平藤眞吾
平藤眞吾 七段 | |
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名前 | 平藤眞吾 |
生年月日 | 1963年10月15日(60歳) |
プロ入り年月日 | 1991年4月1日(27歳) |
棋士番号 | 199 |
出身地 | 大阪府豊中市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 賀集正三七段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 平藤眞吾 |
2014年4月17日現在 |
平藤 眞吾(ひらふじ しんご、1963年10月15日 - )は、将棋棋士。賀集正三七段門下。棋士番号は199。大阪府豊中市出身。
棋歴
1980年10月、16歳11ヶ月で奨励会に5級で入会。遅いスタートであった。20歳で二段となるがそこで4年間足踏みをし、三段となったのは24歳1ヶ月という当時の三段昇段の年齢制限(25歳)が近い時期であった。三段リーグでは3年(6期)在籍し[注釈 1]、6期目に15勝3敗の成績で2位となり、27歳にして四段昇段(プロ入り)を果たす。同時昇段者(1位)は、7歳下の藤井猛であった。
第24期(1998年度)棋王戦で本戦入りする活躍。第9期(2001年度)銀河戦では本戦で7連勝し、ベスト8入り。第44期(2003年度)王位戦でリーグ入り。渡辺明らに勝利するが、リーグ残留失敗。
順位戦C級2組では、8勝2敗が3回(昇級時を含む)、7勝3敗が4回、降級点なし、という安定した成績を挙げていたが、なかなか昇級できずにいた。14期目となる第63期(2004年度)で自身3度目の8勝2敗で3位に食い込み、41歳にして初昇級を果たした。なお、C級2組順位戦の局数は年間10局であるが、当期における平藤の対局では、上野裕和戦での二度にわたる千日手指し直し(1日で合計3局戦った)を含めて5回の千日手があったので、実際は15局指している。以降、順位戦では第81期(2022年度)まで18期にわたりC級1組に在籍し、第70期(2011年度)では他力ながらも最終局までB級2組昇級の可能性を残していた[注釈 2]。
棋風
何でも指す、オールラウンドプレーヤーである。居飛車の戦法も振り飛車の戦法も、多種多彩である。
人物・エピソード
- 兄弟子に前田祐司、西川慶二がいる。
- 1993年4月からの一時期、関西研修会の幹事を務めた。
- 三段リーグでの勝率は.639(69勝39敗)と高勝率だったが、のちに年齢制限で奨励会を退会になった秋山太郎とは非常に相性が悪く、5戦全敗だった。
- 三段リーグ時代、同じく当時三段だった井上慶太との対局で井上が必敗形になったが、二歩の危険性がある局面を迎え、二歩を誘うために歩切れの平藤にタダで歩を捨てる手を指した。平藤は直後に二歩の反則を犯してしまった。井上は二歩を打った瞬間、「それを待ってましたんや!」と叫んだ[1]。
- 1996年版の将棋年鑑での「コンピュータがプロ棋士を負かす日は? 来るとしたらいつ」というアンケートに対し、米長邦雄が「永遠になし」、加藤一二三が「来ないでしょう」、羽生善治が「2015年」、森内俊之が「2010年」などと答える中、平藤は「ゲームセンターの将棋に2回負けた」と答えている[注釈 3]。
昇段履歴
昇段規定は、将棋の段級を参照。
- 1980年 5級 = 奨励会入会
- 1983年 初段
- 1987年 三段 (1988年4月から三段リーグ)
- 1991年4月1日 四段 = プロ入り
- 1996年3月1日 五段(勝数規定)
- 2002年11月5日 六段(勝数規定)
- 2011年10月25日 七段(勝数規定)[2]
主な成績
在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 | 竜王戦 | ||||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1991 | 50 | C254 | 5 | 6組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C206 | 6 | 5組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C215 | 7 | 5組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C210 | 8 | 5組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C210 | 9 | 5組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C204 | 10 | 5組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C230 | 11 | 4組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C216 | 12 | 4組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C209 | 13 | 4組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | C233 | 14 | 4組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | C215 | 15 | 4組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | C233 | 16 | 4組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | C213 | 17 | 4組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | C212 | 18 | 4組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | C126 | 19 | 4組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | C121 | 20 | 3組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | C103 | 21 | 4組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | C110 | 22 | 4組 | -- | |||||||||||||
2009 | 68 | C120 | 23 | 4組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | C116 | 24 | 4組 | -- | |||||||||||||
2011 | 70 | C112 | 25 | 4組 | -- | |||||||||||||
2012 | 71 | C105 | 26 | 4組 | -- | |||||||||||||
2013 | 72 | C116 | 27 | 5組 | -- | |||||||||||||
2014 | 73 | C133 | 28 | 5組 | -- | |||||||||||||
2015 | 74 | C113 | 29 | 5組 | -- | |||||||||||||
2016 | 75 | C120 | 30 | 6組 | -- | |||||||||||||
2017 | 76 | C110 | 31 | 6組 | -- | |||||||||||||
2018 | 77 | C138 | 32 | 6組 | -- | |||||||||||||
2019 | 78 | C128 | 33 | 6組 | -- | |||||||||||||
2020 | 79 | C120 | 34 | 6組 | -- | |||||||||||||
2021 | 80 | C112 | 35 | 6組 | -- | |||||||||||||
2022 | 81 | C132 | 36 | 6組 | -- | |||||||||||||
2023 | 82 | C202 | 37 | (開始前) | ||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
脚注
注釈
出典
- ^ 将棋世界1991年6月号
- ^ “平藤眞吾六段が七段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2011年10月26日). 2019年6月11日閲覧。