大会) - 大阪府代表のPL学園が史上4校目の春夏連覇を達成。
- 1989年(第71回大会) - 春を含めても史上2度目の同名校対決が実現(奇しくも1度目と同じく三重・海星と長崎・海星)。
- 1991年(第73回大会) - 球場外野後方の左翼・右翼に設けられたラッキーゾーンが、この大会を最後に撤去される。
- 1992年(第74回大会) - 高知県代表の明徳義塾が石川県代表の星稜・松井秀喜に対し5打席連続敬遠を行い、物議を醸した。
- 1995年(第77回大会) - 両耳の打者ヘルメットの着用が義務化。組み合わせ抽選方法を3回戦まで対戦相手がわかる方式に変更(準々決勝と準決勝は再度組み合わせ抽選)。
- 1996年(第78回大会) - 松山商が熊本工との決勝戦延長10回裏、奇跡のバックホームでサヨナラ負けを阻止。延長11回を制して、春夏を通じ「大正」「昭和」「平成」の3年号連続の優勝を達成。
- 1997年(第79回大会) - この大会より、開会式および閉会式の司会進行役が選出された男女計2名の現役高校生になる。また男子高校生による入場行進の先導も、同大会から行われた。
- 1998年(第80回大会) - 80回記念大会として埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各地区を2分割し、55代表校で実施。神奈川県代表の横浜が史上5校目の春夏連覇を達成。松坂大輔が59年ぶりとなる決勝戦でのノーヒットノーランを達成。
- 2000年(第82回大会) - 本大会から、延長戦の規定を15回引き分け再試合制に変更[35]。智弁和歌山が高校野球史上唯一の3桁安打を記録して優勝。
- 2003年(第85回大会) - 本大会より、準々決勝戦を選手の健康負担を理由に「1日2試合ずつ、2日間の日程」で開催。ただし雨天順延日が3日間あったため予定を変更し、前年どおりの「1日4試合」で開催された。
- 2004年(第86回大会) - 南北海道代表の駒大苫小牧が北海道勢として初優勝。北海道の地に初めて深紅の大優勝旗が渡った。
- 2005年(第87回大会) - 高知代表の明徳義塾が開幕前に発覚した不祥事を理由に出場を辞退、高知が急遽代替出場。駒大苫小牧が史上6校目の2連覇を達成。
- 2006年(第88回大会) - 駒大苫小牧対早稲田実業の試合が大会史上2度目(延長15回引き分け再試合制度になってからは初)の決勝戦引き分け再試合。翌日の再試合は早稲田実が勝利し優勝。山形代表(日大山形)のベスト8入りにより、47都道府県の代表校すべてがベスト8以上を記録。
- 2007年(第89回大会) - 第60回(1978年)以降定着していた組み合わせ抽選における東西対決方式から、30年ぶりに全地区フリー抽選の形式に戻される。また、選抜高等学校野球大会同様にダートサークルが追加。佐賀北が公立勢として11年ぶりの優勝を果たす。
- 2008年(第90回大会) - 90回記念大会として第80回(1998年)と同様に埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各地区を2分割し、当時史上最多タイの55代表校で実施。同年開催された北京オリンピックの開催期間と重なったため、開会日が史上最速の8月2日となる。スケジュールの都合上抽選会は省略され、地方代表決定戦終了後に組み合わせ抽選が行われた。
- 2009年(第91回大会) - ベースコーチにヘルメットの着用が義務化。本大会開催時、関西を中心に新型インフルエンザが流行しており、選手、応援団の中にも感染者が続出した。
- 2010年(第92回大会) - この年よりセンバツを主催する毎日新聞社が後援スポンサーとなる(甲子園の全国大会のみ。なお、同年からのセンバツ大会には朝日新聞社が後援スポンサーについた)。興南が沖縄県勢として初優勝。深紅の大優勝旗が初めて沖縄に渡った。あわせて、史上6校目の春夏連覇も果たす。
- 2011年(第93回大会) - 東日本大震災に伴う電力不足の影響で、試合開始時刻などが見直された(#第1試合の基本的な開始時刻を参照)。
- 2012年(第94回大会) - 前年に続き、電力事情を勘案して2年連続で試合開始の時間などが見直された。また大会史上初めて、決勝戦の組み合わせが春夏連続で同じ対戦カードとなり、大阪府代表の大阪桐蔭が青森県代表の光星学院を下して、史上7校目の春夏連覇を達成。
- 2013年(第95回大会) - 本大会より準々決勝を1日4試合で行い、準々決勝と準決勝の間に休養日を1日設ける。抽選方法が全試合抽選に変更される(ただし、1994年までとは違う方式)。
- 2014年(第96回大会) - 平成26年台風第11号接近にともない、8月9日の段階で開会式・開幕戦3試合を2日延期する決定を出す。開会式の延期は1960年の第42回大会以来54年ぶりで開幕が2日延期されたのは96回の歴史上で史上初。北陸勢がすべて3回戦進出、北信越、東北勢ともに4校ずつが16強入り(共に史上初)。
- 2015年(第97回大会) - 本大会開催100周年を記念して、初めて大会のシンボルマークが佐藤卓のデザインにより制定された。また第1回大会の出場校のユニフォームを再現し、入場行進。また、始球式は早稲田実業OBでプロ野球・読売ジャイアンツで活躍し、福岡ダイエーホークス・ソフトバンクホークスの監督・会長を務める王貞治が務めた。プロ野球OBが高校野球の始球式を務めるのは、春夏通じて史上初となる。
- 2017年(第99回大会) - 抽選方法が2012年までとほぼ同様の形式に戻される。
- 2018年(第100回大会) - この大会より、中央特別自由席(バックネット裏)を全席指定席とし、前売り販売を開始する。また、あわせて外野席を有料化する[36]。この大会の延長戦の13回からタイブレーク制度が初めて適用された。入場者数が、これまで最多の92万9,000人(第72回大会)を超え101万5,000人となり、初めて100万人を超えた。この年は前々年度の地方大会参加校数が多かった上位7府県(埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡)を2分割して史上最多となる56代表校で実施。大阪桐蔭が史上初の2度目の春夏連覇を達成(延べ8校目)。
- 2019年(第101回大会) - 本大会より準決勝と決勝の間に休養日が1日追加された。
- 2020年(第102回大会) - 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行を考慮し、大会中止(79年ぶり3度目)。春夏連続の中止は史上初。
- 2021年(第103回大会) - 本大会より3回戦と準々決勝の間に休養日が1日追加された[注 6]。
- 2022年(第104回大会) - 本大会より雨天などで試合が中断された場合は、翌日以降に中断された場面から再開し9回完了または勝敗が決するまで行う。暑さの問題や新型コロナウイルス感染症などの対策に対応するため、入場料を値上げした[37]。宮城県代表仙台育英が山口県代表下関国際との初優勝を懸けた試合を制した。「白河の関越え」とも言われる東北勢の優勝で、八地方全てで優勝経験校が出たことになる。
- 2023年(第105回大会) - 本大会よりベンチ入りが18人→20人に増員。熱中症対策の一環として、各試合の5回裏終了時に『#クーリング(給水)タイム』(サッカーなどで言う『ハーフタイム』に準ずる)が10分間設けられた(その日の気候によっては、大会本部の判断で取りやめることが可能)。慶応が昨年優勝校の仙台育英を下し、1916年(大正5年、第2回大会、当時は慶応普通部)以来107年ぶりの優勝。大会史上歴代最長のブランクを乗り越えての優勝であった。
優勝校・準優勝校
優勝校に優勝旗と優勝盾、準優勝校に準優勝盾が贈られる。
優勝旗
優勝旗の色は深紅[12](「深紅の大優勝旗」)。現在の優勝旗は3代目[38][39][40]。いずれも西陣の職人による制作。
- 初代:1915年(第1回)から1957年(第39回)まで使用。綾錦織り。
- 2代目:1958年(第40回)から2017年(第99回)まで使用。つづら織りで正絹を使用。
- 3代目:2018年(第100回)から。つづら織り[38][41]。大きさは、縦1.06m、横1.51m。旗とポールを足した総質量は約10kg。2代目の意匠を踏襲する。
なお、毎日新聞社主催の選抜高等学校野球大会の場合、優勝旗の色は紫紺であり、準優勝旗もある点が異なる[12]。
歴代優勝校
その他の記録
- 第105回大会(2023年)終了時点で、次の29都道府県が優勝を経験している(太字は選抜未制覇の地域)。
- 北海道、宮城県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、大分県、沖縄県
第105回大会(2023年)終了時点で、次の18県が1度も優勝したことがない。
都道府県 | 最高成績 | (参考) 選抜大会の 最高成績 |
---|---|---|
青森県 | 準優勝 | 準優勝 |
岩手県 | ベスト4 | 準優勝 |
秋田県 | 準優勝 | ベスト4 |
山形県 | ベスト4 | ベスト4 |
福島県 | 準優勝 | ベスト8 |
新潟県 | 準優勝 | ベスト8 |
石川県 | 準優勝 | ベスト8 |
富山県 | ベスト8 | ベスト4 |
福井県 | ベスト4 | 優勝 |
山梨県 | ベスト4 | 優勝 |
滋賀県 | 準優勝 | 準優勝 |
鳥取県 | ベスト4 | 準優勝 |
島根県 | ベスト4 | ベスト8 |
岡山県 | 準優勝 | 優勝 |
長崎県 | ベスト4 | 優勝 |
熊本県 | 準優勝 | 優勝 |
宮崎県 | 準優勝 | ベスト4 |
鹿児島県 | 準優勝 | 優勝 |
なお、地方大会が消滅した地区では、台湾代表と満州代表は準優勝、朝鮮代表はベスト8が最高である。
選手権で優勝したことのある都道府県のうち、北海道、宮城県、群馬県、千葉県、福岡県、佐賀県の6道県は選抜で1度も優勝したことがない。
- 第105回記念大会(2023年)現在、第1回から全ての大会の予選に参加した高校(皆勤校)は、次の15校である。
- 春夏通算で全都道府県との対戦を終えているのは、2021年夏大会終了時点で北海道、東京都、大阪府、兵庫県の4都道府県。以上の4つは2代表選出時に代表同士との対戦もあり、47都道府県と対戦している。当該都道府県を除く46カードすべてに勝利しているのは、大阪府と広島県。王手がかかっているのは神奈川県と兵庫県で、神奈川県は山形県と未対戦、兵庫県は三重県のみにまだ勝利がない[43]。
夏の高校野球の球史に残る試合
長い歴史を持つ大会であるゆえに「球史に残る」とされる試合は多く、以下は一例である。
- 静岡中対前橋中延長19回(1926年)
- 中京商対明石中延長25回(1933年)
- 魚津対徳島商延長18回引き分け再試合(1958年)
- 掛川西対八代東延長18回引き分け再試合(1964年)
- 三沢対松山商決勝延長18回引き分け再試合(1969年)
- 鹿児島実業対東海大相模延長15回(1974年)
- 高松商業対仙台育英延長17回(1978年)
- 逆転のPL(1978年)
- 箕島対星稜延長18回(1979年)
- 松商学園対四日市工延長16回(1991年)
- 松井秀喜5打席連続敬遠(1992年)
- 松山商対熊本工決勝 奇跡のバックホーム(1996年)
- サヨナラボーク(1998年)
- PL学園対横浜延長17回(1998年)
- 明徳義塾対横浜 6点差逆転試合(1998年)
- 智弁和歌山対帝京 9回表・裏の大逆転試合(2006年)
- 駒大苫小牧対早稲田実業決勝 延長15回引き分け再試合(2006年)
- 宇治山田商業対佐賀北延長15回引き分け再試合(2007年)
- 日本文理対中京大中京決勝(2009年)
- 金農旋風(2018年)
- 智弁和歌山対智弁学園決勝(2021年)
- 真紅の大優勝旗の白河の関越え(2022年)
エピソード
1978年の第60回大会以降は出場が49校のため、最初の組み合わせ抽選の時点では、1校だけ初戦の対戦校が決定しない[注 30]。その1校は初戦で開幕試合の勝者[注 31]と対戦することになるが、初戦の対戦校が決定しない高校の対戦成績は、出場が49校に定着した第60回大会(1978年)以降、第80回記念大会(1998年)・第90回記念大会(2008年)を含め、11勝32敗1分・勝率0.256である。また、勝利した11校のうち2勝以上あげたのは第88回大会(2006年)の鹿児島工のみであり、ほかの10校は勝利しても次の3回戦で敗退している。鹿児島工はこのジンクスを破って4強入りしたが、中迫監督は「試合を見に行かせた」「対戦相手の試合を見られることもいいこと」などと振り返っている[44]。
テレビ・ラジオ中継・映像記録
NHKでの中継
テレビ
1953年の第35回大会よりNHKがテレビ中継を開始[45]。1965年の第47回大会からカラーでの中継を開始した。1974年の第56回大会までは、原則として総合テレビのみで18時まで中継するスタイルであったが[注 32]、同大会8月17日の準々決勝「東海大相模対鹿児島実」戦がテレビ中継の放送予定時刻を大幅に超え、試合途中の18時54分で中継を打ち切った[注 33]。その直後からNHKに対して視聴者から中継打ち切りに対する抗議が殺到したため、天気予報と「7時のニュース」終了後に中継を再開した。
これを受けて、翌1975年の第57回大会より総合テレビと教育テレビ(現・Eテレ)とのリレー中継方式で完全生中継を行うようになった。地上デジタル放送開始以降はイベントリレー機能を利用し、リレー時の案内を実施している。
リレー中継開始前は、11時55分 - 13時25分[注 34]はレギュラー編成のため[注 35](日曜日の9時 - 10時も『日曜討論』の前身である『国会討論会』を放送するため)中継できなかった。
リレー中継は、民放各局でも1977年に日本テレビが巨人主催の公式戦ナイターをテレビ神奈川など関東地方の独立局(当時はテレビ埼玉、TOKYO MX、とちぎテレビは未開局)に向けてトップ&リレー中継を開始したほか、1985年には朝日放送がサンテレビジョンなど関西地方の独立局に向けて後述する本大会のトップ&リレー中継を開始した。
1999年の第81回大会以降は、アナウンサーと解説者1名で実況しているが、1980年代(遅くとも1984年)から1998年は、初戦のみ両校関係者をゲストとして招き、4人体制で中継を行っていた。当初、ゲストは試合をする両チームの野球部員から代表として選ばれた生徒1人(両校合わせて2名)、後に各校の野球部関係者(コーチやOBなどの成人者)が出演していた。
初戦では学校紹介のVTRが放送され、おもに学校所在地の市区町村を中心に紹介している。BGMは「栄冠は君に輝く」[注 36]のマリンバ[注 37]テイストによるインストゥルメンタルが流れる。その後、主将と選手陣のコメントVTRが流される。
試合間には歴史や過去の名勝負、記憶に残る高校や選手・プレーなどを振り返るVTR「白球の記憶」が放送される。
高校野球関係者が入った年に行われる野球殿堂入り表彰式は、民放とは異なり映像を映さず、実況でもどのような表彰かは明言しなかったが、2019年の第101回大会では、脇村春夫の表彰式が行われた際にその映像が映され、野球殿堂入りの旨も説明された。
1988年の第70回大会より、走者の位置をベースに見立てた図で走者のいる塁を赤色で表示している。このレイアウトが現在の日本における野球中継の標準になった。
1994年の第76回大会より、平日は9時から1時間おきに、土曜日・日曜日は10時と15時に、イニング終了後、ニュースを伝えるために3分間[注 38]中継を中断するようになった。
ただし、初戦は2回表・裏に校歌が流れるため、2回裏終了後にニュースを放送する。また、台風などの豪雨発生時は、3分以上放送する時がある。
そのため、イニングの途中から中継が始まったり、イニングそのものが中継できない時もある。一例として、2017年の第99回大会では広陵の中村奨成の1大会個人最多新記録となる6本目の本塁打が生中継できなかった[46]。なお、決勝戦は5回裏終了後に3分間伝えている[注 39]。
2010年の第92回大会までは、BS2でも開会式・準々決勝・準決勝・決勝戦と閉会式のみ中継していた。なお、小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは、東東京・西東京・沖縄のそれぞれの代表出場校の試合も中継していた。
2011年の第93回大会からは東日本大震災に伴う節電・省エネおよび暑さ対策のため、第1試合の開始時刻は3試合以上の場合(開幕日を除く。2013年 - 2018年は4試合日のみ。2011年は2試合日も含む)は、1994年の第76回大会以来17年ぶりに8時開始に戻された(#第1試合の基本的な開始時刻を参照)。
このため『連続テレビ小説』の定時枠(8時 - 8時15分)確保のため、日曜日を除き冒頭15分間の生中継は行われない(Eテレで中継開始となる場合を除く)。Eテレでも中継しないのは、東日本大震災発生後の特別編成の際、この時間帯のEテレでは通常番組を放送していたのが原因と思われる。この影響で、第1試合の出場校が初戦の際に演奏する校歌が中継できない場合がある。
ただし、2011年 - 2015年は土曜日のみ8時からEテレで中継[47][48][49][50][51]。2012年はロンドンオリンピックの録画中継(8時15分から)のため、大会前半は8時からEテレで中継。2016年はリオデジャネイロオリンピック中継のため、4試合日のほとんどが8時からEテレで中継された。
なお、決勝戦は原則として総合テレビのみで中継されるが、2011年・2012年は決勝戦が午前中となったため、11時54分以降は総合テレビの定時枠(12時の『NHKニュース』や『連続テレビ小説(再放送)』など)確保のため、Eテレへリレーされた。
また、春の大会は決勝戦に限り、総合テレビのほかにNHK BS4Kでも中継されるが、夏の大会はNHK BS4Kでの中継は行われない。
海外向けのNHKワールド・プレミアムでも準決勝、決勝戦と閉会式を中継している。録画での時差放送(ディレード)となる場合と生中継となる場合とがあるが、最近は編成の都合上、時差放送で行われることが少なくない[注 40]。
2015年の第97回大会より、全試合でリアルタイム字幕放送、5.1サラウンドを実施。
2017年の第99回大会より、投手の投球数と球速が交互に表示されるようになった。
2018年の第100回大会より、中継テーマソングとして福山雅治の「甲子園」が使われている。2021年の第103回大会からは、エンディングのみの使用となった。
2021年の第103回大会は、東京パラリンピック中継のため、総合テレビでの中継が行われている時はEテレにリレーされた。なお、8月25日の13時 - 15時は、総合テレビで国会中継(第204回国会・衆議院〈13時 - 〉・参議院〈14時 - 〉議院運営委員会閉会中審査・新型コロナウイルス緊急事態宣言対象地域拡大事前説明)が行われたため、Eテレメインチャンネルでパラリンピックを中継し、高校野球はサブチャンネルで中継された。
ラジオ
ラジオ中継の歴史は古く、戦前の1927年の第13回大会より、当時の大阪中央放送局が中継を開始した(これがスポーツ中継の始まりでもあった)[52]。
ラジオ第1放送で全試合を中継[注 41]。中継時間は、原則として8時 - 18時50分。3試合以上の場合、第1試合開始は開幕日を除き8時であるが、2021年の第103回大会までは、第1試合の最初の5分間はニュースのため中継できなかった。2022年の第104回大会より、1回表の攻撃終了後にニュースを挟む形に変更された。なお、4試合日の第1試合開始が現在と同じ8時であった1980年代は、試合開始5分前の7時55分から中継していた[53]。
2012年の第94回大会より、IPサイマル配信「NHKネットラジオ らじる★らじる」で、2018年の第100回大会からは、民放ラジオポータルサイト「radiko」でも同時配信を行っている(2018年はNHKラジオ第二次実験配信[54][55]。ただし、アーカイブ機能の利用は「らじる★らじる」のみ利用可)。
2021年の第103回大会は、勝利監督インタビューが終わって次の試合に入るまでの穴埋めBGMに「栄冠は君に輝く」のフェンダー・ローズテイストによるインストゥルメンタルが流れた。もとの変ロ長調ではなく、半音下げたイ長調のものが使用された。BGMがフェイドアウトすると次の試合が始まる。
テレビとは異なり、11時50分[注 42] - 12時20分の間[注 43]は、試合展開にかかわらず中継が中断するほか、毎正時ごろのニュース挿入と、一部の地域は道路交通法の規定による日本道路交通情報センターからの交通情報による中断もある(ニュースの場合は、毎正時になった後の攻守交代時。ただし、第1試合と決勝戦は1回表終了後。交通情報の場合は毎時28分前後の攻守交代時。また、初戦は2回表・裏に校歌が流れるため、2回裏終了後にニュースまたは交通情報を放送)。
また、8月9日は長崎平和祈念式典中継のため10時55分 - 11時30分[注 44]、8月15日は全国戦没者追悼式中継のため11時50分 - 12時20分の間は、試合展開にかかわらず中継が中断する。
このほか、18時50分[注 45]からニュース終了(平日=19時30分、土曜日・日曜日・祝日=19時20分)までは、試合展開にかかわらず中継が中断する。ニュース終了後も試合が続いている時は、ニュース終了後に中継を再開する(中断中に試合が終了した時は、ニュースの中で結果のみ放送)。中継再開後は、最大で22時までとなっている[注 46][56]。
FM放送では、ラジオ第1放送の中断時(正午のニュースなど)にリレー中継は行っていないが、夏季オリンピックと日程が重複したり(1984年のロサンゼルスオリンピック、2008年の北京オリンピック、2012年のロンドンオリンピック、2016年のリオデジャネイロオリンピック)、国会中継を行う場合は中継する[57][58]。
1960年代前半まではラジオ第2放送で中継されていた。その後も、ラジオ第1放送で中継できない場合に中継していたが、ラジオ第2放送の周波数があまり知られていない、カーラジオに設定されていない、語学講座、気象通報、株式市況が定時に放送できないという理由からFM放送に移行した[59][60]。
1970年代前半までは、11時55分 - 13時5分は当時のテレビと同様、レギュラー編成のため中継できなかった[注 47]。
大会期間中は、中継枠の時間調整のため、穴埋め番組『話題と音楽』が随所に編成される。
民放での中継
- 朝日放送テレビ(ABCテレビ)、朝日放送ラジオ(ABCラジオ)[注 48]では、ラジオが開局翌年の第34回大会(1952年)から、テレビは前身の「大阪テレビ放送」だった第39回大会(1957年)から(「全国高校野球選手権大会中継」)1回戦から決勝まで生中継を実施している。サンテレビジョンと提携した第67回大会(1985年)以降は土曜日と準々決勝以降を除き、昼の時間帯は近畿圏の独立局とのリレーネットも実施している(CMも通常の全画面ではなく画面下側3分の1に表示され、球場の風景も放送)[注 49]。第77回大会(1995年)から第82回大会(2000年)の間、BSアナログハイビジョン試験放送(BS-9ch・JO248-BS-HDTV)において中継を行っていた。この名残からか、第83回大会(2001年)からは、BS朝日でも朝日放送との同時放送を行っている(ハイビジョン中継、連動データ放送あり[注 50]。ABCでは2009年からリアルタイム字幕放送を行っている。BS朝日では決勝戦のみ実施していたが、2020年を最後に廃止された。CMは通常放送と同じく16:9のハイビジョン形式画像(一部CMは4:3の標準形式画像)で全画面放送し、提供クレジットはCM終了後の後クレジットのみ表示となり、1本のCMを放送するたびにそのCMを放送したスポンサーのみ表示を行う)。なお、2022年からは4Kのみで放送され、2Kでは放送されないことになった[注 51][61]。
- 朝日放送系列のCS放送局、スカイAでも当日の夕方から録画放送している。また全国大会の開幕前から、順次地方大会決勝戦ノーカット放送を行ってきたが、2012年度は一部地区がダイジェスト放送となり、2013年度以降は地方大会の全試合完全放送を見送ることになった。これは民放でテレビ中継を行う地方大会が減少傾向にあるため、一部の地区で独自中継してきたが、それも難しくなったためである。代替措置として「速報!甲子園への道」の全放送日一挙放送や、開幕直前の生放送番組で地方大会をまとめて流すようにした[62]。
- テレビ朝日系列では開会式の一部と決勝(2014年まで)については全国中継される。年度によってはそれ以外の試合でも出場校の地元局がネットすることがある(年度や局によっては深夜に録画放送される)が、北海道テレビ放送(HTB)では2019年を最後に取りやめた。テレビ朝日は長らく続けていた準決勝の一部中継(14、15時台のみ)を第87回大会(2005年)を最後に取り止めた。2015年は、決勝の放送枠がネットワークセールスからローカルセールスへと変更されたことから、テレビ朝日系列局のうちテレビ朝日のみ決勝戦の中継を行わず、2016年はネット局がさらに減少。ネット外の地方局ではテレビ山梨(UTY・JNN)、富山テレビ(BBT・FNN)、山陰放送(BSS・JNN)が2014年までネットしていた。それ以降決勝戦も含め、全編ローカルセールスに変更されたことからネット局は縮小傾向にある。(2021年はテレビ朝日がゴルフ中継を行い、大部分のテレビ朝日系列がテレビ朝日を優先したため、高校野球決勝はABCテレビ以外では生中継されなかった)
- 2018年まで関西地方以外の地域で地元代表校出場試合が放送される場合(決勝は除く)、映像はABCテレビからのネットワークを受けるが、一部の放送局では実況は地元の放送局が派遣したアナウンサーによる「地元校応援実況」を行っていた。ただし、中継予定時間になっても地元校出場試合が始まっていない場合は、ABCアナウンサーの実況をそのまま放送する(回線の都合上、前の試合のどちらかの地元局の応援実況が放送されることもある)。2009年のみ全局がABCの実況となった。最終的に愛媛朝日テレビのみ実施されていたが2018年で終了した。
- また、テレビ朝日系列各局と、朝日新聞資本がある一部のテレビ朝日系列以外の放送局およびABCラジオでは、7月中旬ごろ(ABCラジオは7月1日)から朝日新聞の大会CMが放送される(台詞の違いによる地方大会版と本大会版とが存在)。バックのBGM「栄冠は君に輝く」は、当初は学生の混声合唱であったが、21世紀になってからはハウンドドッグ、サーカス、森山良子、夏川りみ、小椋佳らイメージアーティストが歌うようになった(2021年に山崎育三郎[注 52]で復活)。2011年以降は日本各地の高校生[注 53]による合唱・演奏に変更された。テレビ版の映像は前年度の本大会(年度により地方大会も)の模様をフィルム撮影したものを使っている。ナレーションは、2014年まで小林清志が務めていた(テレビ・ラジオともに)。
- 2015年はテレビCMの新たな趣向として、同志社香里高校ダンス部員(女子)らの出演、Dream5の「栄冠は君に輝く」歌唱による「ダンス編」が制作された(本大会開催期間中は従来の作りのテレビCMもあわせて放送)。2016年は「ダンス編」の第2弾を放送[63](従来の作りのテレビCMはなし)。
- ラジオ中継は、ABCラジオで先述の通り1952年から中継し全試合完全中継を行っていたが第91回(2009年)からは試合展開や地元の近畿勢が出場する試合に関係なく17:50で中継を打ち切っている。
- ラジオ中継でも地元の大会出場校が出場する試合については当該地区の局で中継する場合がある。
インターネット中継
- 第96回(2014年)からニコニコ生放送が新規参入。第86回選抜から引き続き、NHKでの放送を見ながら実況する「テレビ実況生放送」として配信(第97回(2015年)は森永製菓、第99回(2017年)は面白法人カヤックが後援)。
- 第99回(2017年)は、愛甲猛のメイン番組とは別に、元プロ野球選手による同様の企画が配信された。
- 第96回(2014年)までは朝日放送サイト内で全国選手権大会を配信していたが、第97回(2015年)からは、朝日放送[注 54]・朝日新聞社の共同事業による「バーチャル高校野球」内で地方大会と全国選手権大会のライブ中継を配信する[64]。2018年からは「SPORTS BULL(スポーツブル)」内で「バーチャル高校野球」の配信を行う[65]。
- 2020年、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止となった第92回選抜高等学校野球大会の代替大会2020年甲子園高校野球交流試合では、毎日新聞社、毎日放送が運営する「センバツLIVE」と「バーチャル高校野球」がライブ配信で競作した。
- 2022年からは、「SPORTS BULL(スポーツブル)」だけではなく、スポーツナビ(ヤフー)でもバーチャル高校野球を扱うようになったため、スポーツナビからでも中継映像を見ることができるようになった。
- 第105回(2023年)からはサイバーエージェントとテレビ朝日の合弁インターネット放送局であるABEMAでも「バーチャル高校野球」を同時配信する予定[66]。
映画
- 『第50回全国高校野球選手権大会 青春』(監督:市川崑)[67]
歴代記録と大会結果
脚注
注釈
- ^ 本大会の予選のように扱われることがあるが独立した大会である。
- ^ 史上最多は、第84回大会(2002年)と第85回大会(2003年)の4,163校。
- ^ 第81回大会(1999年)までは、地区によってイニング・得点差とも、規定がまちまちであったが、第82回大会(2000年)より、全国で統一された。
- ^ 北海道は当初対外試合が禁止されていたため、第5回(1919年)まで枠が割り当てられていなかった。
- ^ 本来は、第85回(2003年)から実施する予定であったが、同大会は3日間雨天順延となったため、準々決勝は従来どおり1日4試合一括で開催した。
- ^ a b c 第103回(2021年)は、6日間雨天順延となった影響により、3回戦と準々決勝の間の休養日なしとなった。3回戦と準々決勝の休養日は第104回(2022年)からである。
- ^ 2010年以降は担当対象外。
- ^ 翌春から選抜高校野球でも高校生(Nコン全国コンクールのアナウンス部門・朗読部門上位入賞者。開会式は基本的に新卒生)が司会を担当するようになったが、他地域への配慮から、兵庫県内の高校からの選出は第89回(2017年)開会式入場行進が初めて。
- ^ ゲートは「上は大会回数、下は全国高等学校野球選手権(記念)大会」。
- ^ 第98回、第99回大会は記念大会ではないが歴代優勝校旗の入場が行われた。
- ^ 第103回大会は第102回大会が中止で優勝旗返還式のみ行われたため前大会優勝校の入場はなかった。
- ^ 当初は3年生であったが、現在は2年生が担当。第104回までが女子生徒のみ。大会を前に、同校にて参加希望者の中からオーディションを行い、合格した者だけが参加できる。第79回大会以降、紹介アナウンスが「女子生徒」から「皆さん」に変更された。
- ^ 前年度優勝校が敗退している場合、以前は校名の入ったプラカードだったが、現在は「前年度優勝校」と表記される。出場した場合も「前年度優勝校」と出場校のプラカードと共に入場する。なお、オーディションに合格した女子生徒がプラカードを持つか国旗や大会旗を持つかは、くじ引きで決められる。
- ^ 通常、抽選会は大阪・中之島のフェスティバルホールで行われる。ただし、2009年と2011年は大阪府立国際会議場(グランキューブ大阪)、2010年は兵庫県立芸術文化センターで行われた(いずれも、フェスティバルホールの建て替えによる)。また、2021年は新型コロナウイルス感染症の感染防止のため、オンライン会議形式で行われた。
- ^ 毎日新聞社主催の選抜高等学校野球大会では行われない(なお、同社主催の全国高等学校ラグビーフットボール大会では行われている)。
- ^ 第77回(1995年) - 第92回(2010年)は8時30分。
- ^ 第92回(2010年)以前と第95回(2013年) - 第100回(2018年)は9時30分。
- ^ 第93回(2011年)は8時。第98回(2016年) - 第101回(2019年)は10時。第92回(2010年)以前と第95回(2013年) - 第97回(2015年)は11時。
- ^ 第93回(2011年)は9時30分。第94回(2012年)は10時30分。第95回(2013年)は12時。第62回(1980年) - 第71回(1989年)は12時30分。第39回(1957年) - 第61回(1979年)と第72回(1990年) - 第92回(2010年)と第96回(2014年)・第97回(2015年)は13時。第37回(1955年)・第38回(1956年)は13時30分。
- ^ 第36回(1954年)以来62年ぶり。
- ^ 第101回(2019年)も9時開始の予定であったが、雨のため1時間遅れの開始となった。
- ^ 第104回大会(2022年)までは延長13回。
- ^ 国体出場校があるため必ずしも「高校野球生活が終わる」わけではない。
- ^ 第105回大会(2023年)は台風7号が近畿地方に接近し上陸することが予想されたため、1日繰り上げて8月14日に大阪市内のホテルで授賞式を行った。(『朝日新聞』2023年8月15日付)
- ^ 谷譲次(長谷川海太郎)作詞・陸軍戸山学校軍楽隊作曲の初代大会歌。「蒼空高き甲子園」の通称で知られる。
- ^ 2014年アジア選手権以降は投手に10番台が多くなるなど、振り分け方が変わった。
- ^ 2007年、2009年は全国高校選抜としては不出場(前者は18歳以下の社会人・専門学校生から、後者は地区予選敗退校から選出された代表で出場)。
- ^ かつては日程的に出場することが困難であったため、全国高校選抜としては2004年のみの出場であった。
- ^ 学制改革による名称及び対象校変更後も回数は通算されている。
- ^ 出場が56校であった2018年の第100回記念大会を除く。
- ^ 1994年(第76回)までは1回戦の全ての勝者から、2013年(第95回) - 2016年(第98回)は、開幕日の3試合の勝者から抽選で決定。
- ^ 国会中継などにより、教育テレビ(現・Eテレ)に差し替えられたケースもあった。
- ^ 鹿児島地区のみ18時59分まで延長。
- ^ 土曜日は13時50分。日曜日は13時。
- ^ 『天気予報』・12時の『NHKニュース』のほか、平日は『ひるのプレゼント』・『連続テレビ小説(再放送)』・13時の『NHKニュース』・『銀河テレビ小説(再放送)』、土曜日は『土曜ひる席』・『連続テレビ小説(再放送)』・13時の『NHKニュース』・『大河ドラマ(再放送)』、日曜日は『NHKのど自慢』のため(朝日新聞縮刷版1974年8月)。
- ^ 2018年の第100回大会と2019年の第101回大会に関しては、その年の中継テーマソングであった「甲子園」のインストゥルメンタルが用いられた。
- ^ 長らくフェンダー・ローズのインストゥルメンタルが用いられており、1993年と2008年にアレンジのみ変更されたが音はそのままであった。
- ^ 2017年の第99回大会までは、平日の10時と15時は4分間。
- ^ 2023年の第105回大会からは、5回裏終了後は、各試合とも原則としてクーリング(給水)タイムとなるため、決勝戦に限らず、必ずニュースが入るようになった。
- ^ 2012年の第94回大会は、22日の準決勝では時差放送で行われた。23日の決勝戦については国内同時放送を行ったが、閉会式の部分は『連続テレビ小説(再放送)』が始まる12時45分で途中飛び降りとなった。また、放送時刻が正午をまたぐが、正午の『NHKニュース』の国内同時放送を休止し、そのまま中継を行った。正午の『NHKニュース』の国際放送向けの番組休止は、NHKワールド・プレミアムが2008年9月に一部の時間帯でノンスクランブル放送を開始して以来(同時放送・時差放送を問わず)初めてとなった。
- ^ 編成の都合によりFM放送で中継する場合もある(後述)。
- ^ 試合を行っている当該地域では、12時まで放送する場合がある。
- ^ 土曜日・日曜日・祝日は、11時55分 - 12時15分。
- ^ 放送延長することもある。
- ^ 試合を行っている当該地域では、19時まで放送する場合がある。
- ^ 2019年8月17日は試合が続いていたが、第51回『思い出のメロディー』を総合テレビと同時放送するため、19時30分で打ち切りとなった。
- ^ 『天気予報』『正午のニュース』『ひるのいこい』や、総合テレビと同時放送の『NHKのど自慢』など。(朝日新聞縮刷版1970年8月)
- ^ いずれも2018年3月31日までは朝日放送(現・朝日放送グループホールディングス)。
- ^ 2022年は、平日の11時30分 - 14時10分と日曜日の11時45分 - 14時に放送され、土曜日は放送されていない。なお、リレー中継開始時には、7時45分 - 9時30分にも土曜日を含め放送されていた。(京都新聞 縮刷版 1985年8月)
- ^ BS朝日:以前は双方向対応連動データ放送だった。
- ^ BS朝日の番組公式サイト(出典先参照)でも「高校野球は『BS朝日4Kチャンネル』でご覧いただけます。『BS朝日2Kチャンネル』では放送いたしません」と記載されている。
- ^ テレビCMには、「第1回大会から高校球児を見守り続けてきた“全国高校野球選手権大会の化身"」という老人に扮した山崎本人も出演。
- ^ 2011年は東北・兵庫、2012年は九州、2013年は近畿、2014年は東海、2015年は東京・神奈川。
- ^ 2018年以降は同年4月1日からの分社化に伴い「朝日放送テレビ」に変更。
出典
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- ^ 朝日放送・朝日新聞社の共同事業により高校野球の新オンラインメディアが誕生「バーチャル高校野球」2015 年 7 月中旬より提供開始 朝日放送株式会社 2015年5月11日
- ^ 「バーチャル高校野球」が「SPORTS BULL(スポーツブル)」にて地方大会709試合のライブ中継をスタート 朝日新聞社 2018年7月3日
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