1967年ベルギーグランプリ
レース詳細 | |||
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1967年F1世界選手権全11戦の第4戦 | |||
スパ・フランコルシャン (1947-1978) | |||
日程 | 1967年6月18日 | ||
正式名称 | XIII Grote Prijs Van Belgie | ||
開催地 |
スパ・フランコルシャン ベルギー スパ | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 14.120 km (8.770 mi) | ||
レース距離 | 28周 395.36 km (245.56 mi) | ||
決勝日天候 | 晴 (ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 3:28.1 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ダン・ガーニー | イーグル-ウェスレイク | |
タイム | 3:31.9 (19[1]周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | イーグル-ウェスレイク | ||
2位 | BRM | ||
3位 | フェラーリ |
1967年ベルギーグランプリ (1967 Belgian Grand Prix) は、1967年のF1世界選手権第4戦として、1967年6月18日にスパ・フランコルシャンで開催された。
レースは28周で行われ、イーグルのダン・ガーニーが予選2番手から優勝し、BRMのジャッキー・スチュワートが2位、フェラーリのクリス・エイモンが3位となった。
ガーニーのイーグルでの勝利はインディ500を除くと、アメリカで制作されたF1マシンによる唯一の優勝で、アメリカ国籍のコンストラクターによる初めての優勝である[2][注 1]。そして、アメリカ人によるアメリカ車によるF1初勝利でもあり[3][注 2]、チームオーナー兼ドライバーとして優勝した唯一のアメリカ人でもある[4][注 3]。
レース概要
ポールポジションからスタートしたジム・クラークは11周の間首位をキープし、クラークを追うジャッキー・スチュワートとダン・ガーニーに20秒の差を付けていた。しかし、クラークはプラグの交換によりピットインを強いられ、交換に2分を要した。これでスチュワートが首位に立ち、ガーニーが燃圧の問題でピットインを強いられ20秒をロスしたため盤石なリードを築いた。しかし、スチュワートもギアシフトに不調を抱え、ガーニーはファステストラップを記録してスチュワートに迫り、残り8周でスチュワートを抜いてトップに立ち、美しいマグネシウムとチタニウムのイーグルが初勝利を挙げた。軽量で先進的なエアロダイナミクスを持つT1Gと、400bhp弱のウェスレイクV12エンジンによって高速化し、平均時速は1959年ドイツGPでトニー・ブルックスが記録した230.686 km/h (143.342 mph)を8年ぶりに上回る234.946 km/h (145.989 mph)の新記録を樹立し[5]、バックストレートでは315 km/h (196 mph)を出した。
フェラーリのマイク・パークスは、1周目のブランシモンでスチュワートのBRMからこぼれた潤滑油によってコントロールを失いコースアウトし、マシンは横向きのままコースを滑り、パークスは外へ投げ出された[6]。パークスは両足を複雑骨折し、医師は彼の足を切断することも検討した。1週間昏睡状態となったものの一命は取り止めたが、パークスのF1ドライバー生命は絶たれてしまった[7][8]。この事故に大きなショックを受けたチームメイトで親友のルドビコ・スカルフィオッティは戦意を喪失してドライバー引退を考え、本レースをもってフェラーリを去った[8][注 4]。一方、この事故を後方で見た同じチームメイトのクリス・エイモンは、最後までペドロ・ロドリゲスのクーパーを相手に激しいバトルを続け、3位表彰台を獲得した[9]。1ヶ月前のモナコGPでロレンツォ・バンディーニが事故死したのに続き、相次いでドライバーが離脱したフェラーリは、この年抜擢された若いエイモンのみとなってしまった[3]。
ホンダのジョン・サーティースは予選から燃料関係のトラブルが続出し、燃料バッグの破損によりガソリンが漏れ、徹夜で燃料バッグを交換する羽目となった。決勝では1周目でピストンが吹き抜けてしまい、早々とリタイアした。ホンダが1966年から1968年に使用した3リッターV12エンジンで、エンジン本体のメカニカルトラブルが発生したのは本レースと1968年イタリアグランプリの2回のみである[10][11]。
エントリーリスト
チーム | No. | ドライバー | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC | 1 | クリス・エイモン | フェラーリ | 312/67 | フェラーリ 242 3.0L V12 | F |
2 | ルドビコ・スカルフィオッティ | |||||
3 | マイク・パークス | 312/66 | ||||
ホンダ・レーシング | 7 | ジョン・サーティース | ホンダ | RA273 | ホンダ RA273E 3.0L V12 | F |
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | 12 | マイク・スペンス | BRM | P83 | BRM P75 3.0L H16 | G |
14 | ジャッキー・スチュワート | |||||
アングロ・アメリカン・レーサーズ | 16 | ボブ・ボンデュラント 1 | イーグル | T1G | ウェスレイク 58 3.0L V12 | G |
36 | ダン・ガーニー | |||||
37 | A.J.フォイト 2 | |||||
レグ・パーネル・レーシング | 18 | クリス・アーウィン | BRM | P261 | BRM P56 2.0L V8 | F |
DWレーシング・エンタープライゼス | 19 | ボブ・アンダーソン | ブラバム | BT11 | クライマックス FPF 2.8L L4 | F |
チーム・ロータス | 21 | ジム・クラーク | ロータス | 49 | フォード・コスワース DFV 3.0L V8 | F |
22 | グラハム・ヒル | |||||
ブラバム・レーシング・オーガニゼーション | 25 | ジャック・ブラバム | ブラバム | BT24 | レプコ 740 3.0L V8 | G |
26 | デニス・ハルム | BT19 | ||||
クーパー・カー・カンパニー | 29 | ヨッヘン・リント | クーパー | T81B | マセラティ 10/F1 3.0L V12 | F |
30 | ペドロ・ロドリゲス | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | |||
ギ・リジェ | 32 | ギ・リジェ | クーパー | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | D |
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム | 34 | ジョー・シフェール | クーパー | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | F |
ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム | 39 | ヨアキム・ボニエ | クーパー | T81 | マセラティ 9/F1 3.0L V12 | F |
ソース:[12] |
- 追記
結果
予選
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 21 | ジム・クラーク | ロータス-フォード | 3:28.1 | - | 1 |
2 | 36 | ダン・ガーニー | イーグル-ウェスレイク | 3:31.2 | +3.1 | 2 |
3 | 22 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 3:32.9 | +4.8 | 3 |
4 | 29 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 3:34.3 | +6.2 | 4 |
5 | 1 | クリス・エイモン | フェラーリ | 3:34.3 | +6.2 | 5 |
6 | 14 | ジャッキー・スチュワート | BRM | 3:34.8 | +6.7 | 6 |
7 | 25 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 3:35.0 | +6.9 | 7 |
8 | 3 | マイク・パークス | フェラーリ | 3:36.6 | +8.5 | 8 |
9 | 2 | ルドビコ・スカルフィオッティ | フェラーリ | 3:37.7 | +9.6 | 9 |
10 | 7 | ジョン・サーティース | ホンダ | 3:38.4 | +10.3 | 10 |
11 | 12 | マイク・スペンス | BRM | 3:38.5 | +10.4 | 11 |
12 | 39 | ヨアキム・ボニエ | クーパー-マセラティ | 3:39.1 | +11.0 | 12 |
13 | 30 | ペドロ・ロドリゲス | クーパー-マセラティ | 3:39.5 | +11.4 | 13 |
14 | 26 | デニス・ハルム | ブラバム-レプコ | 3:40.3 | +12.2 | 14 |
15 | 17 | クリス・アーウィン | BRM | 3:44.4 | +16.3 | 15 |
16 | 34 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 3:45.4 | +17.3 | 16 |
17 | 19 | ボブ・アンダーソン | ブラバム-クライマックス | 3:49.5 | +21.4 | 17 |
18 | 32 | ギ・リジェ | クーパー-マセラティ | 4:01.2 | +33.1 | 17 |
ソース:[14]
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決勝
順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 36 | ダン・ガーニー | イーグル-ウェスレイク | 28 | 1:40:49.4 | 2 | 9 |
2 | 14 | ジャッキー・スチュワート | BRM | 28 | +1:03.0 | 6 | 6 |
3 | 1 | クリス・エイモン | フェラーリ | 28 | +1:40.0 | 5 | 4 |
4 | 29 | ヨッヘン・リント | クーパー-マセラティ | 28 | +2:13.9 | 4 | 3 |
5 | 12 | マイク・スペンス | BRM | 27 | +1 Lap | 11 | 2 |
6 | 21 | ジム・クラーク | ロータス-フォード | 27 | +1 Lap | 1 | 1 |
7 | 34 | ジョー・シフェール | クーパー-マセラティ | 27 | +1 Lap | 16 | |
8 | 19 | ボブ・アンダーソン | ブラバム-クライマックス | 26 | +2 Laps | 17 | |
9 | 30 | ペドロ・ロドリゲス | クーパー-マセラティ | 25 | エンジン | 13 | |
10 | 32 | ギ・リジェ | クーパー-マセラティ | 25 | +3 Laps | 18 | |
NC | 2 | ルドビコ・スカルフィオッティ | フェラーリ | 24 | 規定周回数不足 | 9 | |
Ret | 25 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 15 | エンジン | 7 | |
Ret | 26 | デニス・ハルム | ブラバム-レプコ | 14 | エンジン | 14 | |
Ret | 39 | ヨアキム・ボニエ | クーパー-マセラティ | 10 | エンジン | 12 | |
Ret | 22 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 3 | クラッチ | 3 | |
Ret | 7 | ジョン・サーティース | ホンダ | 1 | エンジン | 10 | |
Ret | 17 | クリス・アーウィン | BRM | 1 | エンジン | 15 | |
Ret | 3 | マイク・パークス | フェラーリ | 0 | アクシデント | 8 | |
ソース:[15]
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- ダン・ガーニー - 3:31.9(19周目)
- ラップリーダー[16]
- ジム・クラーク - 12周 (Lap 1-12)
- ジャッキー・スチュワート - 8周 (Lap 13-20)
- ダン・ガーニー - 8周 (Lap 21-28)
第4戦終了時点のランキング
- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。
脚注
注釈
- ^ アメリカ国籍のコンストラクターによる優勝は本レースのイーグルの他、ペンスキーが1976年オーストリアグランプリで挙げた2回のみである。ペンスキーはアメリカ国籍であったが、F1の活動拠点はイギリスのプールに置いていた。アメリカ人のドン・ニコルズが創設したシャドウも1977年オーストリアグランプリで優勝しているが、1976年以降はF1の活動拠点としていたイギリスに国籍を変更していた。
- ^ F1以前に遡っても、1921年フランスグランプリのジミー・マーフィーがデューセンバーグで優勝して以来の快挙だった。
- ^ チームオーナー兼ドライバーによるF1世界選手権における優勝は、前年のジャック・ブラバムに次ぐ2人目であり、翌年に達成したブルース・マクラーレンを含め3人しかいない。
- ^ しかし、3ヶ月後のイタリアGPでイーグルからスポット参戦してF1に復帰し、翌1968年にクーパーで本格的にF1に復帰したが、同年6月のヒルクライムの事故で亡くなった。 (林信次 1995, p. 50,71)
出典
- ^ a b “Belgium 1967 - Best laps”. STATS F1. 2019年6月8日閲覧。
- ^ “Archived copy”. 2012年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月10日閲覧。
- ^ a b (林信次 1995, p. 43)
- ^ “アメリカのレジェンド、ダン・ガーニーが逝く”. ESPN F1 (2018年1月15日). 2019年6月8日閲覧。
- ^ “Statistics Grands Prix - Average - The most”. STATS F1. 2019年6月9日閲覧。
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 228-229)
- ^ Franka. “Mike Parkes - The Imp Site”. www.imps4ever.info. 2018年10月12日閲覧。
- ^ a b (林信次 1995, p. 42)
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 229)
- ^ (中村良夫 1998, p. 213)
- ^ (中村良夫 1998, p. 267)
- ^ “Belgium 1967 - Race entrants”. STATS F1. 2019年6月9日閲覧。
- ^ a b “Belgium 1967 - Result”. STATS F1. 2019年6月9日閲覧。
- ^ “Belgium 1967 - Qualifications”. STATS F1. 2019年6月9日閲覧。
- ^ “1967 Belgian Grand Prix”. formula1.com. 2014年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
- ^ “Belgium 1967 - Laps led”. STATS F1. 2019年6月9日閲覧。
- ^ a b “Belgium 1967 - Championship”. STATS F1. 2019年3月12日閲覧。
参照文献
- en:1967 Belgian Grand Prix(2019年5月3日 21:10:40(UTC))より翻訳
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
- 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0。
外部リンク
前戦 1967年オランダグランプリ |
FIA F1世界選手権 1967年シーズン |
次戦 1967年フランスグランプリ |
前回開催 1966年ベルギーグランプリ |
ベルギーグランプリ | 次回開催 1968年ベルギーグランプリ |