国道48号
一般国道 | |
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国道48号 | |
地図 | |
総延長 | 76.2 km |
実延長 | 54.2 km |
現道 | 54.2 km |
制定年 | 1963年(昭和38年) |
起点 | 宮城県仙台市青葉区 勾当台公園前(北緯38度15分58.53秒 東経140度52分19.07秒 / 北緯38.2662583度 東経140.8719639度) |
主な 経由都市 |
山形県東根市、天童市 |
終点 | 山形県山形市 飯田交差点(北緯38度12分51.91秒 東経140度19分23.66秒 / 北緯38.2144194度 東経140.3232389度) |
接続する 主な道路 (記法) |
国道45号 国道457号 国道13号 国道286号 国道112号 |
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国道48号(こくどう48ごう)は、宮城県仙台市青葉区から山形県山形市に至る一般国道である。
概要
仙台と山形を結ぶ歴史的な道路としてはほかに、南回りの国道286号(笹谷街道、山形自動車道が並走)、今ではあまり使われない二口林道(二口街道)があり、国道48号は3つの経路のうちもっとも北を通る。峠部は山形県村山地方と宮城県を結ぶ道路のなかでは、唯一、冬季間閉鎖がなく、かつ無料で通行できる。
路線データ
一般国道の路線を指定する政令[1][注釈 1]に基づく起終点および重要な経過地は次のとおり。
- 起点:仙台市(青葉区本町、勾当台公園前 = 国道45号・国道286号起点)
- 終点:山形市(飯田交差点 = 国道13号上、国道112号起点)
- 重要な経過地:東根市、天童市
- 総延長 : 76.2 km(仙台市 34.9 km、山形県 41.2 km)重用延長を含む。[2][注釈 2]
- 重用延長 : 21.9 km(仙台市 - km、山形県 21.9 km)[2][注釈 2]
- 未供用延長 : なし[2][注釈 2]
- 実延長 : 54.2 km(仙台市 34.9 km、山形県 19.3 km)[2][注釈 2]
- 指定区間:仙台市青葉区大町2丁目13番12[3] - 山形市飯田西4丁目441番5[4]
歴史
関山峠を越えて東西に通じる道は古くから使われていた。東半分は江戸時代に仙台藩領で、仙台藩が江戸時代の初期に仙台からみた「西道」として整備し、作並宿・熊ケ根宿・愛子宿を置いた[5]。また藩境付近に坂下境目番所、作並宿に作並番所を置いて警備の兵を置いた。通行はあったが、難所の関山峠で運送に馬を用いることができず、運輸では南回りの笹谷街道の方が主であった。
明治時代にこの街道は、関山街道と呼ばれ、そのうち宮城県側が作並街道と呼ばれた。明治時代初めに山形県令になった三島通庸は、土木建設を推し進め、関山街道の整備をその重点とした。街道整備の中で最大の事業は、県境を通す関山トンネルの建設であった。当初は、あまりにも多額の建設費であったため、政府に建設を却下されたが、福島に視察にやってきた伊藤博文に直訴し、現地を視察させた上でようやく工事が許可されることとなった。
1880年(明治13年)に起工し、途中、火薬の爆発事故 (参照) で多くの犠牲者を出しながら、1882年(明治15年)11月3日に落成式を挙げた。工事が終わると関山街道は山形と仙台を結ぶ主要道となり、人と馬と馬車が行きかった。特に、馬車による物資の大量輸送が可能となった効果は大きく、横浜港から塩釜港まで汽船で運ばれた「汽船荷」を関山峠を越えて運べるようになったことは、最上川舟運衰退の端緒となった。仙台駅まで東北本線が延び、山形にまだ敷かれていない1887年(明治20年)から1901年(明治34年)の時期が最盛期だったが、山形駅まで奥羽本線が開通すると急激に衰退した。
1920年(大正9年)4月1日に、宮城県側の大町4丁目から山形県境までが宮城県道仙台楯岡線に指定された[5]。同年に仙台と作並温泉の間にバスが運行するようになった。自動車交通が広まりはじめたこの頃から、この道路は再び重要性を増しはじめた。しかし、砂利道で、関山峠付近は道が曲がりくねり、県境を自動車で越えるには難しい道であった。
1953年(昭和28年)に県道から国道に昇格した。国は自動車交通量の増加に対応するために道路の整備を進め、1953年に湯渡戸橋を架け替え、1954年(昭和29年)には野川橋の代わりとなる熊ヶ根橋を架けた。
1963年(昭和38年)から再び改築が始まり、1968年(昭和43年)10月に今までのトンネルの北に新関山トンネルが開通したことで、両県を結ぶ自動車の往来が増え、トラックの通行が多くなった。また、仙台市郊外で住宅地が造成され、通勤者の自動車で渋滞が深刻になったため、愛子バイパスと仙台西道路が作られた。また、前述にあるとおり山形県を結ぶ幹線道路としての役割を果たしており大型車両の通行量も多いことから、最近では狭隘部分や山間部での線形改良工事も断続的に行われており、2001年(平成13年)から熊ヶ根橋の改良工事が約4年にわたって行われた[6]ほか、作並地区においても改良工事が行われている。
年表
- 1880年(明治13年)
- 1882年(明治15年) - 関山街道開通
- 1920年(大正9年)4月1日 - 宮城県道に指定。
- 1953年(昭和28年)5月18日 - 二級国道110号仙台山形線(宮城県仙台市 - 山形県山形市)に指定。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 二級国道110号が、一級国道48号(宮城県仙台市 - 山形県山形市)に昇格。これにより110号は欠番になった。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 一般国道48号(宮城県仙台市 - 山形県山形市)に指定。
- 2016年(平成28年)4月1日 - 仙台市青葉区本町3丁目 - 同市青葉区折立4丁目の現道が、国から仙台市に移管。同市青葉区本町3丁目 - 同市青葉区大町2丁目の区間が仙台市管理で区域追加[3]。
かつて指定されていた道路
- 仙台市道5214号石山竜沢線 全線:1965年道路改良により降格
- 仙台市道1509号折立1号線 全線:1993年3月23日愛子バイパス開通により降格
- 仙台市道5882号下愛子原落合線 全線:1993年3月23日愛子バイパス開通により降格
- 国道457号 落合一丁目 - 上愛子字北内:1993年3月23日愛子バイパス開通により市道に降格後、1993年4月1日国道457号の一部として指定
- 仙台市道5268号蛇台原線 全線:1965年7月1日仙山線の踏切を立体交差化への道路改良により降格
- 仙台市道5272号街道第2線 全線:1965年7月1日仙山線の踏切を立体交差化への道路改良により降格
- 仙台市道5427号白沢熊ヶ根線 全線:1965年3月23日熊ヶ根橋開通により降格
- 宮城県道31号仙台村田線 木町通二丁目 - 折立四丁目:2016年4月1日 国から仙台市に移管に伴い降格[3]
- 宮城県道22号仙台泉線 本町三丁目 - 木町通二丁目:2016年4月1日 国から仙台市に移管に伴い降格[3]
路線状況
バイパス
別名
重複区間
- 国道286号(宮城県仙台市青葉区本町3丁目・勾当台公園前(起点) - 仙台市青葉区一番町3丁目[3])
- 国道457号(宮城県仙台市青葉区上愛子字北内 - 仙台市青葉区上愛子字白沢)
- 国道13号(山形県天童市・久野本交差点 - 山形市・飯田交差点(終点))
道の駅
- 山形県
- 天童温泉(天童市)
地理
通過する自治体
交差する道路
- 宮城県
- 山形県
主な峠
脚注
注釈
出典
- ^ “一般国道の路線を指定する政令(昭和40年3月29日政令第58号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2020年6月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g “表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況” (XLS). 道路統計年報2023. 国土交通省道路局. 2024年4月4日閲覧。
- ^ a b c d e 国道4号仙台バイパスに並行する現道区間及び国道48号仙台西道路に並行する現道区間が、国の管理から仙台市の管理になります。 - 2016年3月30日 仙台河川国道事務所、仙台市
- ^ “一般国道の指定区間を指定する政令(昭和33年6月2日政令第164号)”. e-Gov法令検索. 総務省行政管理局. 2012年10月26日閲覧。
- ^ a b 菊池武一「山麓宿場町愛子駅の構造」48頁(1巻324頁)。
- ^ 『仙台と山形を結ぶ大動脈一般国道48号「熊ヶ根橋」が新しく生まれ変わります』(プレスリリース)国土交通省 東北地方整備局 仙台河川国道事務所、2006年3月22日 。2018年3月3日閲覧。
- ^ 1999年刊『仙台市史』資料編1(近代現代1・交通建設)361頁、資料番号230「作並新道着手工況調」。次の日向・作並間の工事開始についても同じ資料による。
参考文献
- 菊池武一「山麓宿場町愛子駅の構造」、東北大学地域社会研究会『宮城県の地理と歴史』第1巻、国史刊行会、1982年。『地域社会研究』(東北大学教育教養学部)第6輯、1954年の復刻。
- 仙台市史編さん委員会『仙台市史』資料編5(近代現代1・交通建設)、仙台市、1999年。