趙九章
趙九章 | |
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生誕 |
1907年10月15日 清、河南省 開封縣 |
死没 |
1968年10月26日(61歳没) 中華人民共和国、北京市 |
居住 | 中華人民共和国 |
国籍 | 中華人民共和国 |
研究分野 | 流体力学, 気象学,地球物理学 |
研究機関 | 中国科学院 |
出身校 | 清華大学, フンボルト大学ベルリン |
主な受賞歴 | 両弾一星功労勲章(1999年) |
プロジェクト:人物伝 |
趙 九章(ちょう きゅうしょう、1907年10月15日 - 1968年10月26日)は中国の気象学者、地球物理学者、宇宙技術物理学者、宇宙工学者である[1]。中国宇宙技術のパイオニアで、「中国人工衛星の父」とみなされている[2]。
経歴
現在の浙江省湖州市に生まれ、1925年から1927年に杭州市の浙江実業学校(現:浙江大学)で電気工学を学ぶ[3][4]。後に北京市の清華大学へ移り、1933年物理学科を卒業。1935年ベルリン大学へ留学し1938年に博士号を得る。
帰国後は清華大学・国立中央大学(現:南京大学)・国立西南聯合大学の教授を歴任し、中華人民共和国成立後に中国科学院地球物理研究所所長に就任。その傍ら651衛星設計研究所を設置し、部下の銭驥らと共に東方紅1号の設計を担当した。しかし文化大革命で弾圧と糾弾を受け、睡眠薬自殺を遂げた。
参考文献
- ^ Jiuzhang Zhao "Meteorologist, geophysicist and space physicist."
- ^ 张九庆《自牛顿以来的科学家》第31章“两弹一星”与中国科学家 赵九章是中国人造卫星的倡导者和组织者,可以称为“中国人造卫星之父”。Translation: Zhao Jiuzhang was the urger and organizer of Chinese artificial satellite, he is regarded as "The Father of Chinese Artificial Satellite"
- ^ 浙江大学校友总会网 1925至1927年就读浙江公立工业专门学校(今浙江大学)电机工程科。
- ^ 解放前曾在浙大任教、求学,后成为中国科学院院士、中国工程院院士的校友 1925年至1929年在浙江公立工业专门学校(浙江大学前身)电机科就学。
関連項目
- 東方紅1号 - 中国初の人工衛星